★ベルの徒然なるままに★

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映画『ラブストーリーズ コナーの涙』『ラブストーリーズ エリナーの愛情』

2015年06月18日 | 徒然なる日常
今日も映画の感想を♪

3月に見た映画で、ずっと、感想を書きたい、書きたいと思ってて、なんだか、そのままになっちゃっていました。

ちょっと今更・・・な感じもあるのですが、凄く好きな作品で、しかも、とても面白い構成をしている作品なので、遅くなっちゃいましたが、感想アップしてみます。


■映画『ラブストーリーズ コナーの涙』『ラブストーリーズ エリナーの愛情』予告編





私の大好きな、ジェームス・マカヴォイ主演の作品です。

で。

この映画、本当に作りが面白いのです。

物語はというと。

愛し合って結婚した一組の夫婦が、子供を亡くしたことにより関係が破綻し、別れ、それぞれ再生の道を歩み出し、そして、再会する・・・というものなのですが。

それを、男性視点で描いた『コナーの涙』編と、女性側の視点で描いた『エリナーの愛情』編という、異なった視点で描いた、2つの作品になっているのです。

『コナーの涙』、『エリナーの愛情』という二つの作品。
どちらか1つだけを見ても、映画として成り立っていますし、ストーリーも分かります。
でも、2つ両方見て、初めて、色々と真実が分かったりするので。
それぞれ1つでも成り立ちますが、やっぱり、これは2つで1つの完成された作品だと思うのです。

私は同じ日に、連続して、『コナーの涙』→『エリナーの愛情』という順番で見ました。

もしかしたら、見る順番によっても、印象が変わったりするのかなぁとも思うのですが。
私はこの順番で見て良かったかなぁと思っています。


ラブラブな恋人時代を経て、結婚。
きっと、子供の死さえなければ、幸せな家庭を、人生を歩んでいたであろうコナーとエリナー。

しかし、子供の死により、エリナーは精神状態が不安定になり、心を病み、完全に塞ぎ込み、鬱になます。そして、自殺未遂まで起こすのでした。

自分のレストランの経営も難しくなってきて、仕事の面でも危機的状況であるにも関わらず、コナーはそんなエリナーを心配し、出来るだけ傍に居て、彼女に寄り添い、二人でこの悲しみを乗り越えようとしているのですが。

エリナーは、「別れたい」と言って、コナーの前から姿を消し、その所在や連絡先すらも告げません。

エリナーの居なくなった日々の中で、コナーは、自分や親や仕事と向き合いながら、悲しみを乗り越える一歩を歩もうと努力します。

一方、自殺未遂をし、どん底にいたエリナーは、コナーの元を去ったあと、聴講生として大学に通うようになることで、新たな一歩を踏み出そうとします。

コナー編、エリナー編で、それぞれの再生への道が描かれる訳ですが。

実に興味深いのは、同じエピソードであるのに、コナー編とエリナー編では、その捉え方が全然違うというか。
つまり、同じエピソードであるのに、男性視点と女性視点では、全く違う出来事として描かれているのですよね。
それは、時として、行動や台詞すら全然違ってて。

どちらかの記憶違いなのか・・・いやそうではなくて、人間というものは、得てして、物事を自分の都合の良いようにしか解釈しないということの表れであって、そこは興味深いです。

そして、それは、男性と女性で全然違っていて。

考え方、感じ方、大事な物・・・男と女でこんになも違うんだ!ってビックリしました。

それこそが、この映画の注目点だと思います。


男性視点からの『コナーの涙』を見ると、やはり、男性は感情より理論な生き物なのかなぁと思ってしまいました。

というのが、コナー編では、夫婦のエピソードが実に時系列にそって、キチンと描かれて行くのですね。コナー編では、彼がエリナーと付き合っている頃のラブラブ恋人時代から物語は描かれます。

一方、『エリナーの愛情』を見ると、まず、彼女が自殺未遂を起こすシーンから始まります。
そして、エピソードの時系列などもバラバラで。
コナー編では冒頭だけで描かれていた、二人のラブラブ恋人時代のエピソードも、時系列に沿わず、物語の随所随所で、唐突に挿入されたりするのです。

これは、やっぱり、コナーが物事を順序よく理論的に捉えているのに対し、エリナーは感情的に捉えているっていうことなのかなぁと思ってみたり。

しかも、コナー編では、デートの時、二人でふざけて「食い逃げ」をしたエピソードがメインで描かれるのに対し、エリナー編では「食い逃げ」のエピソードは出てきません。二人でキスをしたり、イチャイチャするラブシーンがメインです。

つまり、コナーにとって、デートの想い出といえば、二人でふざけて食い逃げをした・・・という面白おかしいエピソードなのでしょうが。
エリナーにとっては、そんなことはどうでもよくて、彼とキスをしたり、愛し合ったりした、イチャイチャの方が大切な想い出・・・というか。

同じ出来事を経験している二人のハズなのに、その出来事の中の何に重点を置いているか・・・っていうのも、男女で違うのですよね。

また、一度は別れた二人が再会し、車の中でイイ雰囲気になるものの、コナーが「実は、他の女性と寝てしまった」と告白をすることによって、急速に覚めちゃうシーンがあるのですが。

その時も、男性視点では自分から告白しているのに対し、女性視点では「他の女性と寝たのね?」と女性の方から指摘していますし。
あと、そういう雰囲気になった時、どちらが積極的に求めて来たか・・・も、男女の視点によって、差があったようにも感じました。

これは、エリナーを愛していると言いつつも、他の女性と寝てしまったコナーの後ろめたさの言い訳、その行為を正当化するための、コナーの願望が混ざっている故の、描き方の違いですよね。

はたまた。

一番印象的だったのは、エリナーが、「亡くなった子供の顔を、もう思い出せない」と泣いた時に、コナーが子供の顔を彼女に説明しあげるシーンなのですが。

コナー編では、子供の顔のパーツ一つ一つを、ここは君に似てて、ここは僕に似てて~~と説明していくのに対し。
エリナー編では、同じシーンで、コナーはただ、「君に生き写しの顔だった」って言うのですよね。

全く同じシーンなのに、台詞が違う!

これは、どちらかの記憶違い・・・というより、人って、他人の言う事を自分の都合の良いように解釈したり、また、その解釈の中には、自分の願望が混ざっていたりするという証なのかもしれないなと思いました。

きっと、このシーンだと、「君に生き写しだった」と言われたいエリナーの願望が、彼女の記憶を補完(?)してしまったのでしょうね。

そしてそして。

互いに「愛してる」と言うシーンも。

男性視点、女性視点によって、最初に「愛してる」っていう側が違うのですよね。

それぞれ、相手の方から「愛してる」って、言って貰ってるし。

ここら辺りも、互いの「愛している」と言われたい・・・という願望なのでしょう。


同じ出来事なのに、こんなに男女で捉え方が違っていたり、自分の望んでいる解釈をすることによって全然違うエピソードになったりって、興味深いです。

でも、これって、実は、自分にも当てはまるのかもしれませんよね。

日々の生活においても、他人が言った意図の通り、自分は正しく物事を捉えているのか。

案外、自分視点・自分中心で、自分の都合の良いようにしか捉えていないのかもしれません。


そして、男女の違い・・・というか、コナーとエリナーの違いについて思ったのが。

コナーにとっては、自分、エリナー、子供、仕事、とそれぞれ大切な物があって。
その大切なものは、皆、同じレベルで大切で、それぞれが独立している別物として個別に捉えているのではないかなぁと。

なので、子供を亡くしたことは、それは耐え難いほどの悲しみであり、喪失感なのですが、でも、だからと言って、エリナーへの愛情が無くなった訳でも、仕事がどうでも良くなったわけでもなくて。

それはそれ。これはこれ・・・みたいな感じで、彼の中では、子供を失った悲しみとエリナーへの愛情と、仕事への想いが、それぞれ個別に並行して進んでいるのですよ。
だから、この悲しみをエリナーと二人で乗り越えたいと願っていた。

一方、エリナーの方は、子供が最も大切な物であって。最愛の子供を失ったので、自分の事も、コナーの事も、何も考えられなくなった・・・という「母親」ならではの視点なのですよね。

エリナーにとっては、子供=自分なのです。

だから、子供の顔を説明するシーンで、エリナー視点の方だと、コナーは「君に生き写しの子だった」みたいな台詞を言ってますし。
エリナーにとって、子供は自分の分身だったことの表れでしょう。

だから、全ての事を並行して捉えているコナーの態度が冷たく想えたのかもしれない。
コナーが悲しんでいないと感じたのかもしれない。

でも、決して、コナーが悲しんでいなかった訳ではなくて。

その悲しみの捉え方が、男女で・・・父親と母親で違っていた。
そして、互いに互いが、それを理解出来なかった。

という所じゃないかなぁと感じました。


そうそう。

最初にコナー編の冒頭を見て感じたのが、彼らの家が、割と最近まで赤ちゃんがいた家とは思えないくらい、大人の空間だったことなのですよね。
もっとこう、赤ちゃん用品とか部屋にあっても良さそうなのに。
まるで、恋人同士が住んでいるような家だなぁって。

これは、物語の後半で、クローゼットに赤ちゃん用品や玩具がたくさん片付けてあったことで、

「ああ、辛いことを思い出さないように片付けたんだなぁ」

って分かるわけですが。

でも、エリナー編では、子供のものをコナーがクローゼットに放り込んだことで、エリナーは傷ついてました。

コナーにとっては、自分やエリナーが辛いことを思い出さなくても良いように・・・と、良かれと思ってやったことなのかもしれない。
別に、赤ちゃんのものが、大切じゃないとか、そういうのではなくて、現実的に捉えての行動だったのかもしれません。

でも、母親であるエリナーは、どうしても、現実的に捉えれることが出来なくて。
コナーのそういう行為に心を痛めた。

・・・二人共、本当は凄く悲しくて辛いのに。
そういう、物の捉え方、感じ方の違いにより、すれ違ってしまう。
互いに愛しているのに、そういうすれ違いが積み重なり、一緒に居られなくなる。

なんだか切なかったです。

私は男性視点のコナー編から鑑賞し、尚且つ、コナー役のマカヴォイ様のファンなので(//▽//)

最初に映画を見た時は、こんなに愛されててエリナーは何が不満なんだ!?、共に悲しみを分かち合って、乗り越えて行こうとしないんだ・・・って、エリナーのことをワガママにも感じましたが。

でもでも、エリナー編を見てみると、エリナーの辛さや、コナーの無神経さ(というか、彼女の苦しみを理解しようとしてたけど、出来ていなかった)がヒシヒシと伝わって来て。。。。

どちらかが悪い訳では無いのに、なぜ、男女はこんなにもすれ違うのかなぁって。
凄く切なかったです。


なので。

ラストの再会のシーンは、少し希望が見いだせて。

二人が再び、人生を共に歩む未来を祈らずにはいられませんでした。


1つの同じ物語を男女異なる視点から描く・・・。

凄く興味深い描き方の作品で、そして、切ない大人のラブストーリーでした。