secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ナルニア国物語 ライオンと魔女

2009-05-23 15:59:13 | 映画(な)
評価点:28点/2005年/アメリカ

監督:アンドリュー・アダムソン

「子供だましの映画」の域にも達していない。

第二次世界大戦中、ドイツ軍による激しくなる空爆から逃げるため、四人の兄弟を田舎へと疎開することに決める。
疎開先の館には、教授が住んでおり、四人は厳しい規則に縛られることになった。
ある雨の日、暇をもてあそんでいた四人は、かくれんぼをしはじめる。
一番下の妹ルーシー(ジョージー・ヘンリー)が、洋服ダンスしかない部屋に忍び込み、その洋服ダンスに入ると、通り抜けてしまい、そこは冬の森だった。
タナトス(ジェームズ・マカヴォイ)という半鹿人が現れ、ここはナルニア国であるという。
しかし、ナルニア国は王女により、冬の時代が続いているのであるという。
タナトスのもてなしを受けて、ルーシーが、タンスから戻ると、現実は全く時間が進んでいなかった。
必死に説明するルーシーだったが、三人の兄弟は全く信じてくれず……。


「指輪物語」と並ぶほどの名作と言われた「ナルニア国物語」の映画化である。
「ハリー・ポッター」や「ロード・オブ・ザ・リング」など、ファンタジー大作のハリウッド映画化がはやっている流れを、ディズニー映画もついだ形だと言っていいだろう。
日本にはあまりなじみがないため、それほど熱狂しているわけではないように感じる。
だから、イマイチ話題性に欠け、どうしても前の二つのシリーズの二番煎じである印象がぬぐえない。

しかも、ディズニー映画であることもあり、正直、期待するほどの「大作」であるとも言い難い、そんな期待だった。
映画の良し悪しは度外視しても、商業的に失敗した感は否めないだろう。
 
▼以下はネタバレあり▼

ディズニー映画であるため、本作のターゲットは明確に子供である。
大人にも人気の 「ハリー・ポッター」や、大人こそ観るべきである「ロード・オブ・ザ・リング」とは色が違う。
まずそれを知っておかなければ、肩すかしを食らうだろう。
二番煎じに見えて、実は間口が狭い、これは明らかにマイナスだろう。
だが、問題はそんなことではない。
やはり完成度が低いことは、どんな言い訳もできないだろう。

そもそも、子供向け映画というのは、子供にも分かりやすいということであって、大人向け映画より完成度が低い、というのではない。
むしろ、子供にもよく分かる映画を作ることは、大人向けの映画よりも、さらに困難さが伴うだろう。
その意味で、この映画は子供向け映画ではなく、「子供だましの映画」である。

この映画は、最初から最後まで平べったい物語である。
薄すぎてびっくりするほどだ。
複雑な映画が良いというつもりはないにしても、あまりに薄いため、誰にも感情移入できないし、誰も共感的理解ができない。

話全体を考えるなら、やはりこの映画も、「往来型」の物語である。
タンスという「門」をくぐることによって、異世界であるナルニア国と、現実世界の大戦中の英国とを往来するのである。

冒頭、疎開するまでの過程が非常に丁寧に描かれる。
両親の不在。父への思い。遠く離れた田舎暮らし。兄弟の関係。などなど、丁寧に描かれる。
ただ、ここで決定的に欠落しているのは、兄弟それぞれのキャラクターである。
母親役、父親役をする二人の兄と姉については、ある程度推し量ることができるが、下二人、とくにエドマンド(スキャンダー・ケインズ)に関するシーンが少ないため、四人の色分けとしては弱い。
比較的良くできた映像の空爆シーンなどを撮るくらいなら、もう少し個々の差異について描くべきだっただろう。
冒頭で数多くの伏線や設定をみせられなかったことは、残念だ。
この時点で、薄っぺらい人間性しか描き出せないことが決定したようなものだ。

そして、結局ナルニア国に四人が訪れるのは映画が始まって、一時間近くたった後だ。
そのわりには、個々のキャラクター性が見えてこないため、映画としてつらいものになった。
その中で、この映画の一番の見せ場になっているのは、タナトスとルーシーとのやりとりだ。
タナトスの容姿も手伝って、ナルニア国の世界観を魅力的に見せているシーンである。
この映画は、このシーンが一番魅力的であり、一番面白いシーンになっている。
そしてその事実は、それ以降の物語がいかに退屈かを逆説的に示している。

ナルニア国に入国すると、ますます説明不足でますます薄っぺらくなっていく。
水が上から下に流れるように、よどみなく物語が進み、そこに疑問や伏線、謎などは一切無い。
氷の女王がなぜナルニア国にこだわるのかも分からないし、アスランも、話題になっているわりには、ナルニア国での地位がイマイチつかめない。
なぜ百年も氷の世界なのか、なぜ人間を恐れるのか……。
それがわからないから、危機感も生まれない。
既に100年も経っているが、それ以降どうなるのかピンとこないので、今こそ立ち上がるべきだ、という切実さが感じされない。
特に不都合がないなら、このまま別に春が来なくても良いのでは? とさえ思ってしまう。

ナルニア国についての立体性が感じられないのだ。
だから、戦っているという感覚、戦わないといけないという使命も感じない。

そうこうしているうちに、突然そりに乗ったおっさんが現れる。
日本人の文化ではサンタクロースは赤色であることが条件なので、彼はどこぞのおっさんなのか、一目見ただけではわからない。
しかも、プレゼントを渡すが、そのプレゼントについての説明も全然足りない。

ピーター(ウィリアム・モーズリー)に渡した剣の持つ意味合いは、必ず説明しておくべきだった。
なぜなら、彼は単なる市民で、戦争から逃げるために田舎に来た、本当に普通の青年なのだ。
その彼に、いきなり立派な剣を渡したところで、解決策になるとはとうてい思えない。
なぜくれたのかも、よくわからない。
突然現れて、突然剣を押しつけても、「はあ、そうですか」くらいの感動しか持てない。

そのあとはトントン拍子だ。
まったく迷うことなく解決に向かっていく。
途中アスランが殺されるという事件が起こるが、ぜんぜん悲壮感がない。
なぜなら、死を強く感じさせるはずの「血」を見せないからだ。
その後復活した所で、感想は「なんて都合の良い映画なのだ」くらいだ。

一番の見せ場であるはずの戦いについても、臨場感に欠ける。
様々なキャラクターが登場するが、ただ登場するだけだ。
彼らは単なる一兵士に過ぎない。
名前もわからなければ、性格もわからない。
どういう種族なのか、どういう動機で戦っているのか、必殺技は何なのか。
一切明らかにされないから、その戦いに何らかの感情を込めて観ることが不可能なのだ。

第二次世界大戦中の空爆を意識したと思われる空中からの投石も、戦略的にすごいのかもしれないが、そのすごさを演出しないから、
「なんか鳥が石運んできたわ」程度にしか思えない。
感情をかき立てられない戦争ほど、見るに堪えないシーンはない。

とうぜん、物語として、主人公達は負けるはずがないのだから、負けるかもしれないという発想に陥ることもない。
これに興奮しろというほうが無茶である。
子供であろうと、大人であろうと、感情をかき立てられないものに、感動したり、泣いたり、興奮したりすることはできない。
なぜディズニーという老舗がそんな基本的なことを忘れてしまったのか、疑問だけが残る。

そして、ラスト。
何事もなかったかのように、日常に復帰する。
けれど、それがあれだけ丁寧に描いた「日常」とどのように関連するのか、よくわからない。
とにかく戻ったという感覚はあるだけがあり、物語として「閉じた」という冒頭との呼応の関係はない。
だから、当然、カタルシスなど感じられない。

結局なんだったのだ、という映画だ。
これを七作も続けられたのでは、観る方はたまったものではない。
次の作品がどのような出来に仕上がるか。
その出来次第では、「糞」の烙印を押されかねない。
今のクオリティでは、むろん「糞」である。

(2006/3/22執筆)

残念ながら、次回作を観る機会を逸してしまっている。
レビューを見る限り、全く「残念」だとは思えないわけだが。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 星になった少年(V) | トップ | クラッシュ »

コメントを投稿

映画(な)」カテゴリの最新記事