真っ先に書きたいのに、
どこまで載せていいのか、どう書いたらいいのか。
今もどうするべきなのかまだ迷っているのですが。
伏字だらけの立ち話。
過去記事ですけど、ここに出てくる○○山とは神社山、
○○○とは地下壕のことでした。
三角山のジャンプ台同様、
知っている人はほんのわずかなのではと思います。
簡単に説明しますと。
昭和二十年春。
本道あるいは札幌での本土決戦に備え、
(米軍が苫小牧から上陸、千歳、恵庭、島松と戦闘、
札幌藻岩山を本土決戦場と想定した計画が出来上がっていたといわれる)
神社山に一大要塞を築き、本土防衛の拠点にしようという話が持ち上がったそうで。
簡単に言いますと、
神社山の地下にトンネルを掘り、そこに軍司令部を移しちゃいましょうという話です。
うっそぉ~って思うでしょ?
いえ、嘘ではなく本当の話です。
藻岩山が決戦場で市民総玉砕なんてまっさかでしょ。
手榴弾300万個製造の命令とか、
道民ひとり10殺の精神で迎え撃つべしとかね。
(季刊 札幌人 2006年冬号、
さっぽろのタコ部屋 札幌郷土を掘る会発行 参考)
で、実際掘ったんです。
過去記事に登場した姉弟のお母様が勤労奉仕隊に参加していた。
でも日本人はほんの少しで、
その労働のほとんどは朝鮮人だったそうです。
見てみたい気持ちと暗く重い気持ちが交差いたしまして。
雪解け頃に探しに行くのが一番発見しやすいと考えていたのですけど、
実際どこかでブレーキがかかっておりまして。
それがひょいと解除というか、
2回も神社山に登る機会がやってきまして。
見つけてきました。
では、その地下壕・トンネル入り口跡です。
もちろん塞いであります。
どうぞご覧ください。
もっとすっごいのが出ると思ってました??
1945年に未完成のまま終戦、
その後いつかはわかりませんけど穴を塞いだ。
もっとちいさな入り口というか洞窟だと想像していたのですが。
大きいというか高いというか。
離れて写しても入りきらない斜面のえぐれ。
神社山には他にもこのような痕跡が10個以上もあるそうです。
そして、
このときの朝鮮人労働者は3000人ともいわれています。
ひっどい環境だったのではと。
未完成のまま敗戦を迎えましたけど、
これ完成していたら…口封じをしたのでしょか。
今ではこの隣に円山動物園(今日も行ってきました)、
向こうにはオリンピックの舞台となった大倉山ですから。
ね。
私だって奇妙な縁がなかったら、知らずに暮らしているはず。
どこから始まったんだろ……。この一連の流れは。
何を見て何を感じどう考えるか何を学ぶかは人それぞれですけどね。
ちなみに住宅地に近いことを考え、
どこをどうやって行ったのかに関しては伏せます。
では暗くてボケ没だらけの中、なんとか使えそうな神社山の写真を。
イソギンチャク系きのこ。
2回目の時は踏まれていましたから、やはりたまに人が入っているのでしょか。
気づいた樹。
え?
何に気づいたんだって?
これすごいんですっ。
倒れて、あるいは傾いて、地面と平行に成長しているのですが、
突然直角に曲がり垂直に成長し上に向かっている。
こうじゃない、こっちではない、このままではアカんと気がついた樹。
はるさん、ネーミング大賞ですっ。
背中に虫か木屑か葉っぱ。
アタマを枝に強打いたしまして。
真面目にタンコブできまして、これが痛くってね、
やっと普通にシャンプーできるようになりました。
丸一週間。最強の強打でしたわ。
神社山の話でした。