本屋を物色していると、たまたま見つけた文庫本。
あまり興味もなかったのだが、海外でも評価されたという帯を見て買ってみた。
衝動買いするにはあまりにも積ん読が多く、そしてなかなかのページ数だった。
川上未映子の印象はほとんどなく、読んだこともなかったので過去との比較はできない。
主人公の夏子はアラサーになってもまだ独り身で、生活も安定していなかった。
幼少の頃から貧困で、小説家を目指して文筆生活を送っていたが、先は見えていなかった。
そんなとき、大阪に住むシングルマザーの姉が子どもを連れて、上京してきた。
話によれば豊胸の美容整形を考えているということだった。
冴えない街でスナックに勤務しているシングルマザーの姉が何のために大金を払って豊胸手術を行うのか。
全く話をしなくなったその娘緑子とともに、小さなアパートに押しかけてくるのだが……。
▼以下はネタバレあり▼
貧困、性、セックス、子どもを産むこと、不妊治療など、現代社会で問題にされることがモティーフになっている。
海外でも絶賛されているのはそうしたことを赤裸々に、ありのままに書こうとしているからだろう。
ストーリーを楽しむ物語、というよりは、作家を目指す夏子が自分の性のあり方や生き方とどのように向かい合っていくのか、という物語だ。
筋よりも、綴られる文体と逡巡する態度そのものがこの小説の魂だろう。
大阪出身の作家で、かつ、大阪にまつわる人間が出てくるので、大阪弁を知らない人には読みにくいかもしれない。
また、文体で言えば大阪弁と標準語がないまぜになるので、その点での読みにくさもある。
どこをどのように書き分けているのか、ちょっと分析したくもなる。
私たちは、女性の性について、あるいは女性から見た男性についての視点がいつも欠落している。
そうでなければ、LGBTQにまつわる問題や差別的発言が日常で飛び交うはずがない。
海外ではそれが過剰にオープンにされている印象だが、それでも足りないだろう。
私はフェミニストではないが、女性に対して誤解や偏見を持っているということをもっと多くの人が共有すべきだと思う。
それは単なる言葉狩りではない。
自分の性について、違和感を自然に語ることができる環境作りなのだと思う。
もちろん、語ることを拒むことも、語ることができないことを打ち明けることも必要だ。
タブーにすることなく、けれども話をしたければ自由に話ができる状況に、今はない。
どんな性的嗜好についてもタブーにするか、もしくは面白おかしくはやし立てるといった態度しかとられてこなかった。
人が人を好きになる。
人が自分の身体に対して違和感をもつ。
こういうごく当たり前に起こりうる感情を、社会的な圧力によって抑え込もうとしてきたことは、どんな立場の人であれ、共有すべき問題点であると感じる。
人権問題だ、差別だ、と声高に批判することは、ある意味では思考停止だ。
いろいろな意見を言い合う環境が整ってきたからこそ、真摯に語ることができる環境が今こそ必要だ。
日本は特に「ふつう」であることをとても大切にしてきた。
だが、その「ふつう」はたんなる思い込みでしかない。
そもそもそんなものはなかったのかもしれない、という視点に立つこと、それを促すのが、この作品だと思う。
あまり興味もなかったのだが、海外でも評価されたという帯を見て買ってみた。
衝動買いするにはあまりにも積ん読が多く、そしてなかなかのページ数だった。
川上未映子の印象はほとんどなく、読んだこともなかったので過去との比較はできない。
主人公の夏子はアラサーになってもまだ独り身で、生活も安定していなかった。
幼少の頃から貧困で、小説家を目指して文筆生活を送っていたが、先は見えていなかった。
そんなとき、大阪に住むシングルマザーの姉が子どもを連れて、上京してきた。
話によれば豊胸の美容整形を考えているということだった。
冴えない街でスナックに勤務しているシングルマザーの姉が何のために大金を払って豊胸手術を行うのか。
全く話をしなくなったその娘緑子とともに、小さなアパートに押しかけてくるのだが……。
▼以下はネタバレあり▼
貧困、性、セックス、子どもを産むこと、不妊治療など、現代社会で問題にされることがモティーフになっている。
海外でも絶賛されているのはそうしたことを赤裸々に、ありのままに書こうとしているからだろう。
ストーリーを楽しむ物語、というよりは、作家を目指す夏子が自分の性のあり方や生き方とどのように向かい合っていくのか、という物語だ。
筋よりも、綴られる文体と逡巡する態度そのものがこの小説の魂だろう。
大阪出身の作家で、かつ、大阪にまつわる人間が出てくるので、大阪弁を知らない人には読みにくいかもしれない。
また、文体で言えば大阪弁と標準語がないまぜになるので、その点での読みにくさもある。
どこをどのように書き分けているのか、ちょっと分析したくもなる。
私たちは、女性の性について、あるいは女性から見た男性についての視点がいつも欠落している。
そうでなければ、LGBTQにまつわる問題や差別的発言が日常で飛び交うはずがない。
海外ではそれが過剰にオープンにされている印象だが、それでも足りないだろう。
私はフェミニストではないが、女性に対して誤解や偏見を持っているということをもっと多くの人が共有すべきだと思う。
それは単なる言葉狩りではない。
自分の性について、違和感を自然に語ることができる環境作りなのだと思う。
もちろん、語ることを拒むことも、語ることができないことを打ち明けることも必要だ。
タブーにすることなく、けれども話をしたければ自由に話ができる状況に、今はない。
どんな性的嗜好についてもタブーにするか、もしくは面白おかしくはやし立てるといった態度しかとられてこなかった。
人が人を好きになる。
人が自分の身体に対して違和感をもつ。
こういうごく当たり前に起こりうる感情を、社会的な圧力によって抑え込もうとしてきたことは、どんな立場の人であれ、共有すべき問題点であると感じる。
人権問題だ、差別だ、と声高に批判することは、ある意味では思考停止だ。
いろいろな意見を言い合う環境が整ってきたからこそ、真摯に語ることができる環境が今こそ必要だ。
日本は特に「ふつう」であることをとても大切にしてきた。
だが、その「ふつう」はたんなる思い込みでしかない。
そもそもそんなものはなかったのかもしれない、という視点に立つこと、それを促すのが、この作品だと思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます