評価点:78点/2014年/アメリカ/118分
監督:ダン・ギルロイ
つながりのない彼は無敵か。
アメリカの最下層で生きるブルーム(ジェイク・ギレンホール)は、その日暮らしをしていた。
家と車はいちおうあるが、職はなく、電線やマンホールを盗んでそれを業者に売ることを生業としていた。
ネットを見ながら会社勤めを夢見ているが、どこも雇ってくれない。
ある日、そんな彼が夜中車を走らせていると、事故に遭遇する。
その事故現場に訪れたのは、救急車やパトカーだけではなかった。
事件と事故を専門に狙う業者が様子を撮影し去って行った。
その様子を見たブルームは、これを生業にできないかと考え始め……。
「ブロークバック・マウンテン」のジェイク・ギレンホール主演の作品。
映画館に足を運びたかったが、結局いつも通り見ることができなかった。
子どもを寝かしつけている奥さんを尻目に、夜DVDで鑑賞した。
こういう映画があるから、映画鑑賞を止められない、そんな示唆に富んだ映画だった。
▼以下はネタバレあり▼
映画の雰囲気を味わいながら、私はデ・ニーロの「タクシー・ドライバー」や、トム・クルーズの「コラテラル」、そしてデンゼル・ワシントンの「トレーニング・デイ」などを思い出していた。
テーマとしては、「タクシー・ドライバー」に近いだろうか。
これだけ多くの作品が世の中に出されているので、この作品が一つの時代を象徴するほど注目されるかどうかはちょっとわからないが、この作品も一つの時代を象徴した作品ではないかと感じさせられる。
その点において、「タクシー・ドライバー」と類似している。
必要なことはすべてネットが教えてくれた。
彼は無学でありながら、インターネットで受けられる無数のノウハウをたたき込み、ドキュメンタリー映像を撮ろうとする。
驚異的なのは、彼には何もないことだ。
守りたいものも、しがらみとなる人間関係も、なにもない。
だから、映像を撮るとき、そこに感情的なものは一切生まれてこない。
冷徹なまでに、カメラに同化してしまう。
彼に才能があるとすれば、それは、自分を止めるブレーキが何一つないことだ。
犯罪だって犯すし、恩をもらった相手も脅す。
他人は自分のためだけに存在し、目的のためなら手段を選ばない。
彼の唯一の法則は、のし上がっていくことだけだ。
それも大きな野心があるわけではない。
強い動機や志があるわけではない。
ただ、彼にはそれができるというだけである。
だから、強いのだ。
その彼は天賦の才能があったからそうなったわけではない。
やはり、何もなかったからそうなったのだ。
すべてはネットに教えてもらった。
彼の真実はネットにしかないし、目の前にあるのは、リアルでありながらリアルじゃない。
彼は、ネットによって生み出されたある意味で時代の寵児なのだ。
だが、おもしろいのはその点ではない。
彼はネットという時代の象徴的なツールから生み出された人間でありながら、その「流れ」の中にはいないという逆説的な存在である。
それが故に、彼は周りの人間に影響されることはなく、逆に周りを彼から影響を受けることになる。
ほとんどの人間が現代社会の流れの中で自分を見出すのに対して、彼はその流れが断ち切られている故に、流れを生み出すのだ。
ふつうの人間が海の波であれば、彼は渦の中心の一点のようなものだ。
波は多くの波といっしょに流れを作るが、渦の一点は停止している。
しかし、その流れはどんどん周りを巻き込み大きくなっていく。
テレビ・プロデューサーのニーナ(レネ・ルッソ)が彼によって自分を変革されていくのはそのためだ。
彼女はしがらみのなかで生きている。
だから他者に影響され続けるが、彼はそんなしがらみがない。
だから、彼に引き寄せられ、身も心も飲み込まれてしまうのだ。
しかし、その彼を作ったのは、間違いなく、現代社会、そしてその一因はテレビにある。
彼を作ったものが、彼によって、変革されていく。
時代に産み落とされた最下層の人間によって、それ以外の人間が影響されていく。
まさにネットの時代を象徴するような展開だ。
そして、そうすることでしか彼は生き残れなかった。
現代のアメリカン・ドリームはこういうストーリーなのかもしれない。
私はこの映画を観て、あこがれよりも嫌悪を抱いた。
それは、私が古いタイプの人間であるからだろう。
時代を担う人間の主導権は、確実に変化していっている。
まあ、私が主導権を握ったことなどないけれどね。
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