あの人はなぜあんなに仕事ができるのか。
いや、あの人はセンスがいい。
自分はセンスが悪いからわからない。
思えば自分が学生だったころから、この種の議論はされていて、センスがいいからレギュラーになる、数学のセンスがない、と安易に評価されてきた。
では、そのセンスなるものは、生まれ持って備わっているものなのか。
そうだと言い切ってしまえば、話はそこで終了、ということになる。
だが、センスはおそらく . . . 本文を読む
子どもが小学生になって、宿題の多さに親の方が圧倒されている。
私は本業の都合もあって、ほとんど奥さんに子どもの宿題をみてもらっているが、驚いている。
スピードも速く、毎日新しいことをやっては、復習、というのを繰り返している。
私が子供の頃、こんなにも宿題をしていたのか、と感じている。
そう考えながら、いつもテストがあれば聞いてしまう。
何点?と。
小学生のテストなんて、と思う。
けれども、これに . . . 本文を読む
年度の後半は、花束を贈り贈られる季節と言える。
イベントのプレゼントに、あるいは出会いと別れの季節に、花束が贈られる。
人間の本質的な営為の中で、贈与というものがあるというのは、思想の世界でも話題にされてきた。
人間だけが贈与する。
贈り物をする動物はほかには見られない。
もちろん、見立てによっては贈り物のようなものをする動物はあるかもしれない。
けれども、その行動と、人間が行う贈与には本質的な違 . . . 本文を読む
何か問題が起こったり、新しいことを考えたりするとき、私たちの観点は大きく二つある。
それはコストやリターンの上で最適かどうか。
あるいは、法律に抵触しないかどうか。
どんなことでも、お金に換算して、時間に換算して是非を問おうとする。
ルール違反は、ルールやマナーというよりも、法律がよりどころとなる。
私たちは、とくに情報化社会に本格的にどっぷりつかっている現代は、この二点が物事を議論するときの重要 . . . 本文を読む
長い長いトンネルを少しだけ抜け出たような感覚がある。
この二ヶ月ほどずっと体調が悪くて、仕事も忙しくて、何の余裕もなかった。
ただ右から左へと物や情報を動かしていくような、生命維持モードで生きていた。
「ゴジラ-1.0」の公開に合わせて、神木隆之介がポジティヴモンスターであるとコメントしていた。
どんなに厳しい状況でも、前向きに捉えるのが得意であると。
私は基本的にネガティヴなので、他人や運命 . . . 本文を読む
私はリーダーシップなるものを発揮したことがない。
人々を主導するどころか自分を主導することも難しい。
熱い思いがあるわけでも、仕事に熱意を持っているわけでもない。
キムタクが、一番嫌いだという「適当でいい」「どうでもいい」という言葉を多用する傾向にある。
人に従って、リーダーに無責任に意見をいう方が向いている。
しかし、その一方でどう言うふうにしたら周りを自分の意見に従わすことができるか、とい . . . 本文を読む
日本には強力な同調圧力があるとしばしば言われる。
マスクを例にしてもわかりやすい。
こないだまでマスクをしない人間は吊し上げられたのに、5類になったとたん、今度はマスクは顔を覆い隠すからコミュニケーションには不適だと言われる。
こういう例はいくらでもある。
最近のスポーツ紙は、岡田監督を持ち上げるのに忙しい。
優勝した途端、彼を批判することはほとんどタブーになりつつある。
甲子園で優勝したチーム . . . 本文を読む
ずいぶん前に、内田樹の「日本辺境論」を読んだとき、「なるほど!」と思ったのを覚えている。
そこにも書かれていたはずだが、日本人はとにかく「日本人とは何か」を考えたがる民族であるようだ。
それは確固たる国民像がない、あるいはそれを共有できないことの裏返しだろう。
日本の歴史は脈々と……と語られることが多いが、では日本人とはどういう民族なのかと言われても即答できない。
あるいは、安倍謹也がいうように . . . 本文を読む
SNSによって、私たちは友達リストを作成することを強いられる。
SNSから逃れて生きていくという道も残されているが、民主主義の原則が「多数決」である以上、自分が多数派にいることは社会的に生き抜くための重要なスキルだ。
そうであれば、SNSを無視して生きていくという道は、ちょっと険しくなる。
ということで、私たちはせっせと友達リストを作って、人間関係を可視化することになった。
これは極めて残酷な行 . . . 本文を読む
評価点:78点/2023年/日本/125分
監督:山崎貴
私たちが背負う、【戦後】。
1945年戦争末期、特攻兵だった敷島(神木隆之介)は、機体不良のため離島に逃れた。
しかし、その機体には不具合が見つからなかった。
うつむく敷島だったが、その夜巨大な生物が彼らの駐屯所を襲った。
戦えるのは敷島だけだったが、足のすくんだ彼は逃げ出してしまい、部隊は壊滅した。
終戦後、故郷の東京に帰ったが、す . . . 本文を読む