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★ベルの徒然なるままに★

映画、ゲーム、アニメ、小説、漫画・・・管理人ベルの、大好きな物をいっぱい集めた徒然日記です。

映画『さまよう刃』

2009年10月22日 | 映画鑑賞記
先日見てきた、映画『さまよう刃』の感想です~。

この映画、原作は、東野圭吾さんの小説。
東野さんの作品は、学生の頃から愛読していた私ですが、この作品は、未読のまま映画を見ました。
っていうか、昔から東野さんの作品を読んでいるわたし的には、彼の作品は推理小説というイメージがあったのですが。
最近は、映画にもなった『手紙』みたいに、社会派小説が多くなっているような感じですよね(^^)b

今回の『さまよう刃』も、昨今、多発する少年犯罪についてや、犯罪被害者の心情など・・・現代社会を反映する作品でして。とても考えさせられる重いテーマでした。


では、あらすじ。

数年前に妻をガンでなくし、愛娘と絵摩と二人暮らしの長峰。
しかし、彼は、突然の不幸な事件で、最愛の娘を失ってしまうのです。

「もうすぐ、家に着くから。ご飯は、ウチで食べる」

そんな会話を電話でした直後。
絵摩は、若者達の車で拉致され、帰ってきませんでした。
そして、その後、荒川べりで、変わり果てた姿となって発見されます。

彼女の身体には、強姦と薬物の痕跡が残っていました。
死因は薬物の過剰摂取による心肺停止。

たった一人の愛する娘を失い、抜け殻の様な日々を送る長峰。
捜査担当の刑事に電話をしても、捜査の進展具合などは、一切教えて貰えません。


そんな彼の留守電に、あるメッセージが残されていました。

娘を殺した犯人を知っている人物からの密告電話。

「貴男の娘さんは、スガノカイジとトモザキアツヤという人間に殺されました」
そして、彼らの住むアパートの住所が吹き込まれており、
「そこに行ってみて下さい。彼らが犯人である証拠があるハズです。・・・ビデオテープとか」
と。

早速、アパートへ行った長峰は、その留守宅でとんでもない物を見つけてしまいます。
若者二人が、絵摩に薬物を注射し、無理矢理レイプするシーンを写したビデオテープ。

あまりの怒りに駆られた長峰は、ちょうど、そこに帰宅したトモザキを刺殺。そして、殺す直前に、スガノの居場所を聞き出します。

そして、長峰は娘を死に至らせたもう一人の犯罪者、スガノに復讐するために、長野へと旅立ちます。

トモザキ殺害の容疑者として、指名手配される長峰。
けれども、長峰は警察に、娘の理不尽な死への悲しみや、未成年の犯人達が軽い刑罰で済んでしまうことが許せないという想いを綴った手紙を出すのでした。

殺人犯を捕まえるためにも、スガノを保護するためにも、なんとか、長峰を確保しよう奔走する警察達。
しかし、長峰の心情に同情した、若い刑事の織部は、疑問に想います。
「我々警察がしていることは、スガノのような犯罪者に更生のチャンスを与え、辛い想いをした被害者の長峰さんの未来を奪うことなのではないのか?」
と。
しかし、織部の先輩刑事である真野は、
「これが、現在の日本の法律なのだ。我々は法律を遵守するのみ。迷うのなら、捜査を降りろ」
と。

「長野のペンションにいる」
という、ただそれだけの手かがりを元に、執念でスガノを探す長峰、そして、そんな長峰を追い、スガノを保護しようとする警察・・・・・・。




もうね・・・本当に、重いテーマで、重い話でした。
映画を見た後は、しばらく、沈鬱な気分にさせられましたし、色々と考えさせられる作品だったと思います。

東野さんの作品では、以前、映画化された『手紙』。
これは、犯罪加害者の家族の苦悩を描いたお話でしたよね。
『さまよう刃』では、犯罪被害者の家族の慟哭を描いたお話です。

正直、この映画の中では、犯人の少年二人に、同情の余地は、一切ありませんでした。
彼らが、中学生を強姦するところを撮影したビデオテープが流れるシーンは、フィクションと分かっていても直視出来ないというか、ものすごく憤りを感じましたです。
そして、こんな犯罪を繰り返しているヤツなんて、更生できないのでは? たった2、3年で、施設から出てきても、また、同じ犯罪を繰り返すのではないの?と想わずには居られませんでした。
それでも。
そんな彼らを保護し更生させる・・・というのが、現行の日本の法律。
どんなに悪いことをしたからって、私怨・私刑(リンチ)で殺して良いという理由はありません。
ありませんが・・・・それは、頭では分かっているのですが。
でもでも。
この場合、どうしても、長峰の方が正しいように思えてしまうのですよね。

いかなる理由があっても、人を殺してはいけない。
暴力に暴力で応酬しても、そこからは何も生まれない。

そんな綺麗事は、通用しない、長峰の怒り。そして、それは、人間として、至極当然な想いだと想いました。

もし自分が、大切な人を、極めて理不尽な犯罪で失ったとしたら・・・・。
法律なんかに任せられない、なんとしてでも、自分の手で復讐を!って、絶対に許せない気持ちになります。
だから、長峰は悪くない・・・。私はそんな風に感じました。

でも、このテーマは、きっと、どれだけ突き詰めても、永遠に答えは出ないのではないかな・・・とも想うのですよね。

「法律」がある以上、どんなに残忍な犯罪者であっても、それを裁くのは、法律でなければならない。
さもないと、誰でもが私刑に走ってしまったら、この社会はとんでもないことになってしまうますものね。
けれども、犯罪者にも人権があるのも、また事実。
そして、それが未成年だった場合には、死刑や無期懲役にはならず、更生の機会が与えられる。
もちろん、犯罪を犯してしまった人の中でも、それを繰り返す人と、真に罪を悔い、反省し、人生をやり直す人もいるでしょうから。
すべての犯罪者・・・若者から更生のチャンスを奪ってしまってはいけないのかもしれない。
・・・けれども。
人として、許せない感情は、どうしようもありません。
目先の欲望だけのために、大切な人を奪われた人は、この先、どうしたら良いのか・・・。
それを考えると・・・私は、やはり、長峰の行為を「悪」とは言えないのですよね。

物語の結末は、ある程度予想通りでした。
長峰に、「暴力に暴力で応酬してはいけない」と言った、ペンションの娘さん。
そして、長峰の心情を汲んで、こっそりと猟銃を渡してくれた、ペンションオーナー。
彼らの気持ちを汲んだ長峰だからこそ、最後は・・・・・・思ったのですね。
そして、予想通りの結末でした。

彼は、決して、冷酷な殺人鬼だったわけではありません。
勿論、最初に、トモザキを殺したときは激情に駆られての殺害でしょうが・・・。
でも、スガノを追っている時の長峰には、単に、「復讐」だけでない、何らかの思いや考えがあったと思います。
それだけに・・・ラストシーンは、物凄く哀しかったです。

寺尾聰さん演じる、父親の慟哭が胸に痛かったです。
また、その事件の担当刑事を演じる竹野内豊さんも、熱演でした。警察という立場的には、殺人者になった長峰を捕まえ、第二の被害者(つまり、娘殺害の犯人スガノ)を出さないようにしなければいけない。あんな非道な犯罪を犯した少年を守り、被害者である長峰を捕まえなくてはいけないという、矛盾に悩む刑事の姿は、多分、映画を鑑賞する私たちと同じ目線なんだろうなぁって思いました。


凶悪な犯罪が多発する現在社会。
被害者だけでなく、被害者の家族もまた、被害者です。
そして、『手紙』で描かれていたように、加害者の家族もまた、苦しい思いをします。

この世の中から犯罪がなくなること・・・それは無理なことなのかも知れませんが、そう願わずにはいられない気持ちになりました。

誰もが、幸せに生きていきたいです。
犯罪による理不尽な死などあってはいけないのですから。