The Carrot Seed | |
Crockett Johnson | |
Perfection Learning |
ルース・クラウスのお話、クロケット・ジョンソンの絵の"The Carrot Seed"は
もう随分前、1945年初版の絵本です。星の数ほどある絵本、その中でなぜ
だかクロケット・ジョンソンの絵と文がとても好きです。極端に単純な線だけ
で書かれていて、色も2色か3色。芸術的な絵を好む人にはちょっと物足り
ないかも知れません。でもそれが魅力です。小さい男の子、女の子のまるっ
こさ、愛らしさがたまりません。The Carrot Seedには「ぼくのにんじん」と「に
んじんのたね」と2種類の訳本が出ています。
にんじんのたね | |
クロケット ジョンソン,Ruth Krauss,Crockett Johnson,小塩 節 | |
こぐま社 |
ぼくのにんじん | |
クロケット・ジョンソン,渡辺 茂男 | |
ペンギン社 |
A little boy planted a carrot seed.
1ページ目の文章はたったこれだけ。
His mother said'I'm afraid it won't come up.'
2ページ目の文章はたったこれだけ。
それなのに、2種類の訳本が出ています。こぐま社のおしおたかしさんのは、
タイトルが「にんじんのたね」で、原文に忠実な訳です。
「にんじんのたねをひとつぶ、おとこのこがつちにまきました。」
ペンギン社のわたなべしげおさんのは、タイトルが「ぼくのにんじん」となり、
「ぼく にんじんのたね まいたんだ」と一人称になり、主人公の主張が
強くなっています。客観的な原文の調子を変えて、「ぼくが、、、」とする理
由があるのかな?とちょっと思います。子どもにはその方が自分と一体化
できて良いのでしょうか?こんな短い単純な英語を日本語にするだけでも、
どこまで変えていいのか?そもそも原文に忠実な翻訳とか、こなれた日本
語訳なんていうのが、どんなものなのか、キッチン・トランスレーターとし
ては、なかなか考えさせられる題材ではあります。