今日は、映画の感想を♪
色々と映画を見ていたのですが・・・なかなか感想をまとめる時間(PCに向かってる時間)がなくて、かなり遅くなりましたが。
2週間ほど前、公開終了、かな~りギリギリに見てきました、『ライフ・オブ・パイ』を。
■『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』予告編
カナダ在住の、インド系カナダ人のパイの元に、新作に行き詰まった若いライターが訪てきます。
パイの知人という男性から、パイに会って、パイの特別な体験談を聞けば、きっと、良い本が書けるだろう・・・と。
こうして、ライターは、パイから、彼の若かりし日の驚くべき体験の話を聞くことになるのでした。
「聞けば、神を信じたくなる、驚くべき話」
・・・その話とは。
インドで動物園を営む家に生まれたパイの幼少期から始まります。
幼いころから、いろんな宗教に興味を持っていたパイですが、16歳の時に、一家でカナダに移住することになります。
その際、動物園の動物も移住先で買い取って貰うため、動物と共に、日本の商船に乗り込むわけですが。
その船が、太平洋上で沈没。
なんとか、救命ボートに乗り込んだパイですが、家族の安否は絶望的。
そして、彼の乗ったボートは、人間は彼一人。
あとは、足を怪我したシマウマや、オラウータン、ハイエナ、そしてベンガルトラなど、動物園の動物が乗っていたのでした。
こうして、パイの漂流が始まるのですが・・・。
彼は、どうして生き延びることが出来たのか・・・・・・!!??
っていうか、この物語、原作がベストセラー小説・・・というのは知っていたのですが、未読です。
そして、映画自体も、予告編の前知識くらいしかないまま見ましたです。
ので。
ある意味、予想していたのとは全然違うお話でした!!
・・・なんというか、わたし的には、予告編のイメージから、主人公がトラと漂流しながら、トラと共存関係みたいな絆(?)が芽生えて、同じ、生き物同士、寄り添いながら生き延びる漂流譚なのかな・・・と勝手に想像していたのですが。
いやはや、全然違いましたです。
思っていたよりも、とても深く、哲学的、宗教的、宇宙的であり、人間の「生」の本質を問う作品だったです。
映像も、幻想的なほど美しく、作品テーマも深くて、素晴らしい作品でした。
でも、私は、少~し怖くなっちゃったかな???(^^;;
色々、想像力をたくましくし過ぎて(笑)
最初は、普通に、主人公のパイが、トラと共に漂流するお話だと思って鑑賞していました。
でもでも、途中、いろいろと「?????」と思うシーンがあったのですよね。
例えば、その漂流の状況があまりにも美しすぎる点・・・とか。
最初、彼が漂流したボートの中には、足を怪我したシマウマや、息子を亡くしてしまったメスのオラウータン。また、そんな動物たちを虎視眈々と狙うハイエナも乗っていました。もちろんトラも。
で、結果的には、シマウマやオラウータンは、ハイエナにやられてしまう訳ですが。
そのシーン自体は、ボートの遠景と、パイの悲鳴だけで描かれ、具体的なことは描かれません。
そして、そのハイエナも、トラにやられちゃう訳ですが・・・。
そういう動物同士の争い・・・というか生きるための戦いがあったにも関わらず、常にボートの中は綺麗だったのですよね。
いや、まあ、それは映画だからかなぁと思って見ていたのですが・・・。
ラストのラストの結末を知ると。
ボートの中が綺麗だったのも、なんとなく、納得できましたし。
そして、トラの名前。
「リチャード・パーカー」という名前も、な~んか、最初から引っかかる部分があったのですが。
これも、いろいろな意味が込められているのだろうなぁと思うと、納得。
それに、漂流中のパイは、生き延びるための知識を沢山持っていましたよね。
「凄いなぁ」と思いながら見ていた訳ですが、まあ、これに関しては、パイは、元々とても頭が良さそうだったから、こういう、いざという時の知恵や機転、応用力があるのかなぁと思っていました。
でも、これも、ラストのラストを知っちゃうと、ああ、なるほど・・・と。
そう。
結末を知ってから改めて思い直すと、いろいろと「暗示」している表現は多かったのではないかなぁと思います。
パイの子供時代のトラとのエピソードも。
トラと友達になろうとしていたパイに、父親は、こんな感じのことを言いますよね。
「トラは猛獣だから、友達になんてなれない。もしトラに心があって通じ合えると思ったとしても、それは、トラの目の中に映る、自分自身の心を見ているだけだ」
と。
これも、今から思えば、凄く深い気がします。
勿論、結末をどう捉えるか、何が真実だったのかは、ハッキリとは言及されません。
それは、鑑賞者側の自由にゆだねられています。
でも、私は、トラと漂流したのではなく、パイが病院で、保険調査員に語った「もう一つの話」というのが真実なのだと思いました。
でもでもでもでも。
パイは言いますよね?
「あの事故で生き残ったのは、自分ひとり。真実を知るのは自分ひとり。トラと漂流した話と、もう一つの話、どちらが良いか?」
と。
私も、真実は、きっと、もう一つの話なのだと思うのですが・・・。
じゃあ、どっちの話を選ぶか?と問われると、人として、トラと漂流した話を選びたいです。
そして、それは、保険の調査員も同じだったのでしょう。
事故の記録としては、「パイはトラと漂流した」ということで残され、すなわち、これが真実ということになっていましたものね。
パイしか生き残りが居なかった・・・つまり、真実を知るのは、パイ一人。
だから、パイの語ることは、それが例え、真実とは異なることだったとしても、結果として「真実」となる。それで良いのかもしれない・・・ですよね。
「もう一つの話」は、わたし的には、結構、ショッキングすぎて。。。。。
ちなみに、最初から「????」と思いつつ見ていた私ですが、「もしかして・・・・?」と気付き始めたのは、どこからだったかな・・・。決定的に感じたのは、あの不可思議な浮島のシーンからかな。
あの現実には有り得ないような不思議な島は、いろいろな事を暗示していたのではないかなぁと思いました。
昼間は楽園のような島なのに、夜になると、島自体が食虫植物のようになって、生き物を喰らってしまうということ。
花の中から出て来た人間の歯。
異様なほどたくさんのミーアキャット。
そして、遠景から見た、島の形。
なんだか、凄く深い意味が込められていて、パイの漂流生活自体において(パイの精神世界において)も、大きな意味のある島でしたよね。
あくまで、私の解釈では・・・ですが、漂流の真相は極限状態だったのだと思います。
けれども、パイが漂流する海のシーンは、本当に、幻想的で美しく、この世のものではないかのような素晴らしさでした。(っていうか、それが美しいだけに、余計に怖いと思ってしまったのは私だけ?(^^;;)
夜の海と夜空が一体化して、まるで、宇宙にポツンとボートだけが浮かんでいるように見えるシーンとか、凄く哲学的というか、宗教観的なものを感じました。
パイ自身、幼いころから、ヒンズー教にキリスト教に、イスラム教とを信じ、どこか求道者チックな面もありましたしね。
あの幻想的な海のシーン、偉大なる自然の前に為す術もなくただただ一人・・・というのは、彼の精神世界の象徴でもあったのかなぁと想像します。
「生きることは手放すこと」
彼は、あの事故で、家族を亡くし、故郷も無くし、動物たちも無くし、恋人とも別れます。
彼の手元には、その命以外、何も残らなかったことと思います。
そして、あの漂流生活で、彼が手放した一番大きなものは何だったのか・・・。
けれども、振り向かずに森の中に消えていったトラ。
色々と考えると、ちょっと心が重くなっちゃいましたが(^^;;
そうそう。
原作小説の方を、本屋さんでチラっと見て、そのあとがきか何かに書いてあったのですが。
この映画、最初は、ナイト・シャラマン監督が撮る予定だったとかなんとか。
でも、シャラマン監督が多忙だったため降板し、最終的に、アン・リー監督がメガホンを取ることになった・・・と。
最初はシャラマン監督の予定だった・・・というところで、ちょっと「なるほど」と思わずニヤリ。
本当に、この物語は、いろいろな解釈が出来る作品ですし、哲学観の強い作品でした。
でも、とても深いテーマが、幻想的な映像美と共に描かれてて・・・色々と考えさせられた作品でした。
色々と映画を見ていたのですが・・・なかなか感想をまとめる時間(PCに向かってる時間)がなくて、かなり遅くなりましたが。
2週間ほど前、公開終了、かな~りギリギリに見てきました、『ライフ・オブ・パイ』を。
■『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』予告編
カナダ在住の、インド系カナダ人のパイの元に、新作に行き詰まった若いライターが訪てきます。
パイの知人という男性から、パイに会って、パイの特別な体験談を聞けば、きっと、良い本が書けるだろう・・・と。
こうして、ライターは、パイから、彼の若かりし日の驚くべき体験の話を聞くことになるのでした。
「聞けば、神を信じたくなる、驚くべき話」
・・・その話とは。
インドで動物園を営む家に生まれたパイの幼少期から始まります。
幼いころから、いろんな宗教に興味を持っていたパイですが、16歳の時に、一家でカナダに移住することになります。
その際、動物園の動物も移住先で買い取って貰うため、動物と共に、日本の商船に乗り込むわけですが。
その船が、太平洋上で沈没。
なんとか、救命ボートに乗り込んだパイですが、家族の安否は絶望的。
そして、彼の乗ったボートは、人間は彼一人。
あとは、足を怪我したシマウマや、オラウータン、ハイエナ、そしてベンガルトラなど、動物園の動物が乗っていたのでした。
こうして、パイの漂流が始まるのですが・・・。
彼は、どうして生き延びることが出来たのか・・・・・・!!??
っていうか、この物語、原作がベストセラー小説・・・というのは知っていたのですが、未読です。
そして、映画自体も、予告編の前知識くらいしかないまま見ましたです。
ので。
ある意味、予想していたのとは全然違うお話でした!!
・・・なんというか、わたし的には、予告編のイメージから、主人公がトラと漂流しながら、トラと共存関係みたいな絆(?)が芽生えて、同じ、生き物同士、寄り添いながら生き延びる漂流譚なのかな・・・と勝手に想像していたのですが。
いやはや、全然違いましたです。
思っていたよりも、とても深く、哲学的、宗教的、宇宙的であり、人間の「生」の本質を問う作品だったです。
映像も、幻想的なほど美しく、作品テーマも深くて、素晴らしい作品でした。
でも、私は、少~し怖くなっちゃったかな???(^^;;
色々、想像力をたくましくし過ぎて(笑)
最初は、普通に、主人公のパイが、トラと共に漂流するお話だと思って鑑賞していました。
でもでも、途中、いろいろと「?????」と思うシーンがあったのですよね。
例えば、その漂流の状況があまりにも美しすぎる点・・・とか。
最初、彼が漂流したボートの中には、足を怪我したシマウマや、息子を亡くしてしまったメスのオラウータン。また、そんな動物たちを虎視眈々と狙うハイエナも乗っていました。もちろんトラも。
で、結果的には、シマウマやオラウータンは、ハイエナにやられてしまう訳ですが。
そのシーン自体は、ボートの遠景と、パイの悲鳴だけで描かれ、具体的なことは描かれません。
そして、そのハイエナも、トラにやられちゃう訳ですが・・・。
そういう動物同士の争い・・・というか生きるための戦いがあったにも関わらず、常にボートの中は綺麗だったのですよね。
いや、まあ、それは映画だからかなぁと思って見ていたのですが・・・。
ラストのラストの結末を知ると。
ボートの中が綺麗だったのも、なんとなく、納得できましたし。
そして、トラの名前。
「リチャード・パーカー」という名前も、な~んか、最初から引っかかる部分があったのですが。
これも、いろいろな意味が込められているのだろうなぁと思うと、納得。
それに、漂流中のパイは、生き延びるための知識を沢山持っていましたよね。
「凄いなぁ」と思いながら見ていた訳ですが、まあ、これに関しては、パイは、元々とても頭が良さそうだったから、こういう、いざという時の知恵や機転、応用力があるのかなぁと思っていました。
でも、これも、ラストのラストを知っちゃうと、ああ、なるほど・・・と。
そう。
結末を知ってから改めて思い直すと、いろいろと「暗示」している表現は多かったのではないかなぁと思います。
パイの子供時代のトラとのエピソードも。
トラと友達になろうとしていたパイに、父親は、こんな感じのことを言いますよね。
「トラは猛獣だから、友達になんてなれない。もしトラに心があって通じ合えると思ったとしても、それは、トラの目の中に映る、自分自身の心を見ているだけだ」
と。
これも、今から思えば、凄く深い気がします。
勿論、結末をどう捉えるか、何が真実だったのかは、ハッキリとは言及されません。
それは、鑑賞者側の自由にゆだねられています。
でも、私は、トラと漂流したのではなく、パイが病院で、保険調査員に語った「もう一つの話」というのが真実なのだと思いました。
でもでもでもでも。
パイは言いますよね?
「あの事故で生き残ったのは、自分ひとり。真実を知るのは自分ひとり。トラと漂流した話と、もう一つの話、どちらが良いか?」
と。
私も、真実は、きっと、もう一つの話なのだと思うのですが・・・。
じゃあ、どっちの話を選ぶか?と問われると、人として、トラと漂流した話を選びたいです。
そして、それは、保険の調査員も同じだったのでしょう。
事故の記録としては、「パイはトラと漂流した」ということで残され、すなわち、これが真実ということになっていましたものね。
パイしか生き残りが居なかった・・・つまり、真実を知るのは、パイ一人。
だから、パイの語ることは、それが例え、真実とは異なることだったとしても、結果として「真実」となる。それで良いのかもしれない・・・ですよね。
「もう一つの話」は、わたし的には、結構、ショッキングすぎて。。。。。
ちなみに、最初から「????」と思いつつ見ていた私ですが、「もしかして・・・・?」と気付き始めたのは、どこからだったかな・・・。決定的に感じたのは、あの不可思議な浮島のシーンからかな。
あの現実には有り得ないような不思議な島は、いろいろな事を暗示していたのではないかなぁと思いました。
昼間は楽園のような島なのに、夜になると、島自体が食虫植物のようになって、生き物を喰らってしまうということ。
花の中から出て来た人間の歯。
異様なほどたくさんのミーアキャット。
そして、遠景から見た、島の形。
なんだか、凄く深い意味が込められていて、パイの漂流生活自体において(パイの精神世界において)も、大きな意味のある島でしたよね。
あくまで、私の解釈では・・・ですが、漂流の真相は極限状態だったのだと思います。
けれども、パイが漂流する海のシーンは、本当に、幻想的で美しく、この世のものではないかのような素晴らしさでした。(っていうか、それが美しいだけに、余計に怖いと思ってしまったのは私だけ?(^^;;)
夜の海と夜空が一体化して、まるで、宇宙にポツンとボートだけが浮かんでいるように見えるシーンとか、凄く哲学的というか、宗教観的なものを感じました。
パイ自身、幼いころから、ヒンズー教にキリスト教に、イスラム教とを信じ、どこか求道者チックな面もありましたしね。
あの幻想的な海のシーン、偉大なる自然の前に為す術もなくただただ一人・・・というのは、彼の精神世界の象徴でもあったのかなぁと想像します。
「生きることは手放すこと」
彼は、あの事故で、家族を亡くし、故郷も無くし、動物たちも無くし、恋人とも別れます。
彼の手元には、その命以外、何も残らなかったことと思います。
そして、あの漂流生活で、彼が手放した一番大きなものは何だったのか・・・。
けれども、振り向かずに森の中に消えていったトラ。
色々と考えると、ちょっと心が重くなっちゃいましたが(^^;;
そうそう。
原作小説の方を、本屋さんでチラっと見て、そのあとがきか何かに書いてあったのですが。
この映画、最初は、ナイト・シャラマン監督が撮る予定だったとかなんとか。
でも、シャラマン監督が多忙だったため降板し、最終的に、アン・リー監督がメガホンを取ることになった・・・と。
最初はシャラマン監督の予定だった・・・というところで、ちょっと「なるほど」と思わずニヤリ。
本当に、この物語は、いろいろな解釈が出来る作品ですし、哲学観の強い作品でした。
でも、とても深いテーマが、幻想的な映像美と共に描かれてて・・・色々と考えさせられた作品でした。