評価点:58点/2019年/アメリカ/121分
監督:ティム・ミラー
伝説的名作と商業主義とに翻弄されたフェイト。
1997年の審判の日を回避したサラ・コナーだったが、その後も未来からの使者は送られてきた。
1998年に、その一人のT800型に、ジョンを殺されてしまう。
それから22年後、メキシコで突如二人の男女が時空から来訪する。
一人はグレース(マッケンジー・デイビス)という強化人間。
もう一人はRav-9と呼ばれるターミネーター(ガブリエル・ルナ)だった。
ターミネーターはダニー(ナタリア・レイエス)という一人の女性の命を狙っていた。
グレースはすんでの所でダニーを救い出し、すぐに逃げろと訴える。
ナンバリングされていないが、「T6」と言えるターミネーターの最新作。
ジェームズ・キャメロンが製作に復帰したことで、サラ・コナーのリンダ・ハミルトンも復帰した。
トレーラーではしきりに「正統な「T2」の続編」と謳われている。
私はがっつり「T2」を見て育った世代なので、当然気になる作品ではある。
だが「ジェネシス」でひっくり返したあげく、さらに本作でもひっくり返されるとなるとその期待は下がらざるを得ない。
正直に言えば、もはやどうでもいい。
時間があったからたまたま見ることになったが、そういうテンションで見た映画である。
結果、やはりというか、名作を汚す出来でしかなかった。
私はもうこのシリーズから見切りをつけて、新しい伝説的な映画を製作することをおすすめしたい。
▼以下はネタバレあり▼
この映画の根本的に面白くない、面白くなるはずがない原因は、映画の完成度にはない。
これだけ迷走して「T6」まで積み上げてきたのに、観客はずっと「T2」の亡霊を追わされている。
だから、絶対にこの映画が成功するはずがないのだ。
私はこの映画の冒頭からそういうことを考えていた。
そもそも「T4」まで続いていたナンバリング作品を、「ごめんやっぱりおもしろくないから、あれなかったことにして」という作品を二つも続けられた。
「ジェネシス」にしても「ニューフェイト」にしても、結局、観客を小馬鹿にした作品に見えてしまう。
どれだけ感動させる映画にしても、その「ごめんなかったことにして」と言われても、この映画のエンドロールで感じることは、「ああこの映画もなかったことになるのね」という徒労感だ。
面白い映画になるはずがない。
タイムトラベルを利用して、私たちは巨大な商業主義的な作品改編を体験させられている。
これなら、もうなんでもいいんじゃないか。
どんな物語も、結局はご破算にされてしまうのではないか。
むしろ私はだからこそ、「T5」から作った方が良い、と思う。
このフェイトは、リージョンであろうがスカイネットであろうが、どちらにしても絶対に成功することがない(観客を満足させるだけの完成された映画を作ることは原理的に不可能である)運命を背負わされたという「FATE」である。
面白くないことから、逃れられないのだ。
それが端的にあらわれているのが、冒頭のジョンが殺されるシーンだ。
私に言わせれば、あのシーンによって一気に、観客は、特に「T2」のファンだった観客は、冷めてしまうのだと思う。
あれだけ長い間愛したあの名作が、冒頭の一瞬で「ジョン死にました~」とひっくり返されてしまうのだ。
私はずっこけそうになった。
「うそ! この映画は「T2」の正統な続編じゃなかったの?!」
そのはしごを外された感じは、結局「やっぱり面白くなかったじゃん」という結論で閉じられるしかないのだ。
あまりに腹が立ったので、ここまでは私の感情論だ。
さて、よくよく見れば、映画として、物語として非常にうまく撮られている。
物語的な記号をうまくかみ合わせてある。
例えば、ジョンを失ったサラが、ダニーにジョンを見ることが出来るように、また「守れなかった者」を守るチャンスが与えられること。
有り得たかも知れないジョンとの幸せな風景を、T800を通してみることができたようなシークエンスがあること。
多様性を意識したキャストと、現代の国境を越えていくというメタファーが意図された物語展開。
自分を変えてくれたダニーを、変えるためにグレースが未来から来る、というカイル(マイケル・ビーン)と二重写しになっていること。
こういう記号的なうまさは、さすがだと思う。
だが、そこに感情移入する前に、それをそいでしまう要素も多々ある。
冒頭のジョン惨殺(いや、ほんとうに惨殺)事件だけではない。
SFとしての、??が浮かぶ場面があるのだ。
まず1991年に送り込んだ後、1998年にジョンを殺させるT800を送るわけだが、なぜかT800型だ。
さらに1998年に1体、その後何体かを送ってきたようだが、なぜ2体送らなかったのだろうか。
2体送ることができれば、殺傷確率はかなり上がったはずだ。
時空の関係なのかもしれないが、今回は敵味方で1体ずつ立て続けに送られている。
ということは、2体以上送る可能性があったわけだ。
リージョンはアホなのか。
また、何度も送ってきていることを考えると、未来での闘いが、過去の抹殺には影響がないことを逆に示してしまうことになる。
もし過去で抹殺できたことが送っている現在(未来)に影響を与えるなら、もう送ってこないはずだからだ。
(未来の同時期に立て続けに送っているなら、それこそ毎日送って殺傷確率をあげたほうがいい)
ということは、送っても意味がない(どうせ成功しないか、成功しても送る側の時代は変えられない)ということが分かっているのだ。
だったらやっぱり、このAIはアホなのか。
このあたりの説明は、次回作にしてもらうはずなのだが、おそらく興行収入的に不可能なので、結局お蔵入りになるだろう。
もちろんこういうSF的矛盾だけではない。
物語として、決定的な陥穽は、T800(シュワちゃん)が心を理解しているという点だ。
ここは物語として「絶対にすっとばしてはいけない過程」だったはずだ。
目的がなくなったから、悲運な親子を助けてあげた?
愛というのを理解できるようになってきた?
息子を失ったサラの気持ちが、わかるようになった?
それは無理だろう。
「T2」でそのようになりえたのは、それは守るようにプログラミングされたT800だったからだ。
抹殺するようにプログラミングされていたのに、それが「やっぱり人間っていいな」みたいな変更は、かなり無理がある。
それなら雷に打たれた、とかプログラミングが一度初期化されたような設定を与えなければならなかった。
T800はもはや人間(というかシュワちゃん)として登場する。
その都合の良い設定は、やはりターミネーターとしての魅力が減退させられてしまう。
T800が年老いていることも意味が分からない。
人工皮革で覆われているはずだから、人間のようには劣化しないはずだ。
それなのに、違和感なく「年老いたターミネーター」として登場できるのは「ジェネシス」でそういう設定がされていたからだろう。
それは、結局「なかったことにして」といったのに、「そこだけはあったことにして」という都合の良さが見え隠れする。
もう本当にげんなりだ。
それ以外にも、不思議な点が絶えない。
米軍が飛行機を乗っ取っても協力的だったり、何も武器がないことがわかっているのに、「ここがキルボックスだ」と感情的なことを言い始めたり。
ヒロインのダニーは、なぜか急にこの超現実的な状況に適応して「やったろうやんけおら~」というファイターになったり。
アクションが派手になっていたり、見せ方がうまかったり。
そういうことよりも、物語に没入するための前段階でつまずかされる。
リンダ・ハミルトンもシュワちゃんも、キャメロンも、こういう同窓会は卒業して新しい名作を作り出すために尽力してもらいたい。
もう、このシリーズの甘い汁をすするということをターミネートするべきだ。
監督:ティム・ミラー
伝説的名作と商業主義とに翻弄されたフェイト。
1997年の審判の日を回避したサラ・コナーだったが、その後も未来からの使者は送られてきた。
1998年に、その一人のT800型に、ジョンを殺されてしまう。
それから22年後、メキシコで突如二人の男女が時空から来訪する。
一人はグレース(マッケンジー・デイビス)という強化人間。
もう一人はRav-9と呼ばれるターミネーター(ガブリエル・ルナ)だった。
ターミネーターはダニー(ナタリア・レイエス)という一人の女性の命を狙っていた。
グレースはすんでの所でダニーを救い出し、すぐに逃げろと訴える。
ナンバリングされていないが、「T6」と言えるターミネーターの最新作。
ジェームズ・キャメロンが製作に復帰したことで、サラ・コナーのリンダ・ハミルトンも復帰した。
トレーラーではしきりに「正統な「T2」の続編」と謳われている。
私はがっつり「T2」を見て育った世代なので、当然気になる作品ではある。
だが「ジェネシス」でひっくり返したあげく、さらに本作でもひっくり返されるとなるとその期待は下がらざるを得ない。
正直に言えば、もはやどうでもいい。
時間があったからたまたま見ることになったが、そういうテンションで見た映画である。
結果、やはりというか、名作を汚す出来でしかなかった。
私はもうこのシリーズから見切りをつけて、新しい伝説的な映画を製作することをおすすめしたい。
▼以下はネタバレあり▼
この映画の根本的に面白くない、面白くなるはずがない原因は、映画の完成度にはない。
これだけ迷走して「T6」まで積み上げてきたのに、観客はずっと「T2」の亡霊を追わされている。
だから、絶対にこの映画が成功するはずがないのだ。
私はこの映画の冒頭からそういうことを考えていた。
そもそも「T4」まで続いていたナンバリング作品を、「ごめんやっぱりおもしろくないから、あれなかったことにして」という作品を二つも続けられた。
「ジェネシス」にしても「ニューフェイト」にしても、結局、観客を小馬鹿にした作品に見えてしまう。
どれだけ感動させる映画にしても、その「ごめんなかったことにして」と言われても、この映画のエンドロールで感じることは、「ああこの映画もなかったことになるのね」という徒労感だ。
面白い映画になるはずがない。
タイムトラベルを利用して、私たちは巨大な商業主義的な作品改編を体験させられている。
これなら、もうなんでもいいんじゃないか。
どんな物語も、結局はご破算にされてしまうのではないか。
むしろ私はだからこそ、「T5」から作った方が良い、と思う。
このフェイトは、リージョンであろうがスカイネットであろうが、どちらにしても絶対に成功することがない(観客を満足させるだけの完成された映画を作ることは原理的に不可能である)運命を背負わされたという「FATE」である。
面白くないことから、逃れられないのだ。
それが端的にあらわれているのが、冒頭のジョンが殺されるシーンだ。
私に言わせれば、あのシーンによって一気に、観客は、特に「T2」のファンだった観客は、冷めてしまうのだと思う。
あれだけ長い間愛したあの名作が、冒頭の一瞬で「ジョン死にました~」とひっくり返されてしまうのだ。
私はずっこけそうになった。
「うそ! この映画は「T2」の正統な続編じゃなかったの?!」
そのはしごを外された感じは、結局「やっぱり面白くなかったじゃん」という結論で閉じられるしかないのだ。
あまりに腹が立ったので、ここまでは私の感情論だ。
さて、よくよく見れば、映画として、物語として非常にうまく撮られている。
物語的な記号をうまくかみ合わせてある。
例えば、ジョンを失ったサラが、ダニーにジョンを見ることが出来るように、また「守れなかった者」を守るチャンスが与えられること。
有り得たかも知れないジョンとの幸せな風景を、T800を通してみることができたようなシークエンスがあること。
多様性を意識したキャストと、現代の国境を越えていくというメタファーが意図された物語展開。
自分を変えてくれたダニーを、変えるためにグレースが未来から来る、というカイル(マイケル・ビーン)と二重写しになっていること。
こういう記号的なうまさは、さすがだと思う。
だが、そこに感情移入する前に、それをそいでしまう要素も多々ある。
冒頭のジョン惨殺(いや、ほんとうに惨殺)事件だけではない。
SFとしての、??が浮かぶ場面があるのだ。
まず1991年に送り込んだ後、1998年にジョンを殺させるT800を送るわけだが、なぜかT800型だ。
さらに1998年に1体、その後何体かを送ってきたようだが、なぜ2体送らなかったのだろうか。
2体送ることができれば、殺傷確率はかなり上がったはずだ。
時空の関係なのかもしれないが、今回は敵味方で1体ずつ立て続けに送られている。
ということは、2体以上送る可能性があったわけだ。
リージョンはアホなのか。
また、何度も送ってきていることを考えると、未来での闘いが、過去の抹殺には影響がないことを逆に示してしまうことになる。
もし過去で抹殺できたことが送っている現在(未来)に影響を与えるなら、もう送ってこないはずだからだ。
(未来の同時期に立て続けに送っているなら、それこそ毎日送って殺傷確率をあげたほうがいい)
ということは、送っても意味がない(どうせ成功しないか、成功しても送る側の時代は変えられない)ということが分かっているのだ。
だったらやっぱり、このAIはアホなのか。
このあたりの説明は、次回作にしてもらうはずなのだが、おそらく興行収入的に不可能なので、結局お蔵入りになるだろう。
もちろんこういうSF的矛盾だけではない。
物語として、決定的な陥穽は、T800(シュワちゃん)が心を理解しているという点だ。
ここは物語として「絶対にすっとばしてはいけない過程」だったはずだ。
目的がなくなったから、悲運な親子を助けてあげた?
愛というのを理解できるようになってきた?
息子を失ったサラの気持ちが、わかるようになった?
それは無理だろう。
「T2」でそのようになりえたのは、それは守るようにプログラミングされたT800だったからだ。
抹殺するようにプログラミングされていたのに、それが「やっぱり人間っていいな」みたいな変更は、かなり無理がある。
それなら雷に打たれた、とかプログラミングが一度初期化されたような設定を与えなければならなかった。
T800はもはや人間(というかシュワちゃん)として登場する。
その都合の良い設定は、やはりターミネーターとしての魅力が減退させられてしまう。
T800が年老いていることも意味が分からない。
人工皮革で覆われているはずだから、人間のようには劣化しないはずだ。
それなのに、違和感なく「年老いたターミネーター」として登場できるのは「ジェネシス」でそういう設定がされていたからだろう。
それは、結局「なかったことにして」といったのに、「そこだけはあったことにして」という都合の良さが見え隠れする。
もう本当にげんなりだ。
それ以外にも、不思議な点が絶えない。
米軍が飛行機を乗っ取っても協力的だったり、何も武器がないことがわかっているのに、「ここがキルボックスだ」と感情的なことを言い始めたり。
ヒロインのダニーは、なぜか急にこの超現実的な状況に適応して「やったろうやんけおら~」というファイターになったり。
アクションが派手になっていたり、見せ方がうまかったり。
そういうことよりも、物語に没入するための前段階でつまずかされる。
リンダ・ハミルトンもシュワちゃんも、キャメロンも、こういう同窓会は卒業して新しい名作を作り出すために尽力してもらいたい。
もう、このシリーズの甘い汁をすするということをターミネートするべきだ。
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