secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

つぐない(V)

2015-05-31 09:34:19 | 映画(た)
評価点:82点/2007年/イギリス/123分

監督:ジョー・ライト

見事な構成。完璧な音楽。

1935年、イギリス。
戦争の足音が大きくなり始めた頃、富豪の娘ブライオニー・タリスは兄が帰郷すると聞いて芝居を書いた。
しかし、いとこたちはだれもそれに協力してくれない。
途方に暮れていると姉のセシーリア(キーラ・ナイトレイ)と、家の庭師ロビー(ジェームズ・マカヴォイ)との不穏なやりとりを目撃してしまう。
それは幼心にも、「不潔」なものだった。
その夜、いとこの双子の男の子がその姉ローラと喧嘩して家出してしまう。
ロビーをはじめとして多くの者が二人の捜索を行っているとき、ブライオニーはローラが何者かに襲われている様子を目撃してしまう。
犯人を見なかったというローラを遮り、ブライオニーは犯人を見たと証言する。

職場の同僚に、「見て欲しい」と言われて1年近く経った今になって見ることにした。
何度かレンタルしていたが、結局見られずに返す、ということが続いていた。
その人から言われていたのは、「とにかく見終わった後へこむ」ということだった。
どういう意味で「へこむ」のか、気になっていたわけだが、私はこういう映画が大好きだ。

ストーリー展開もさることながら、映画の画の変化や音の変化を楽しむこともできる。
英国アカデミー賞受賞もうなずける一作になっている。
監督はジョー・ライト。
「プライドと偏見」を撮ったスタッフで、同名の小説を映画化している。
原作も気になるところだが、読んでいない。
読むつもりなら、先に読んだ方がいいだろう。

▼以下はネタバレあり▼

ほとんど予備知識なしで見た。
公開当時から話題になっていたのは知っていたが、見にいかずじまいだった。
TSUTAYAで二回ほど借りて、やっと見ることになった。

物語の時間は、大きく三つに分かれている。
幼少時代、戦争が激化するその4年後、そしてそのことを記す〈現在〉である。
主な登場人物は三人で、夢想好きな妹のブライオニー、姉のセシーリア、使用人として働きながら大学進学を目指すロビーである。
冒頭、いきなり時間が混濁することで、見る方は少し戸惑う。
セシーリアとロビーが何かのやりとりをしているところを、ブライオニーが目撃する。
目撃したブライオニーは何が起こっているのか分からない。
しかし、それが「不潔なもの」であるということは感覚的に見抜いてしまう。

もう一度語り直されるのは、その出来事が視点人物のブライオニー以外の目から補完されるためだ。
それがわかるのは終盤まで待たねばならない。
しかし、冒頭でのこの違和感は、ラストまで繰り返されることになる。
ただ、このように同じシークエンスを様々な視点から描き直されることによって、際立つのはブライオニーが視点人物であるということだ。
ブライオニーの視点を大切にしていることが強調されることによって、この物語はセシーリアとロビーの関係を、ブライオニーから描く物語なのだということが読者に印象づけられる。

物語が描かれる順に話をたどっても意味はあるまい。
もう少し整理した形で物語を確認しておく。
ブライオニーはロビーに恋をしていた。
それは初恋という彼女にとっては未知の体験だった。
彼女はロビーを試す。
「あたしのことを愛しているか」と。
そのために庭の川に飛び込んでみたりする。
その彼女はいつしかロビーとセシーリアとの関係はただならぬ者であると気づく。
だから、彼女が兄のために脚本した戯曲は、愛し合っていても「分別は必要だ」という内容になる。

その文脈で考えていたから、ロビーが割ってしまった花瓶を噴水の中まで潜って拾う姉の姿はただならぬ気配を感じたのだ。
彼女は直観する。
「この二人は愛し合っているのだ」と。
そこには何の意味内容を受け取ることができない人もいるだろう。
しかし、彼女はこの場面にただならぬ気配を感じたのだ。
なぜなら彼女もまた恋をしていたから。

ロビーの愛を奪ったセシーリアは恋敵になってしまった。
だからロビーからの手紙をこっそり読み、だから二人の関係を疑っていた彼女は図書室での出来事を目撃してしまう。
ブライオニーはすでに「女」だった。
だから、2人の関係を引き裂くことにためらいはない。
ローラが襲われた様子を見た彼女は「ロビーが犯人だった」と断言するのだ。
(もちろん、女が嫉妬深いから、という意味ではない。
彼女は「少女」ではなく、男を男として認識できるほどにすでに「女」だったということだ。)

この証言によって2人の関係は決定的に切り裂かれてしまう。
刑務所に入れられたロビーは徴兵に志願し、フランスでドイツと闘うことを決める。
そうしなければ、イギリスでセシーリアと再会できる可能性が低いと考えたからだろう。
また、セシーリアもまたナースの道を選ぶ。
それは、時代が求めていたということもあるだろう。
もう一つは、あの貴族の家で生きていくことはできないと考えたからだろう。
ナースというのは、戦時中であれば全く疑われることのない名誉ある、勇気ある職業だ。
彼女は半ばナースという職業に、自分を置くことで、運命に抗おうとしたのだ。

ロビーとセシーリアは再会し、イギリスでの再会の約束をする。
それは実質、戦争から帰ったら結婚しようという約束でもあった。
それを胸に生きていたロビーは、フランスからイギリスへ帰ることだけを夢見ていた。
しかし、それは叶うことはなかった。
セシーリアもまた、イギリスで数ヶ月後、命を落とす。

時代は変わる。
晩年を迎えたブライオニーは、キャスターから質問を受ける。
「この作品は事実なのですか」と。
この物語のほとんどが「作家ブライオニーの遺作」として出版されると伝えられる。
この物語は、メタフィクションとしての「劇中劇」だったわけだ。
だが、この作品自体が、彼女のつぐないだった。
彼女はこの作品の中で少しだけ嘘を書いたと告白する。

実際にはあり得なかった、セシーリアに謝罪しに行くという場面である。
彼女はここで、姉とロビーが再会を果たし、一夜をともにする姿を描いている。
そこで、直接2人に謝罪し、ロビーの冤罪が晴らされるように動くことを約束する。
だが、ここまで観ていた観客は、この出来事があり得ない違和感があることはすぐに分かる。
「あたしのもとへ戻ってきて」と約束した2人が、実は出兵前に逢っていたのは矛盾する。
だから、観客はこの状況がいまいち理解できない。

そこで明かされるのが「史実に込められた虚構」である。
この話が嘘だったから「ひどい」とか「騙された」と批判するのは不毛だろう。
この嘘がこの作品のテーマそのものなのだ。
ここでようやく同じシークエンスを二つの視点で描き直される理由が判明する。
1人は視点人物ブライオニーであり、もう一つはその他の証言を集めてきた客観視点である。

話を戻す。
作家はこの嘘が「読者に救いがないから」と理由を告白する。
しかし、私はそうは思わない。
この2人のあり得なかったやりとりがなければ、物語は物語にならないのだ。
この2人が一緒に生きられなかったつぐないに、一夜だけでもともにできたと書かなければ物語にならない。
それは、嘘でありながら、真実であり、物語の中だけでも逢瀬が叶ったと書くことが、2人の魂の弔いであり、解放なのだ。
贖罪でありながら、それは救済にさえ似ている。

しかし、それをそのまま「真実」として終わらせることもできない。
その美化そのものも、また新たな罪だからだ。

作家は二度嘘を吐いた。
一つは、女として、嫉妬から犯人を偽った。
もう一つは、作家として、戦争から逢瀬を偽った。
この〈告白〉そのものが、彼女の〈贖罪〉だった。

完璧な構成でありながら、シナリオと画面が見事に一致する。
不穏な危うさがある前半の画面は、戦争とは無縁な平和で、豪奢な描写が続く。
だが、戦争が始まるとこれでもかというほど残酷な描写に切り替わる。
その対比が余りにも鮮やかで、物語の方向性が全く見えなくなる。

彼ら3人はどうしようもない状況に陥った。
個人の感情という波と、戦争という世界の情勢の波だ。
それを見事に描いている。
米国アカデミー賞の作曲賞を受賞した、音楽もすばらしい。

〈語り〉と〈救済〉、そして〈贖罪〉。
周りとともに語りたくなる完成度だ。

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