築地市場正門前の中央市場前交差点の北西角に建っているのが「国立がんセンター中央病院」の建物群です。病院敷地内の一角では、建て替えのための再開発工事が行われています。
中央市場交差点から西賀へ向かって伸びているのが「銀座花椿通り」です。この道路を西側へ進むと、その名前の通り資生堂発祥の地である銀座七丁目方向へ向かうことができます。
中央市場前交差点の南西角に建っている「朝日新聞東京本社ビル」です。大阪本社は「中之島フェスティバルタワー」の高層ビルに建て替えられたのですが、こちら東京本社も建て替えたりしないのでしょうか。
交差点そばの外壁には「東京都指定旧跡 欲恩園跡」の説明板が設置してありました。元々築地市場がある場所は、江戸時代までは大名屋敷や庭園が広がっていたのですね。
新大橋通りの歩道から市場の敷地内を撮影しました。一般人も見学できることになっているのですが、さすがに気楽に入れるような雰囲気ではないですね。
江戸時代に大名庭園だったこの場所は、明治維新後に海軍施設となります。隣接して広がっている浜離宮庭園の緑地帯も、海軍の演習場として使われていたそうです。
江戸時代から東京の食品流通を担ってきた日本橋魚河岸をはじめとする市場群が、1923年(大正12年)の9月に起きた関東大震災で壊滅したのを受け、同年12月に臨時の東京市設魚市場を開設したのが、築地市場の始まりです。
新大橋通りの歩道を北側(築地四丁目交差点方向)へ向かって歩いて行くと、視界が開けて「築地場外市場」の街並みが見えてきました。こちらの方が観光客が多くて賑やかです。
「市場橋交差点」前にやってきました。元々この交差点には東西方向に「築地川」と言う都市運河が通っていたのですが、戦後に埋め立てられて、橋の名前だけが交差点名称となって残されています。
市場橋交差点から北側一帯は「築地場外市場」が広がっていて、多くの人で賑わっています。
新大橋通り沿いに伸びている「築地門跡通り商店街」をズームで撮影してみました。近年は外国人観光客の人たちが多く見受けられます。
市場橋交差点から東側へ向かって伸びている「波除(なみよけ)通り」の商店街の中を歩いて行きます。この辺りは、東京都心部のど真ん中にも関わらず昭和の時間が流れていますね。
波除通り沿いには海産物を扱う店舗や飲食店が軒を連ねていて、活気溢れる街並みとなっています。
同じ東京都中央卸売市場でも、JR品川駅港南口にある「食肉市場」周辺の人を寄せ付けないような雰囲気の場所とは正反対の場所です。お魚とお肉でなぜここまで差が広がってしまうのでしょうか。
波除通りの歩道から振り返って、市場橋交差点方向を撮影しました。
波除神社の南側に建っている「情報市場 ぷらっと市場ビル」を撮影しました。建物内には「築地にっぽん漁港市場」が整備されています。