撮影場所 山陽線倉敷駅
EF15形電気機関車もいまでは懐かしい。
EF15形は昭和22年から33年にかけて202両製造されている。
直流区間の電気機関車で運用は貨物用の機関車と書いてある。
昭和61年まで阪和線で活躍されていた。
山陽線はいつ頃まで走っていたのであろうか昭和47年頃までいたように思う。
EF65形やEF66形が大量に投入されてからお役ごめんになったのか。
蒸気機関車の撮影する間にちょつと撮影していたのであろう。
機関車の前後にデッキが付き色はチョコレート色で見るからに古臭かった。
岡山機関区から操車場の間を蒸気機関車を回送するときにヤードに置かれたEF15をよく見た。
ヤードに置かれた電気機関車を撮ったかというとあまり撮影していない。
フィルムを使ってまで積極的には撮らなかった。
蒸気機関車だけを撮るのではなく昭和の風景を撮る、昭和の鉄道風景を撮る。というテーマ設定にすれば撮っていたかもしれない。
こんなのは企画力、構想がしっかりしていないといい作品に作れない。
今回の格言 「凡人は後からそれに気づくもの」
EF15形電気機関車もいまでは懐かしい。
EF15形は昭和22年から33年にかけて202両製造されている。
直流区間の電気機関車で運用は貨物用の機関車と書いてある。
昭和61年まで阪和線で活躍されていた。
山陽線はいつ頃まで走っていたのであろうか昭和47年頃までいたように思う。
EF65形やEF66形が大量に投入されてからお役ごめんになったのか。
蒸気機関車の撮影する間にちょつと撮影していたのであろう。
機関車の前後にデッキが付き色はチョコレート色で見るからに古臭かった。
岡山機関区から操車場の間を蒸気機関車を回送するときにヤードに置かれたEF15をよく見た。
ヤードに置かれた電気機関車を撮ったかというとあまり撮影していない。
フィルムを使ってまで積極的には撮らなかった。
蒸気機関車だけを撮るのではなく昭和の風景を撮る、昭和の鉄道風景を撮る。というテーマ設定にすれば撮っていたかもしれない。
こんなのは企画力、構想がしっかりしていないといい作品に作れない。
今回の格言 「凡人は後からそれに気づくもの」