いのちを食べて いのちは生きる
京都シネマにて最終日鑑賞。ようやく書くことに・・・。
大阪貝塚市に市の屠畜場があったんですね。それすら知らない私。また牛を殺して肉にまでする精肉店があることも初めて知りました。屠畜場の歴史は明治10年からで、この2012年に閉鎖されるまでの100年あまり続いたそうです。
映画の冒頭、牛が頭を叩かれ倒れるシーンには少々びっくり。そして残酷やななんて考えてしまうけど、よくよく考えれば普段から生きていた動物の肉を何も平気で食べているんですから残酷やなというのはちょっと語弊あるかもしれません。そういう意味でこの作品をやっぱり見ておく必要はあったのかもしれません。
北出さんたちの存在があればこそ人間は生きながらえてきたのですから。しかしかってこういう職業をされていた方たちは周りの偏見をもたれ、非道な差別を受けます。今もその現状は続いています。何故にこんな理不尽なことになったのでしょう。コピーのようにいのちを食べていのちは生きているのに・・・・。こういうお仕事をされる人が必要なのにね。
牛を屠場まで連れていく。
北出さんの長男新司さんはそんないわれなき差別を受けた父の姿を目にして、地域の仲間とともに解放運動に参加されたとのこと。
それによっていつしか自分たちの意識も変化し、地域や家族も変わったと話しておられます。
それにしても大変な仕事です。今回この作品を観て色々な御苦労があるんだなあと実感。こうして実際観ないと分からないことだらけです。色々勉強になりました。私たちが日ごろ何気なく口にしている食糧はこのような過程で食卓に運ばれているんだと思いました。
肉を捌く作業や、内臓などの処理もリアルに紹介されていることで勉強になりました。
次男昭さんは牛の皮を使って太鼓作り。こんな作業を経てりっぱな太鼓に生まれ変わるんですね。
あらすじ(MovieWaklerより)
大阪の北出精肉店では、7代にわたり家族で牛を育て、手作業で屠畜を行い、その肉を店で販売、生計を立ててきた。700kgにもなる牛を屠り、見事な手つきで内臓を捌き、確かな経験と技術により、牛は鮮やかに肉になっていく。熟練の技を持つ彼らだが、「自分たちの仕事は子どもの頃から自然に倣い覚えたことで、何も特別なものではない。暮らしの一部だ」と言う。店主として店を切り盛りするかたわら、高齢化、過疎化が進む地域に尽力する長男。年に一度、心躍るだんじりにひときわ思い入れがある次男は、太鼓作りをしながら、屠畜の仕事から見るいのちの大切さを地域の学校で話して廻る。長女は一日のほとんどを台所で過ごし、家族のために食事を作る。中学一年生の孫は、将来肉屋になりたいという。そして、いつも微笑みながら家族を見守る87歳の母。そこにはごく平穏な家庭の日常があった。だが、家業を継いだ兄弟の心にあるのは被差別ゆえのいわれなき差別を受けてきた父の姿。差別のない社会にしたいと、地域の仲間とともに解放運動に参加するなか、いつしか自分たちの意識も変化し、地域や家族も変わっていった。2012年3月、輸入肉や大規模屠場への統合の影響によって、彼らが利用し102年続いてきた公営屠畜場が閉鎖されることになった。やがて、最後の屠畜を終え、北出精肉店は新たな日々を重ねていく……。
新司さんの息子の結婚式。嫁ぐお嫁さんに問題は引っかからなかったかと質問する場面も。それに対して抵抗はなかったと答える。
解説(allcinemaより)
「祝の島」の纈あや監督が、大阪府貝塚市で7代にわたって家族で精肉店を営む一家の姿を通して命と生を巡る物語を紡いだドキュメンタリー。家族が協力し、牛の飼育から・解体・精肉・販売までを一貫して手がけ、すべてを手作業で行うその丁寧な仕事ぶりを追うと共に、被差別出身者として長年理不尽な差別とも向き合ってきた家族の歴史をも見つめていく
メディア | 映画 |
上映時間 | 108分 |
製作国 | 日本 |
初公開年月 | 2013/11/29 |
ジャンル |
ドキュメンタリー |
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