懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 NO,182  山形県白鷹町の民家

2014年12月22日 | 日本茅葺紀行
山形市と白鷹や長井市を結ぶ国道348号線から見えるとこにある茅葺き民家。
白鷹から山形市には峠越えになっている。
その道沿いに集落が点在してわずかながら茅葺きが残る。
昭和40年代の東北の田舎にはどんな風景が残されていたのであろうか
さぞかし郷愁に満ちた風景であったと思う。
車の免許も持っていなかった時代、交通手段もバスに頼るしかなかったであろう。
峠越えの道も悪路であったとおもう。
山形には蒸気機関車を撮影に訪れただけである。白鷹には国鉄長井線が走っていたがここまで来る時間は無かった。
しかし、その当時は鉄道の事しか興味がなく民家などには全く目がいっていない、
カメラがデジカメになっても写真は自分が構想しているものしか撮れない。
何も考えなければ撮る動機さえ起きない。カメラは簡単に扱える機械になったが個人の構想力や企画力、交渉力によってどうにでも変わる機械である。

茅葺き民家の前の畑には桑が植えられている。
刈り込まれているのでまだ養蚕をやっているのであろうか。
この民家も採光や換気のため妻側の軒が切り落とされているので養蚕民家だったのであろうか

余談だが昔は雷がなるとクワバラクワバラ(桑原桑原)と呪文を唱えていた。
雷鳴が聞こえると母も祖母もクワバラクワバラと言っていた。
いまもこんなの唱える人はいるであろうか