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「ふすまぢを引き手の山に妹を置きて山路を行けば生けるともなし」
万葉集巻二ー二一二の柿本人麻呂の歌です。「亡き妻を引き手の山に
おいてたどる山道は、生きた心地もしない」妻との別れを痛烈に
悲しむ歌です。山辺の道の途中衾田陵という御陵のそばに、犬養
孝先生の字になる歌碑があります。千三百年以上も前、この道を
悲しみに暮れて歩いた一人の男がいた。その思いを美しい言葉で
詠み、それが今の世に残されて、秋のとある日、初老の私がその
道を辿っている。思えば不思議に浪漫を感じることではあります。
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日本最古の道と言われる山辺の道は、今の奈良桜井から天理、天理
から奈良へと通じる道でした。今回はその南道を天理から桜井の方
向に歩きました。天理の起点は石上神宮です。日本最古の神社の一
つで、うっそうとした森に囲まれた荘厳な雰囲気の神社です。
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天岩戸の故事に関係があるということで、神社の周辺や境内には
たくさんの鶏が徘徊して鬨の声を上げているのは面白い光景です。
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昔は大寺であった内山永久寺跡。今は歌碑一つだけで、潔いくらい
何も残っていません。永久寺という名前がある意味ふさわしい?
山の辺の道マップを持って歩くと、立ち寄りスポットとそこまでの
距離所要時間が書かれていてます。
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内山永久寺の後に、夜都伎神社に立ち寄りました。名前のように
うっそうとしたほの暗い木立の中の静かな神社でした。
山の辺の道ははるけく野路の上に乙木の鳥居朱に立つ見ゆ
広瀬東畝という日本画家の歌だそうです。山の辺の道を詠んだ美
しい歌です。この歌のように、朱色の鳥居があるはずなのですが?
石の鳥居しか見つけられませんでした。
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道の所々に歌碑が立っています。万葉の、それも柿本人麻呂の歌が
多いようです。
あしひきの山川の瀬の響るなべに弓月が嶽に雲立ちわたる
これも柿本人麻呂の歌。雄大な情景歌です。
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この辺りは大和古墳群の一角で、小高い山で、側に池がある所
はたいてい古墳のようです。犬養先生の「ふすまぢ」の歌碑の
すぐそばには、西殿塚古墳という比較的大きな古墳があります。
継体天皇の手白香皇后の衾田陵ということになっています。卑
弥呼の墓という説もあるそう。古代ロマンの香り。
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九月の末にしては暑く、途中でそうめんなど食べながら、汗だくで
長岳寺までたどり着きました。南コースのちょうど中間地点です。
弘法大師創建の古刹です。大寺ですが、静かな雰囲気のお寺で、花
の名所、紅葉の名所でもあります。かなり歩いてようよう辿りつい
いたので、疲れ切っていて、詳しく拝観する元気がなく、惜しいこ
とをしました。
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お寺の内外にたくさんの猫ちゃんがいて、我が物顔で徘徊してい
ます。鷹揚なお寺なんですね。
石上神宮から長岳寺まで八キロほど、日ごろ歩かない私にはなか
なかの距離でしたが、彼岸花の咲くのどかな田園風景の中に、古
代を探す、楽しいハイキングでした。