懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

古い町並み  室津

2011年11月27日 | 古い町並み
室津は兵庫県御津町(今はたつの市)の半島の先にある。知っている人はよく知っているが知らない人は全く知らない場所である。奈良時代からの良港である。
港にも荷物の受け渡しをする港と休息、宿泊のための港がある。
荷物の受け渡しをする港は消費地の都市近郊の港である。室津はむしろ宿泊の海の宿場的な役割を果たした。海の宿場港は半島の先端部にあることが多い。湾内の港だと海流もないし風を帆に受けて走るので大変時間が掛かるので最短距離で瀬戸内海を走った。
瀬戸内海は波が穏やかだし進路を見失うこともなく満ち引きの海流に乗れば楽に走る事ができたので古くから航路が発達した。牛窓、下津井、鞆、御手洗、上関などが歴史を残した港町である。
室津は入り江になっていて島が風除けになっている天然の良港である。洪積地の港は川からの土砂で埋まってしまい使えなく事があった。今のように機械が無いので浚渫が出来ず埋まった港は放棄された。室津は潮の流れも速く河口から遠いので港が堆積物で埋まることは無かった。
瀬戸内海航路は江戸時代には参勤交代にも使われた。本陣が六か所もあったと書かれてる。街道を使っての参勤交代は大変であったと思う平坦なところばかりではなく山越え、川越えの連続であったと思う。
その点、海路は楽であったと思う。しかし、海路も大坂までである。大坂からは陸路で江戸に向かわなければならなかった。
参勤交代は紀伊水道を通り海路で江戸に向かうのは許されなかった。それは紀州、尾張、江戸の徳川三家が海上より攻入られるのを恐れたからであろう。
街道にはいくらも関を設けて出入りのチェックが出来るが海路は無防備である。

私が初めて訪れた時には建物の痛みが大きかった。どの家も解体補修が必要な状態であった。
平成になり車で訪れた時には古い昔の建物はほとんどなくなっていた。しかし集落の道は躊躇するほど狭いままだった。海岸線に沿って走る道は七曲といわれるほどカープが多い。


江戸時代の建物と思われる造り、傷みが酷い改修の必要な状態だった。


本瓦葺きの重厚な民家が並ぶ、左の島が風除け波除になる自然の良港だった。