評価点:33点/2011年/アメリカ/154分
監督:マイケル・ベイ
その戦争に、人間はどこにもいない。
サム(シャイア・ラブーフ)は英雄になったものの、就職難にあえいでいた。
新しい恋人カーリー(ロージー・ハンティントン=ホワイトリー)からも応援されるが、効果はない。
サムの愛車のカマロは、全世界で生き残っているディセプティコンを調査していた。
チェルノブイリを調べていたオプティマス・プライム(声:ピーター・カレン)は人類が過去にトランスフォーマーたちに接触していた痕跡を見つける。
問い質すと、なんとアポロ計画の裏側にはトランスフォーマーの研究があることを知らされる。
大至急、月を調査すると、転送装置に利用する「柱」が五本と、リーダーのセンチネル・プライムが機能停止した状態で発見される。
オプティマスのマトリックスで復活させたセンチネルは、残り数百本の柱が存在していたと話すが。
マイケル・ベイ監督の「トランスフォーマー」もこれで三作目。
1作目から劇場で見続けているが、今回は3D公開までされるようになった。
相変わらず長すぎる上映時間が3Dとどのように影響を与えるのかが楽しみだ。
興行的にはおそらく成功することになるだろう。
この夏の話題作であることは間違いない。
そろそろジブリをやめようかと考えている観客も多いだろうが、こちらは映画館まで足を運ぶだろう。
少なくとも映画館で見なければこの映画の価値はほとんどない。
公開期間は長いだろうから、いってみてはどうだろうか。
内容は保証しませんが。
▼以下はネタバレあり▼
前作ではラズベリー賞を受賞するなど、非常に名誉ある数々の批判に晒されたのは、誰もが知るところだろう。
ちなみに僕も徹底的に批判したのを覚えている。
お陰で1作目はレンタルでも観たが、2作目はほとんど覚えてない。
今回映画を観る直前で一応、自分の書いた批評を読み返したが、あまりピンとこない。
それくらい僕にとっては思い入れの薄いシリーズになってしまった。
今回は3Dということもあり、名誉挽回とばかりに夏休み映画商戦に名乗りを上げた。
ヒロインも一新し、巻き返しを図りたいのは見え見えだ。
前回のラズベリー賞もそうだが、アメリカ人にとっては非常に期待値の高い作品であることは間違いないだろう。
なぜなら、期待値が低ければラズベリー賞を与えたりしないはずだからだ。
あれは期待の裏返しだと考えると、アメリカの期待値をうかがい知ることが出来るはずだ。
この映画を観ていると僕はちょっと暗くなった。
きっとアメリカ人の多くは、世界のとらえ方を依然としてこんなふうに捉えているのだろうな、と。
米国映画を観ていると、時としてアメリカ人の世界観が透けてみえることがある。
その典型がこの映画なのだろう。
サイバトロンでの戦争が激化し、最後の希望として転送装置を積んだ船がサイバトロンから出発した。
しかし、ディセプティコンの追撃にあい、月の裏側へ落下してしまう。
それを見つけたのが、アメリカだったというわけだ。
月の裏側とアポロ計画の裏側という二重の歴史の真相を描こうとしている。
実はその転送装置は、サイバトロンを救うために計画された地球侵略の契機だった。
オートボットを裏切ったセンチネルは、ディセプティコンと手を組み、地球を侵略しようとしていたのだ。
その目的は、人間という労働力だった。
センチネルは、人間を労働力として使うことで、サイバトロンの復興を果たそうともくろんだのだ。
人間側にすでについていた正義のオートボットたちは、それに反抗するという構図だ。
僕はこの陳腐な「真相」を見せられて閉口するしかなかった。
依然として宇宙人は人間を搾取しようとしているし、人間はそれに対抗することが「正義」なのである。
冒頭の、サイバトロンで起こった戦争についての説明はこんなものだ。
「独裁をもくろむディセプティコンと、自由を取り戻すためにオートボットは戦った。」
自由と独裁。
この二項対立でしか物事を捉えられないのだろうか。
独裁に対する考察も、自由に対する定義も、全くそこにはなされていない。
安易な、無邪気な、盲目的な、無自覚な、自由が絶対的な正義であり、独裁は絶対悪であるという位置づけは、アメリカが陥る矛盾そのものだ。
そのスタンスでしか物事を捉えないから、この映画の世界観はひどく狭いものに見えてしまう。
結局、アメリカとイラクでも、アメリカと中国でも、アメリカと北朝鮮でも、アメリカとテロ組織でも、なんでもよかったのではないか。
それを大それた「宇宙戦争」のような形で描こうとするところに、彼らの世界観の狭さが象徴されている。
彼らにとって、宇宙戦争は独裁と自由という二項対立なのだ。
それは彼らの戦争の大儀そのものだ。
自由という概念に対する思考停止が自分たちに跳ね返ってきているということを、いまだに気づかないのだ。
彼らが戦わなければならない理由が明らかになればなるほど、その陳腐な真相にげんなりである。
またいけないのは、物語の展開とアクションの見せ場とが完全に別個のものとして前後半に別れてしまっているということだ。
前半の物語の説明は、ほとんど見せ場がない。
逆に後半部分になると、真相はすべて明るみになり、見せ場しかない。
だから、前半はサスペンス、後半はアクションと、全く別の映画を観ているような感覚になる。
当然、前半の物語は全くおもしろみも新しさもないわけだから、感情移入できるはずもない。
そこに侵略が始まってしまうから、興奮も半減である。
もっと見せ場をちりばめておけば、冗長にならずに済んだものを、まことに残念である。
そして、最も肝心な視点がこの映画では抜け落ちている。
それは「人間」ということだ。
オートボットと、ディセプティコンが戦うのはいいだろう。
もはや犬と猿が仲が悪いのとほとんど同じレベルなのだから。
けれども、そこに巻きこまれている人間たちがほとんどいないのと同じ状態であるのはいただけない。
カーリーに関して言えば、なぜサムが彼女を好きになったのか、理解できない。
カーリーが好いてくれるから、サムも好きなのかと疑ってしまうほどだ。
オートボットとともに戦おうとするサムを応援してみたり、そうかと思うといきなりパーティに行かずにディセプティコンに対抗しようとするサムに激昂したり。
ラストにはディセプティコンの総大将をそそのかしたり。
彼女のキャラクター設定がほとんどないに等しいので、物語は盛り上がらない。
足しか見せ場がなくて、いなくてもいてもどちらでもいいじゃない、と思えてしまう。
サムに関しても、今回は完全に蚊帳の外だ。
以前まではメガネをもっていたり、かけらをもっていたり、物語のキィを握っていた。
今回は完全に「地球のために一肌脱ぐ、おせっかいなやつ」である。
ジョン・マルコヴィッチにしてもキャラが今ひとつ確定していないし、圧倒的に不利なのを承知でシカゴに向かったはずの引退兵士も弱音を吐くし。
とにかく、人間がいない。
ただオートボットに紛れて戦えば人間も戦ったことになるのではない。
今回の戦争は、巻きこまれただけだ。
そんな映画、面白いはずがない。
監督:マイケル・ベイ
その戦争に、人間はどこにもいない。
サム(シャイア・ラブーフ)は英雄になったものの、就職難にあえいでいた。
新しい恋人カーリー(ロージー・ハンティントン=ホワイトリー)からも応援されるが、効果はない。
サムの愛車のカマロは、全世界で生き残っているディセプティコンを調査していた。
チェルノブイリを調べていたオプティマス・プライム(声:ピーター・カレン)は人類が過去にトランスフォーマーたちに接触していた痕跡を見つける。
問い質すと、なんとアポロ計画の裏側にはトランスフォーマーの研究があることを知らされる。
大至急、月を調査すると、転送装置に利用する「柱」が五本と、リーダーのセンチネル・プライムが機能停止した状態で発見される。
オプティマスのマトリックスで復活させたセンチネルは、残り数百本の柱が存在していたと話すが。
マイケル・ベイ監督の「トランスフォーマー」もこれで三作目。
1作目から劇場で見続けているが、今回は3D公開までされるようになった。
相変わらず長すぎる上映時間が3Dとどのように影響を与えるのかが楽しみだ。
興行的にはおそらく成功することになるだろう。
この夏の話題作であることは間違いない。
そろそろジブリをやめようかと考えている観客も多いだろうが、こちらは映画館まで足を運ぶだろう。
少なくとも映画館で見なければこの映画の価値はほとんどない。
公開期間は長いだろうから、いってみてはどうだろうか。
内容は保証しませんが。
▼以下はネタバレあり▼
前作ではラズベリー賞を受賞するなど、非常に名誉ある数々の批判に晒されたのは、誰もが知るところだろう。
ちなみに僕も徹底的に批判したのを覚えている。
お陰で1作目はレンタルでも観たが、2作目はほとんど覚えてない。
今回映画を観る直前で一応、自分の書いた批評を読み返したが、あまりピンとこない。
それくらい僕にとっては思い入れの薄いシリーズになってしまった。
今回は3Dということもあり、名誉挽回とばかりに夏休み映画商戦に名乗りを上げた。
ヒロインも一新し、巻き返しを図りたいのは見え見えだ。
前回のラズベリー賞もそうだが、アメリカ人にとっては非常に期待値の高い作品であることは間違いないだろう。
なぜなら、期待値が低ければラズベリー賞を与えたりしないはずだからだ。
あれは期待の裏返しだと考えると、アメリカの期待値をうかがい知ることが出来るはずだ。
この映画を観ていると僕はちょっと暗くなった。
きっとアメリカ人の多くは、世界のとらえ方を依然としてこんなふうに捉えているのだろうな、と。
米国映画を観ていると、時としてアメリカ人の世界観が透けてみえることがある。
その典型がこの映画なのだろう。
サイバトロンでの戦争が激化し、最後の希望として転送装置を積んだ船がサイバトロンから出発した。
しかし、ディセプティコンの追撃にあい、月の裏側へ落下してしまう。
それを見つけたのが、アメリカだったというわけだ。
月の裏側とアポロ計画の裏側という二重の歴史の真相を描こうとしている。
実はその転送装置は、サイバトロンを救うために計画された地球侵略の契機だった。
オートボットを裏切ったセンチネルは、ディセプティコンと手を組み、地球を侵略しようとしていたのだ。
その目的は、人間という労働力だった。
センチネルは、人間を労働力として使うことで、サイバトロンの復興を果たそうともくろんだのだ。
人間側にすでについていた正義のオートボットたちは、それに反抗するという構図だ。
僕はこの陳腐な「真相」を見せられて閉口するしかなかった。
依然として宇宙人は人間を搾取しようとしているし、人間はそれに対抗することが「正義」なのである。
冒頭の、サイバトロンで起こった戦争についての説明はこんなものだ。
「独裁をもくろむディセプティコンと、自由を取り戻すためにオートボットは戦った。」
自由と独裁。
この二項対立でしか物事を捉えられないのだろうか。
独裁に対する考察も、自由に対する定義も、全くそこにはなされていない。
安易な、無邪気な、盲目的な、無自覚な、自由が絶対的な正義であり、独裁は絶対悪であるという位置づけは、アメリカが陥る矛盾そのものだ。
そのスタンスでしか物事を捉えないから、この映画の世界観はひどく狭いものに見えてしまう。
結局、アメリカとイラクでも、アメリカと中国でも、アメリカと北朝鮮でも、アメリカとテロ組織でも、なんでもよかったのではないか。
それを大それた「宇宙戦争」のような形で描こうとするところに、彼らの世界観の狭さが象徴されている。
彼らにとって、宇宙戦争は独裁と自由という二項対立なのだ。
それは彼らの戦争の大儀そのものだ。
自由という概念に対する思考停止が自分たちに跳ね返ってきているということを、いまだに気づかないのだ。
彼らが戦わなければならない理由が明らかになればなるほど、その陳腐な真相にげんなりである。
またいけないのは、物語の展開とアクションの見せ場とが完全に別個のものとして前後半に別れてしまっているということだ。
前半の物語の説明は、ほとんど見せ場がない。
逆に後半部分になると、真相はすべて明るみになり、見せ場しかない。
だから、前半はサスペンス、後半はアクションと、全く別の映画を観ているような感覚になる。
当然、前半の物語は全くおもしろみも新しさもないわけだから、感情移入できるはずもない。
そこに侵略が始まってしまうから、興奮も半減である。
もっと見せ場をちりばめておけば、冗長にならずに済んだものを、まことに残念である。
そして、最も肝心な視点がこの映画では抜け落ちている。
それは「人間」ということだ。
オートボットと、ディセプティコンが戦うのはいいだろう。
もはや犬と猿が仲が悪いのとほとんど同じレベルなのだから。
けれども、そこに巻きこまれている人間たちがほとんどいないのと同じ状態であるのはいただけない。
カーリーに関して言えば、なぜサムが彼女を好きになったのか、理解できない。
カーリーが好いてくれるから、サムも好きなのかと疑ってしまうほどだ。
オートボットとともに戦おうとするサムを応援してみたり、そうかと思うといきなりパーティに行かずにディセプティコンに対抗しようとするサムに激昂したり。
ラストにはディセプティコンの総大将をそそのかしたり。
彼女のキャラクター設定がほとんどないに等しいので、物語は盛り上がらない。
足しか見せ場がなくて、いなくてもいてもどちらでもいいじゃない、と思えてしまう。
サムに関しても、今回は完全に蚊帳の外だ。
以前まではメガネをもっていたり、かけらをもっていたり、物語のキィを握っていた。
今回は完全に「地球のために一肌脱ぐ、おせっかいなやつ」である。
ジョン・マルコヴィッチにしてもキャラが今ひとつ確定していないし、圧倒的に不利なのを承知でシカゴに向かったはずの引退兵士も弱音を吐くし。
とにかく、人間がいない。
ただオートボットに紛れて戦えば人間も戦ったことになるのではない。
今回の戦争は、巻きこまれただけだ。
そんな映画、面白いはずがない。
ストーリーを考えずドンパチ目的で観ると、個人的には満足な映画でした。
メガトロンはディセプティコンの1体ですね。
サイバトロンが種族・星の名前だったかと。
夏ばてですね。
冷たいものを飲み過ぎで、胃腸が弱っているためか、ずっと下痢です。
その上たくさん食べたり夜遅く食べたりするのでもろに体調に悪影響があります。
体力も落ちているので、すぐにへばってしまう。
そうなると体だけではなく、心まですぐに集中力がなくなるようで……。
痩せようかと考えています。
おなか周りの肉をとることで、胃腸へのいたわりにもなるかと。
コメントありがとうございます。
間違いは後日訂正させていただきます。
すみません。
3Dはかなりこなれてきた印象はあります。
きちんと見所は作っていました。
ビルを倒すことが社会的に許されたことに時代の流れの速さを感じます。
このシリーズが好きなだけに、どんどんチープな物語になっていくのが悲しいです。
まだまだ水分補給は必要ですから。
先日二度目を吹替にて観てきました(一度目は字幕)。
吹替の方が動きをしっかり追え、変形は楽しめたのですが
やはり二度目だけあってアラもよく分かりました(苦笑)
シカゴでの、バンブルビーがサムとレノックスをキャッチ
→ビー達と「合流」する予定
→ビー達捕虜(いつの間に?)
は特に酷いように思います。
空軍降下も危険なだけで意味が無い。川から進入できてますし。
オートボットがアメリカのコマのような扱いをされていたり、
アイアンハイドの死に悲しむ描写が全くなかったり、
その上メガトロンの最期ときたら・・・
旧来のファンの方は「うーん」ってなりそうですね。
実は少し前に鋼の錬金術師も観たのですが、
アクション派手・ストーリーないがしろ気味が続いてしまいました。
本文訂正前のようなのでついでに。
彼女は「カーリー」ではないでしょうか。
指摘ばかりですみません。
長文失礼致しました。
先日少し走りました。
痩せるためと、例のマラソンに参加するためです。
相当疲れました。
ペースも遅くて辟易しましたが、それでもやはり走るのは楽しいものです。
これで夏バテを一気に解消!と思っています。
台風で今日明日走れるか不安ですが。
コメントありがとうございます。
まだ訂正できていなくてすみません。
近日中に訂正する予定ですが、なんだかずっと仕事が詰まっていて、後回しになっています。
仕事のサイクルをなんとかしないと、映画を見ることさえもままなりません。
言われてみれば、あのパラシュート作戦の意義は全く分りませんね。
米軍の見せ場を作りたかったのではないでしょうか……。
今年のラジー賞候補に名前があがることは間違いないでしょう。