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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

クレヨンしんちゃん モーレツ!嵐を呼ぶオトナ帝国の逆襲(V)

2015-06-29 19:50:05 | 映画(か)

評価点:85点/2001年/日本/89分

監督・脚本:原恵一

子どもからもらう、「生きろ」というメッセージ。

野原しんのすけ(声:矢島晶子)が住むカスカベでは、20世紀をモチーフにしたテーマパークがオープンして、大人たちは熱狂的にはまっていた。
子どもたちはその様子に戸惑い、不審に思っていた。
そんなある日、午後8時にその「20世紀博」からお知らせがあり、そのお知らせを聞いた野原みさえ(声:ならはしみき)、ひろし(声:藤原啓治)は人が変わったように寝付いた。
翌朝、大人たちは一斉に「20世紀博」に向かい、子どもたちだけが取り残されてしまう。

奥さんと話をしていて「あんた、オトナ帝国見てないの? それでよく映画サイトとかやってんな」と罵られたので、子どもが寝付いた時間帯にTSUTAYAでレンタルして見た。
「クレヨンしんちゃん」は大好きで、いくつか単行本も買っているが、DVDを借りて見たのは初めてだ。
ちなみに実写リメイクされた「戦国大合戦」も見ていない。

息子が生まれて、ほっぺが息子とそっくりだとよく話すようになった自分が、しんちゃんからの視点ではなく、ひろしからの視点で見るとどうなるのか。
そういう期待も込めて、今さらながら、見ることにした。

▼以下はネタバレあり▼

不覚にも泣いてしまった。
それは日本映画にはあまり感じられない、感動の涙というよりも、はらはらと涙がこぼれた。
そうだった。
自分もそうやって生きてきたのだ、ということをじわじわと思い出さずにはいられなかった。

21世紀を迎えたオトナたちは、必死に駆け抜けてきたはいいが、自分たちが思い描いていた未来とは違う世界を生きていた。
いや、それは誰にでも感じる共通の感覚だろう。
もっと21世紀は平和で、発展して、明るく、そして幸せな世界だと夢見ていた。
誰もがそういう大きな物語の中で高度経済成長を生きていた。
しかし、実際の21世紀はそうではなかった。

依然として世界では戦争が起き、日本の経済的成長は滞り、何かが足りない中で何かに引きずられるように「追われながら」生活している。
平和や豊かさを「追いながら」生きていた20世紀は見る影もない。
だから大人たちはみな言うのだ。
「あのころは良かった」と。
「あのころの自分はいまよりもっと輝いていたはずだ」と。
「20世紀博」を主催するイエスタデー・ワンス・モアの代表ケン(声:津嘉山正種)はそのことを強く意識していた。
こんなはずではなかった、こんな21世紀には「未来」はない。

私たちはすでに、多くの批評家が述べてきたように、この21世紀には「大きな物語」は存在しないことを知っている。
働けば給料が倍増し、きっと豊かにある。
豊かになれば、日本は戦後解体されてしまった日本人としての誇りを取り戻すことができる。
きっと、アメリカにも勝てるし、ソ連にも勝てる。
そんな「大きな物語」を、人々が共有することで生きていた。
しかし、21世紀にはそんな明確な物語は存在しない。
個々がバラバラになった社会では、多様化を求める余り、一体化は失われた。
自分がだれとどのように、つながり、どんなふうに生きていくのかを、誰も明確なヴィジョンを見いだせなくなった。

ケンは言う。
「あの20世紀のころにあった未来はもはや失ってしまった。
21世紀には未来はない。
過去の20世紀こそ、未来があるのだ」と。
あの頃がよかった、という感覚は誰もが持っている。
そしてそこには根拠などない。
今生きている自分が未来へ向けての方向性を見いだせない以上、過去にしか「物語」は見いだせない。
昭和のあの頃、人々は未来に向けて生きていた。
その未来は、未来にはなかった。
過去の、あのころにしかなかったのだ。

ケンはその世界を「匂い」で実現しようと試みる。
無味乾燥化した21世紀には、「匂い」はない。
〈身体〉の中で、21世紀に極度に研ぎ澄まされたのは視覚と聴覚だった。
そこには「匂い」はなかった。
あの懐かしい匂いは、機械ではできない。
人々が懐かしかった世界で息づくことで、初めて生まれるものだ。
多くの人が望むからこそ、20世紀博は実現できたのだ。

ケンは敵だろうか。
諸悪の根源なのだろうか。

私はそうではないと思う。
彼は、誰にでもある感覚を、追求したまでだ。
だから彼はラストで倒されない。
人々は鉄塔を走るしんのすけを見て気づくのだ。
夢中になれるものは、「過去にあった」のではなく、未来にもきちんと見いだせるのだ、ということを。

しんのすけはなぜあれほど必死になって走ることができたのか。
子どもたちが生きている世界は、あのとき私たちが生きていた世界と同じように、光輝いていることを証明したのだろう。
そこには、失われたと思っていた輝きがあった。
輝きは消えてしまったのではなく、未来はなくなってしまったのではなく、ここにあるのだということを証明したのだ。

だから人々は「匂い」を生み出せなくなってしまった。
自分たちが追い求めていた未来は、過去にはないことに気づいてしまったから。
大きな物語の有無で未来の有無が決まってしまうのではない。
ケンの恋人、チャコは、命を捨てようとして捨てきれなかった。
「死にたくない」という彼女は、どんなふうに生きていくのか。
しかし、彼女は生きていくだろう。
人は共通した物語がなくても、生きていくことはできる。
それでも、人は小さな物語は見つけることはできる。
その物語は「家族」かもしれない。
その物語は「夢」かもしれない。
だが、大切な人ケンがいる彼女にとって、その物語を「過去」ではなく、他のものに見出すことは難しくないはずだ。

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