評価点:75点/2016年/イギリス・フランス・ベルギー/100分
監督:ケン・ローチ
タイトルが、この映画のすべて。
大工のダニエル(デイブ・ジョーンズ)は心臓発作で倒れて以来、仕事ができなくなってしまった。
次第に改善しているとのことだったが、仕事についてはならないという診断だった。
しかし、役所に行っても「働ける」という判断になり、仕事ができるのにしていない状態と見なされた。
再診断を申請し、仕事を探す(ふりをする)が、役所はその事情を酌んでくれない。
あるとき、ダニエルが役所で順番待ちをしていると、二人の子どもを連れたシングルマザーのケイティ(ヘイリー・スクワイアーズ)が役人ともめているところに遭遇し……。
「天使の分け前」のケン・ローチ監督の最新作。
巨匠、と言われているが、私は彼の作品をほとんど見ていないので、作品単体でしか感じるところを述べることができない。
映画館には、平日というのに、多くの人が訪れていた。
この映画を知ったのは、「晴れの日は……」の前に流れていた予告編だった。
そのとき、見るつもりはなかったが、結局時間が合うもので、その日に2本見たかったので、この映画を選んだ。
イギリスが舞台であっても、日本が舞台であっても、同じテーマとして見ることができるだろう。
デジタル配信やレンタルではなく、映画館で楽しみたい、そういう映画だ。
時間がある人は、是非。
▼以下はネタバレあり▼
格差社会が深刻であることが、様々なところで指摘されるようになって久しい。
たった6人で34億人の富みと同じ富みを独占していることが最近も話題になった。
貧困とは何をもたらすのか。
そのことを描いたドキュメンタリータッチの映画だ。
この映画は最初からテーマが示されている。
それは、「私はダニエル・ブレイクという人間だ。人間として接してほしい。」
ということだ。
たったそれだけのことを描いていて、たったそれだけのことを伝えてエンドロールを迎える。
それは、貧困が何を奪うのかをよく表しているからだろう。
ダニエルは、大工だが仕事ができない。
しかし、それは役所の規定では「できる」ことになる。
その狭間に落ち込んだ彼は、働けないが、働ける体を持つ、という、矛盾に陥る。
日に何十人、何百人と訪れる役所では、誰か特定の人間に優しくすることはできず、事務的に義務的に処理していくしかない。
誰も悪い者はいないが、誰も彼の味方になってくれる者はない。
同じようにそのシステムに漏れてしまったケイティ親子と人間的な交流が起こる。
お金がない。
そのことは、食べるものや着る服、住む場所がなくなるだけではない。
人間として扱われるという最低限のやりとりさえできなくしてしまう。
象徴的なのは、妻を介護していた部屋にあった家具を、すべて処分してしまわなければならなくなったことだろう。
彼は歴史性も、社会性も剥奪されたところに落とされてしまうのだ。
ケン・ローチは、この映画を社会的な運動のきっかけにしたいようなことをパンフレットに書いてあった。
新しい社会主義を目指すべきだと書いてあった。
それが正しいかどうか、実現するかどうかはさておき、深刻な事態になっていることは確かなようだ。
日本では、貧困は見えにくい。
社会的な保障の違いもあるだろう。
だから、そのままあてはまることは少ないかもしれない。
だが、本当に、資本主義をこのまま続けるのか、続けないとしたらどういうシステムがあり得るのか。
単なる絵空事にならずに、どうすればいいのかを考えていく必要があるだろう。
そうでなければ、遅かれ早かれ、内部から崩壊していくことは間違いない。
理想主義者でも、悲観主義者でもない、あるいは全く新しい枠組みでもない、「何か」を考えていく時代になったのかもしれない。
あのとき、この映画が警鐘を鳴らしていたじゃないか、とならないことだけ祈りたい。
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