評価点:73点/2011年/アメリカ・ドイツ/113分
監督:ジャウム・コレット=セラ
自失型の秀逸なサスペンス・ドラマ。
生物学者のマーティン・ハリス博士(リーアム・ニーソン)は、妻を伴いアメリカからベルリンについた。
空港から泊まるホテルへタクシーで直行したが、スーツケースをドライバーが積み忘れ、急遽戻った。
しかし、そのタクシーは事故を起こしてしまい、救急搬送されてしまう。
4日後、目覚めたとき、かろうじて思い出せた自分の名前から、自分が生物学者であることを思い出す。
しかし、妻のそばには、自分を名乗る、別の人間がいた。
「フライト・ゲーム」の、ジャウム・コレット=セラ監督の作品。
Amazonプライムでおすすめされて観てみた。
リーアム・ニーソン主演で、その時点できな臭い話だが、うまくまとまっている。
サスペンスとしては良作だろう。
あり得るかどうかは別にして。
ネタバレされてしまうと一気に観る気が失せてしまう類の話なので、観るならすべての情報をシャットアウトしてから観よう。
▼以下はネタバレあり▼
自分が何者か思い出せない。
あるいは、自分が意識を取り戻したとき、自分を名乗るもう一人の自分がいた。
クローン技術や、催眠術、コンピューター技術の向上によって、こういう設定が珍しくなくなった。
あるいは、こういうことが「説得力ある出来事」になった。
もちろん、ほとんどの人には無縁な出来事なのだが。
この映画も同じように、自分を見失ってしまった男が、自分を取り戻す話だ。
この手の話だと、アメリカ映画はすぐにエイリアンだとか、夢落ちだとか、本人の妄想だとかにしがちだ。
そういう文脈を利用しながらミスリードを促し、その読みを裏切るような落ちになっている。
自分はバイオテクノロジーの研究発表に招かれた博士。
妻との出会いの記憶も、愛し合った記憶もある。
だが、目の前には私を名乗る別の男が妻と共に居る。
ネットで検索すれば、そこには自分の顔写真はない。
自分の頭がおかしいのか。
あるいは、何かによって陥れられているのか。
物語の中盤から終盤にかけて、主人公は混乱に陥る。
映像の挿入も見事で、曖昧な記憶としっかりとした記憶の境目をわからないように仕組んである。
だから、主人公と同じ目線で物語を体験することができる。
明らかにおかしい。
だが、もしこのような事態があるとしたら、どういう説得力ある真相があるだろうか。
その答えを無理なく示している。
結局、マーティン・ハリスなる人物は架空の人物だった。
これは、巨額の資金を得る研究を独り占めするために計画された、暗殺作戦だった。
リーアム・ニーソンはそのマーティンになりすまし、研究者を殺し、研究データだけを盗み取るというエージェントだったのだ。
だから、HPデータも改ざんされ、妻も知らぬふりをしていた。
彼が彼である証明は、なにもない。
ベルリンが舞台であることも、マーティンには不利に働いていたということだ。
なかなか荒唐無稽な話に見えるが、それ以上に荒唐無稽なミスリードがされていくので、すんなり受け入れることができる。
ひょっとしたら、夢落ち? 妄想? 思い込み? エイリアン?!
そして、もちろん、主人公がリーアム・ニーソンということもあり、凄腕殺し屋と言われても、それほど違和感がない。
その真相が明かされたとき、彼は覚醒し、見事にアクション映画になってしまう。
だから、観客が考えるまでもなく、〈ヒーロー〉になってしまうのだ。
そういうバランスをうまく利用しながら映画を作っている。
そこそこ映画を観ていた人にとってはスマッシュ・ヒットになりうる映画だ。
そして重要なのは、途中で出会う元秘密警察のユルゲン(ブルーノ・ガンツ)の立ち位置だ。
世界のきな臭い出来事を、今まで見聞き体験してきた彼がいることで、物語はぐっと闇や不可思議、世界の裏側に介入した気にさせる。
彼は教授を名乗る男がアメリカからやってきたとき、服毒自殺する。
このシークエンスによって、この事件が「単なるイタズラ」や「単なる荒唐無稽なメルフェン」ではなくなるのだ。
「依頼人」のために、服毒自殺するほどの覚悟をもたなければいけない相手。
しかもこれまで視線をくぐり抜けてきたはずの、ユルゲンが、である。
この映画の最大の見せ所となっている。
アクションや真相がおもしろいようにもっていくためには、こうした説得力あるシークエンスが欠かせない。
他にも、タクシードライバーのジーナや、看護師の女性など、「普通」を出すことによって私たちにもその物語を体験させる余地をもたせる。
キャラクター造形がすばらしいサスペンスだ。
それにしても、リーアム・ニーソン、そろそろスティーブン・セガール二世の称号を与えてもいいくらい、「何でもあり役者」になりつつある……。
監督:ジャウム・コレット=セラ
自失型の秀逸なサスペンス・ドラマ。
生物学者のマーティン・ハリス博士(リーアム・ニーソン)は、妻を伴いアメリカからベルリンについた。
空港から泊まるホテルへタクシーで直行したが、スーツケースをドライバーが積み忘れ、急遽戻った。
しかし、そのタクシーは事故を起こしてしまい、救急搬送されてしまう。
4日後、目覚めたとき、かろうじて思い出せた自分の名前から、自分が生物学者であることを思い出す。
しかし、妻のそばには、自分を名乗る、別の人間がいた。
「フライト・ゲーム」の、ジャウム・コレット=セラ監督の作品。
Amazonプライムでおすすめされて観てみた。
リーアム・ニーソン主演で、その時点できな臭い話だが、うまくまとまっている。
サスペンスとしては良作だろう。
あり得るかどうかは別にして。
ネタバレされてしまうと一気に観る気が失せてしまう類の話なので、観るならすべての情報をシャットアウトしてから観よう。
▼以下はネタバレあり▼
自分が何者か思い出せない。
あるいは、自分が意識を取り戻したとき、自分を名乗るもう一人の自分がいた。
クローン技術や、催眠術、コンピューター技術の向上によって、こういう設定が珍しくなくなった。
あるいは、こういうことが「説得力ある出来事」になった。
もちろん、ほとんどの人には無縁な出来事なのだが。
この映画も同じように、自分を見失ってしまった男が、自分を取り戻す話だ。
この手の話だと、アメリカ映画はすぐにエイリアンだとか、夢落ちだとか、本人の妄想だとかにしがちだ。
そういう文脈を利用しながらミスリードを促し、その読みを裏切るような落ちになっている。
自分はバイオテクノロジーの研究発表に招かれた博士。
妻との出会いの記憶も、愛し合った記憶もある。
だが、目の前には私を名乗る別の男が妻と共に居る。
ネットで検索すれば、そこには自分の顔写真はない。
自分の頭がおかしいのか。
あるいは、何かによって陥れられているのか。
物語の中盤から終盤にかけて、主人公は混乱に陥る。
映像の挿入も見事で、曖昧な記憶としっかりとした記憶の境目をわからないように仕組んである。
だから、主人公と同じ目線で物語を体験することができる。
明らかにおかしい。
だが、もしこのような事態があるとしたら、どういう説得力ある真相があるだろうか。
その答えを無理なく示している。
結局、マーティン・ハリスなる人物は架空の人物だった。
これは、巨額の資金を得る研究を独り占めするために計画された、暗殺作戦だった。
リーアム・ニーソンはそのマーティンになりすまし、研究者を殺し、研究データだけを盗み取るというエージェントだったのだ。
だから、HPデータも改ざんされ、妻も知らぬふりをしていた。
彼が彼である証明は、なにもない。
ベルリンが舞台であることも、マーティンには不利に働いていたということだ。
なかなか荒唐無稽な話に見えるが、それ以上に荒唐無稽なミスリードがされていくので、すんなり受け入れることができる。
ひょっとしたら、夢落ち? 妄想? 思い込み? エイリアン?!
そして、もちろん、主人公がリーアム・ニーソンということもあり、凄腕殺し屋と言われても、それほど違和感がない。
その真相が明かされたとき、彼は覚醒し、見事にアクション映画になってしまう。
だから、観客が考えるまでもなく、〈ヒーロー〉になってしまうのだ。
そういうバランスをうまく利用しながら映画を作っている。
そこそこ映画を観ていた人にとってはスマッシュ・ヒットになりうる映画だ。
そして重要なのは、途中で出会う元秘密警察のユルゲン(ブルーノ・ガンツ)の立ち位置だ。
世界のきな臭い出来事を、今まで見聞き体験してきた彼がいることで、物語はぐっと闇や不可思議、世界の裏側に介入した気にさせる。
彼は教授を名乗る男がアメリカからやってきたとき、服毒自殺する。
このシークエンスによって、この事件が「単なるイタズラ」や「単なる荒唐無稽なメルフェン」ではなくなるのだ。
「依頼人」のために、服毒自殺するほどの覚悟をもたなければいけない相手。
しかもこれまで視線をくぐり抜けてきたはずの、ユルゲンが、である。
この映画の最大の見せ所となっている。
アクションや真相がおもしろいようにもっていくためには、こうした説得力あるシークエンスが欠かせない。
他にも、タクシードライバーのジーナや、看護師の女性など、「普通」を出すことによって私たちにもその物語を体験させる余地をもたせる。
キャラクター造形がすばらしいサスペンスだ。
それにしても、リーアム・ニーソン、そろそろスティーブン・セガール二世の称号を与えてもいいくらい、「何でもあり役者」になりつつある……。
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