「日蝕」の平野啓一郎が出した新書。
本屋に平積みしていたので手に取ってみた。
残念ながら、そして恥ずかしながら、彼の作品は読んだことがない。
そろそろ手を出してみないといけないな、と思いながらこの本を買った。
アイデンティティについて違った観点が必要だろうという気もしていたからだ。
小説家らしい新書である。
作品自体に自己言及が多すぎて、ファンには少し悲しいかもしれない。
ここでこれだけ説明されてしまうと、読みが制限されてしまう可能性が高い。
私はほとんど頭に遺さないように読んだが、一読したことがある人なら、書いてほしくなかった点が多々あった気がする。
考え方自体はそれほど難解ではないし、それほど目新しいことではない。
アイデンティティという言葉(概念)じたいが、「分人」という考え方とそれほど矛盾しないからだ。
自分という存在が「関係性」の中でしか発見できないというのも誰もが知っていることだろう。
ただ、これまでの「個人」という概念にメスを入れたという点ではおもしろい。
いくつか違和感がある部分もあるが、悪くない本だった。
悲しいかな、こういう考え方ができない人が、この本を手に取ることはないだろうということだ。
他人を立体的に、多角的に、多様性あるものとして見るというのはなかなか難しい。
自己という存在とは何か、という哲学的思考をしない人こそ、この本を読むべきなのだが。
とりあえず、「日蝕」は読まんとあかんのかな……。
本屋に平積みしていたので手に取ってみた。
残念ながら、そして恥ずかしながら、彼の作品は読んだことがない。
そろそろ手を出してみないといけないな、と思いながらこの本を買った。
アイデンティティについて違った観点が必要だろうという気もしていたからだ。
小説家らしい新書である。
作品自体に自己言及が多すぎて、ファンには少し悲しいかもしれない。
ここでこれだけ説明されてしまうと、読みが制限されてしまう可能性が高い。
私はほとんど頭に遺さないように読んだが、一読したことがある人なら、書いてほしくなかった点が多々あった気がする。
考え方自体はそれほど難解ではないし、それほど目新しいことではない。
アイデンティティという言葉(概念)じたいが、「分人」という考え方とそれほど矛盾しないからだ。
自分という存在が「関係性」の中でしか発見できないというのも誰もが知っていることだろう。
ただ、これまでの「個人」という概念にメスを入れたという点ではおもしろい。
いくつか違和感がある部分もあるが、悪くない本だった。
悲しいかな、こういう考え方ができない人が、この本を手に取ることはないだろうということだ。
他人を立体的に、多角的に、多様性あるものとして見るというのはなかなか難しい。
自己という存在とは何か、という哲学的思考をしない人こそ、この本を読むべきなのだが。
とりあえず、「日蝕」は読まんとあかんのかな……。
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