今日は、『パイレーツ・オブ・カリビアン』の公開初日ですね!!!
今日、初日で、見に行かれた御方、いらっしゃるかしらね(*^^*) 羨ましいです~。
私は、今日・明日は、予定があって無理そうなので、出来れば、明後日の日曜くらいに行けたらいいなぁと思っているのですが。日曜だと、混んじゃうかな? 朝イチに行って、予約入れれば、大丈夫かしらね~。
世の中の皆様は、きっと、スパロウ船長を楽しみにしていらっしゃるのでしょうが、私は、もちろん、スパロウ船長も大好きですが、やっぱり、ウィル・ターナーこと、オーランド・ブルーム様を期待しています☆
あんなに素敵なウィルに、一途に愛されている、エリザベスが、物凄く羨ましいです(///) 私も、私も、ウィル様の為になら、海賊になっても良いです!!!!
そういえば、ウィルも、どんどん漢っぽくなっていって来てますが、ブルーム様も、最近、どんどん精悍に逞しくなって行ってるご様子ですよね~。今のブルーム様も大好きですが、わたし的には、『ロード・オブ・ザ・リング』でエルフを演じたときのような、ちょっと中性的なブルーム様の方が好みかな~。
さてさて。
『パイレーツ・オブ・カリビアン』は、近日中に見に行くとして。
一昨日の映画のお話です。
一昨日、映画『主人公は僕だった』を見てきました(*^^*)
なんだか、「シムピープル」というゲームを思い起こさせる、とても面白い映画でしたよ。
主人公のハロルド・クリックは、国税局に勤める独身男性。計算と数字が好きで、起きる時間、ネクタイを結ぶのにかける時間、出勤の際のバス停までの歩数、はたまた、歯磨きの時のブラッシング回数まで、生活に関わる行動のすべてが計算され尽くした同じことの繰り返しの毎日を送っていました。
しかし、何の疑問も抱かなかった彼の生活に、いきなり、不思議な「声」が入り込んできたのです。
彼が、何か行動を起こすと、「彼は~~~~したのだった」とか、「彼は~~~~~だと思った」とか、まるで、彼を主人公にした小説のナレーションのように、彼の生活に、その「声」は入り込んできます。しかも、その声は、彼にしか聞こえません。
そして、とうとう、その声は、語るのです。
「彼は、この時、自分が死ぬなんて、予想していなかった」
と。
頭から離れない、それでいて、自分にしか聞こえない、謎の声・・・自分の死まで予言するかのような声に悩み続けた彼は、病院で、統合失調症と診断されます。しかし、その診断結果には納得がいかず、その謎を解明すべく、彼は、在る大学の文学の教授を訪ね、助けを求めるのでした。
「誰かが、自分を主人公にした、小説を書いている。そして、その作家は、小説の中で、自分を殺そうとしている」
そう思った彼は、作家の思い通りになって為るものかと、普段と変わらぬ日常を捨て、非日常的な生活を送るよう努めるのです。
まずは、仕事を長期休んでみる。恋をしてみる。ギターを買ってみる。
けれども、その行動自体も、彼自身が選択した物なのか、はたまた、作家の意志なのか・・・。
その一方で。
10年間のスランプを破り、一人の女流作家が新作小説を書いていました。国税局に勤める、計算され尽くした味気ない日々の繰り返しを営む主人公の物語。主人公の名前は、ハロルド・クリック。作家は、主人公が死ぬ結末を書こうとしているのですが、良い死なせ方が思いつかず、悶々と悩んでいるのでした。
・・・彼女が小説のラストを書き上げたとき、果たして、実在するハロルド。クリックも死んでしまうのか・・・!!??
以下、激しくネタバレ有りの感想です。
これから、鑑賞予定のある方は、ご注意下さいマセマセ。
とても興味深い、展開のストーリーでした。
ウィル・フェレルと言えば、『奥様は魔女』や『プロデューサーズ』などのコメディ的な役どころを、ついついイメージしてしまうのですが、今回は、シリアスな彼が見られました。
ある時までは、自分の生活に何の疑問も抱かず、すべてが計算され尽くした日々を送る国税局職員。そんな彼自身の生活に、いきなり、入り込んできた「謎の声」。あたかも、自分を主人公にした小説の「語り部」がどこかに存在するように。
自分は、自分の意志で動いているのか。それとも、その「声」の主に動かされているだけなのか。周りからは、精神疾患扱いされながらも、その真実を突き止めようと、もがき悩み、結局、それが、きっかけとなって、計算機のようだった彼が、とても人間らしく変わっていく様を、迫真の演技で、表現していました。これまで、コメディ的な彼の演技しか見たこと無かったので、とても新鮮でした。
そして、偶然ながらも、ハロルドを主人公にし、結末で彼をどうやって死なせようか思い悩むスランプ中の作家・アイフル役のエマ・トンプソンも素晴らしかったです。「死」の表現にこだわりすぎて、ちょっと、アブナイ所までイッちゃってる、ギリギリな感じの作家を演じていて、その作家の天才肌的気質が怖いくらいでした。
物語もなかなか先の展開が予想しにくい、面白い作りでした。
「ある日、自分は、小説の主人公であることに気が付く」
こういう設定の物語でしたら、てっきり、その主人公は、「物語」の中でしか生きて居らず、でも、自分が、小説の中の人物だと言うことに気が付いていない・・・という設定のものかなぁと推理しがちですよね。
主人公=小説の中の世界に生きている
語り部=現実の世界に存在している
つまり、主人公の生きている世界は、作家の創作している「作中作」の世界だと。
一般的に考えて、そういうオチなのかなぁと、最初は安直に思っちゃったのですが。
まさか!!!
主人公も語り部も、共に、現実世界に存在している人間で、最終的には、二人が会えちゃう所は、面白かったです。
どうしてなのかは、分からないけれども、主人公の人生と、作家の書いている小説が、シンクロしてしまった。
非現実的な偶然、ファンタジーではありますが、こういうお話は、大好きです。
小説に書かれたことがそのまま主人公の身に起こる・・・。そして、作家は、物語のラストで主人公を死なせようとしている。故に、主人公には、死が待つのみ。
この結末が、ラストで変わってしまうのは、都合の良いハッピーエンドに見えてしまいがちですが、でもでも。
物語の結末を変えたことで、それまで、人生に何の関心も抱かず、計算され尽くした日々だけを生きてきた主人公・ハロルドが、人間らしく生きられるようになる。
そして、「死」にこだわり続けて小説を書いてきた作家・アイフルが、初めて、「死」がまつわらない小説を書くことによって、より「生」の素晴らしさが強調される。
不思議な力でシンクロし、そして、偶然交わった、この二人の人生。それによって、「生」の意味に、色が付いたように思えました。いつも、主人公を死なせることで有名な作家が、主人公を殺さなかったからこそ、その小説自体も「生」の重みがヒシヒシ伝わる素晴らしい作品に完成した、そして、実在するハロルド自身の「生」も輝きを持つものとなった。もしかしたら、作家であるアイフルは、小説だけでなく、ハロルド自身の人生をも、まるで、作品のように素晴らしい物へと作り替えてしまったのかも知れない・・・そんな気がしました。
「物語の登場人物は、これから自分の身に起こることを知らない。それを知っているのは作者のみ。今後の展開を登場人物が知ってしまっていたら、小説にならない」
そう言った、作家アイフルの言葉が印象的でした。
余談ですが、作家の視点から見た時のハロルドの生活。
歯を磨いたり、着替えたり、仕事をしたりする彼の横に、一つ一つ、アイコンや文字、数字が出てきて、なんとなく、「シムピープル」を連想しちゃって、笑えました。
そういえば、「シムビープル」に限らず、プレーヤーが、いわゆる「神」の視点になってキャラクターを生活させるゲームって、色々ありますよね? もしかしたら、そういうゲームのキャラ達も、ハロルドのように考えたり、悩んだり、もがいたりしているのかな・・・でも、結局は、「神」の視点のプレーヤーである私たちの思い通りに動いてしまっているのかも~~~と想像すると、怖いような面白いような、そんな気持ちに身なりました。
今日、初日で、見に行かれた御方、いらっしゃるかしらね(*^^*) 羨ましいです~。
私は、今日・明日は、予定があって無理そうなので、出来れば、明後日の日曜くらいに行けたらいいなぁと思っているのですが。日曜だと、混んじゃうかな? 朝イチに行って、予約入れれば、大丈夫かしらね~。
世の中の皆様は、きっと、スパロウ船長を楽しみにしていらっしゃるのでしょうが、私は、もちろん、スパロウ船長も大好きですが、やっぱり、ウィル・ターナーこと、オーランド・ブルーム様を期待しています☆
あんなに素敵なウィルに、一途に愛されている、エリザベスが、物凄く羨ましいです(///) 私も、私も、ウィル様の為になら、海賊になっても良いです!!!!
そういえば、ウィルも、どんどん漢っぽくなっていって来てますが、ブルーム様も、最近、どんどん精悍に逞しくなって行ってるご様子ですよね~。今のブルーム様も大好きですが、わたし的には、『ロード・オブ・ザ・リング』でエルフを演じたときのような、ちょっと中性的なブルーム様の方が好みかな~。
さてさて。
『パイレーツ・オブ・カリビアン』は、近日中に見に行くとして。
一昨日の映画のお話です。
一昨日、映画『主人公は僕だった』を見てきました(*^^*)
なんだか、「シムピープル」というゲームを思い起こさせる、とても面白い映画でしたよ。
主人公のハロルド・クリックは、国税局に勤める独身男性。計算と数字が好きで、起きる時間、ネクタイを結ぶのにかける時間、出勤の際のバス停までの歩数、はたまた、歯磨きの時のブラッシング回数まで、生活に関わる行動のすべてが計算され尽くした同じことの繰り返しの毎日を送っていました。
しかし、何の疑問も抱かなかった彼の生活に、いきなり、不思議な「声」が入り込んできたのです。
彼が、何か行動を起こすと、「彼は~~~~したのだった」とか、「彼は~~~~~だと思った」とか、まるで、彼を主人公にした小説のナレーションのように、彼の生活に、その「声」は入り込んできます。しかも、その声は、彼にしか聞こえません。
そして、とうとう、その声は、語るのです。
「彼は、この時、自分が死ぬなんて、予想していなかった」
と。
頭から離れない、それでいて、自分にしか聞こえない、謎の声・・・自分の死まで予言するかのような声に悩み続けた彼は、病院で、統合失調症と診断されます。しかし、その診断結果には納得がいかず、その謎を解明すべく、彼は、在る大学の文学の教授を訪ね、助けを求めるのでした。
「誰かが、自分を主人公にした、小説を書いている。そして、その作家は、小説の中で、自分を殺そうとしている」
そう思った彼は、作家の思い通りになって為るものかと、普段と変わらぬ日常を捨て、非日常的な生活を送るよう努めるのです。
まずは、仕事を長期休んでみる。恋をしてみる。ギターを買ってみる。
けれども、その行動自体も、彼自身が選択した物なのか、はたまた、作家の意志なのか・・・。
その一方で。
10年間のスランプを破り、一人の女流作家が新作小説を書いていました。国税局に勤める、計算され尽くした味気ない日々の繰り返しを営む主人公の物語。主人公の名前は、ハロルド・クリック。作家は、主人公が死ぬ結末を書こうとしているのですが、良い死なせ方が思いつかず、悶々と悩んでいるのでした。
・・・彼女が小説のラストを書き上げたとき、果たして、実在するハロルド。クリックも死んでしまうのか・・・!!??
以下、激しくネタバレ有りの感想です。
これから、鑑賞予定のある方は、ご注意下さいマセマセ。
とても興味深い、展開のストーリーでした。
ウィル・フェレルと言えば、『奥様は魔女』や『プロデューサーズ』などのコメディ的な役どころを、ついついイメージしてしまうのですが、今回は、シリアスな彼が見られました。
ある時までは、自分の生活に何の疑問も抱かず、すべてが計算され尽くした日々を送る国税局職員。そんな彼自身の生活に、いきなり、入り込んできた「謎の声」。あたかも、自分を主人公にした小説の「語り部」がどこかに存在するように。
自分は、自分の意志で動いているのか。それとも、その「声」の主に動かされているだけなのか。周りからは、精神疾患扱いされながらも、その真実を突き止めようと、もがき悩み、結局、それが、きっかけとなって、計算機のようだった彼が、とても人間らしく変わっていく様を、迫真の演技で、表現していました。これまで、コメディ的な彼の演技しか見たこと無かったので、とても新鮮でした。
そして、偶然ながらも、ハロルドを主人公にし、結末で彼をどうやって死なせようか思い悩むスランプ中の作家・アイフル役のエマ・トンプソンも素晴らしかったです。「死」の表現にこだわりすぎて、ちょっと、アブナイ所までイッちゃってる、ギリギリな感じの作家を演じていて、その作家の天才肌的気質が怖いくらいでした。
物語もなかなか先の展開が予想しにくい、面白い作りでした。
「ある日、自分は、小説の主人公であることに気が付く」
こういう設定の物語でしたら、てっきり、その主人公は、「物語」の中でしか生きて居らず、でも、自分が、小説の中の人物だと言うことに気が付いていない・・・という設定のものかなぁと推理しがちですよね。
主人公=小説の中の世界に生きている
語り部=現実の世界に存在している
つまり、主人公の生きている世界は、作家の創作している「作中作」の世界だと。
一般的に考えて、そういうオチなのかなぁと、最初は安直に思っちゃったのですが。
まさか!!!
主人公も語り部も、共に、現実世界に存在している人間で、最終的には、二人が会えちゃう所は、面白かったです。
どうしてなのかは、分からないけれども、主人公の人生と、作家の書いている小説が、シンクロしてしまった。
非現実的な偶然、ファンタジーではありますが、こういうお話は、大好きです。
小説に書かれたことがそのまま主人公の身に起こる・・・。そして、作家は、物語のラストで主人公を死なせようとしている。故に、主人公には、死が待つのみ。
この結末が、ラストで変わってしまうのは、都合の良いハッピーエンドに見えてしまいがちですが、でもでも。
物語の結末を変えたことで、それまで、人生に何の関心も抱かず、計算され尽くした日々だけを生きてきた主人公・ハロルドが、人間らしく生きられるようになる。
そして、「死」にこだわり続けて小説を書いてきた作家・アイフルが、初めて、「死」がまつわらない小説を書くことによって、より「生」の素晴らしさが強調される。
不思議な力でシンクロし、そして、偶然交わった、この二人の人生。それによって、「生」の意味に、色が付いたように思えました。いつも、主人公を死なせることで有名な作家が、主人公を殺さなかったからこそ、その小説自体も「生」の重みがヒシヒシ伝わる素晴らしい作品に完成した、そして、実在するハロルド自身の「生」も輝きを持つものとなった。もしかしたら、作家であるアイフルは、小説だけでなく、ハロルド自身の人生をも、まるで、作品のように素晴らしい物へと作り替えてしまったのかも知れない・・・そんな気がしました。
「物語の登場人物は、これから自分の身に起こることを知らない。それを知っているのは作者のみ。今後の展開を登場人物が知ってしまっていたら、小説にならない」
そう言った、作家アイフルの言葉が印象的でした。
余談ですが、作家の視点から見た時のハロルドの生活。
歯を磨いたり、着替えたり、仕事をしたりする彼の横に、一つ一つ、アイコンや文字、数字が出てきて、なんとなく、「シムピープル」を連想しちゃって、笑えました。
そういえば、「シムビープル」に限らず、プレーヤーが、いわゆる「神」の視点になってキャラクターを生活させるゲームって、色々ありますよね? もしかしたら、そういうゲームのキャラ達も、ハロルドのように考えたり、悩んだり、もがいたりしているのかな・・・でも、結局は、「神」の視点のプレーヤーである私たちの思い通りに動いてしまっているのかも~~~と想像すると、怖いような面白いような、そんな気持ちに身なりました。