懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

棚田 岡山県久米南町

2011年11月07日 | 農作業
撮影 岡山県旧久米南町北庄

岡山県は新潟県についで棚田が多い。
岡山県と広島県は山の上が平らな土地が多く、広島県は賀茂高原、岡山県は吉備高原と呼ばれ水田が盛んである。
しかし、同じようにできた地形でも岡山と広島では大きく違う。広島は平らな高原が続くのに 岡山県には大きな川が三本流れていてその川の流れているところは浸食され谷間になっている。その谷間の傾斜地が棚田として耕作されている。この谷間が交通や地域の交流に弊害になったと思われる。

江戸中期には西日本では耕作地に占める人口が飽和に達したといわれいる。
米の生産量を増やすために海岸や原野の新田開発と山間部では石垣を積み土を運び棚田を増やしていった。
庶民の住むところは律令制に始まり厳しく制限された。山で生まれた者は一生住む場所も職業の自由は許されなかった。
厳しい環境の中で人々は長年くらしてきた。

棚田地帯で耕運機の刃を交換していたので話掛けて撮影させてもらった。
棚田には石ころや岩盤が出ていて刃が痛むので交換しているのだそうだ。棚田はいくら持っていてもこれを担保に金を貸してくれない。棚田はは傾斜地で崩れている過程の土地としての評価でしかない。













茅葺き民家 杉木立の風景

2011年11月06日 | 茅葺き民家
戦後植林が進み杉や檜が民家の際まで立ち並ぶ風景が山間地の風景となった。
日本の国土の2/3は森林で、その58パーセントが自然林や草原だそうだ。41パーセントが人工林で杉の人工林が檜の倍近くを占める。
北海道では寒すぎて凍裂を起こすので杉やヒノキの植林はほとんどない。

杉は風倒木や杉花粉の問題もありいささか嫌われ物になっている。
人工林は常緑針葉樹が多く紅葉もしないし新緑の美しさもないので注目をあびる事はない。
杉木立越しに民家の暮らしや集落の暮らしが見える。それを眺めながら撮るのも楽しいものだ。

撮影場所 京都府京北町、京都府日吉町、岡山県阿波村、岡山県新見市










蒸気機関車 伯備線豪渓

2011年11月05日 | 蒸気機関車
蒸気機関車 伯備線豪渓


伯備線豪渓駅をでて上り線は大きなカーブにさしかかりやがて橋を越えてトンネルに入る。
伯備線の複線化で生まれた路線です。
完成して年数が経過していないので法面や線路の石や地面に落ち着きがない。(時代がついていない)
カープが大きいので内側から標準レンズで走行するのを追う事が出来る。
今のようにいいズームレンズもなくフィルムを巻きながらピントを合わせてシャッターを打つ。
みんな早打ちマックの如くピントを素早く合わせてシャッターを打つ訓練を繰り返した。
現在のような素晴らしいカメラのある時代と手動カメラしかなかったが懐かしい風景が一杯あった昭和の時代とどちらがよいかと言われれば断然、昭和のほうがよいと答える。
しかし、そんな愚問をしても仕方ない。
現在を生きるしかないのである。将来評価されるであろう被写体を探し残す事しかない。

古い町並み  桶屋

2011年11月04日 | 古い町並み
倉敷の阿智神社の下の通りに桶屋があった。
時代は安いプラスチックに代わっていた、そんな中で昔ながらの木製の桶屋さんがあった。
戦後プラスチック製品の開発により暮らしが飛躍的に向上した。
パソコン、テレビの電化製品もプラスチックなしではできなかった。
長年天然素材を使い人間が作ってきたものがプラスチックの開発でとってかわられた。
紐、糸、袋、容器、成型品が簡単に作れるようになった。
プラスチックの開発も素晴らしいが、古代から自然にある天然素材から糸や繊維、袋、容器を作った人間も凄い。平たい板を曲げて桶を作る技術も大したものだ水漏れを起こさない組み立て精度も大したものだ。
お願いして作業の過程を撮影させてもらった。
私の存在など気にせず黙々と作業をするのは職人である。
何年頃まで桶を作っていたか後の事はしらない。
鮨屋や古い旅館などから木製でなければという人もいたに違いない。










茅葺き民家 洗濯物のある民家

2011年11月03日 | 茅葺き民家
茅葺き民家に洗濯物を干してある風景をアルバムにしました。

住まれている人にとっては迷惑な写真である。
日常生活すべてを盗み撮りしたような写真で申し訳なく思っています。

しかし、洗濯物がある事でこの茅葺き民家が展示家屋や文化財でなく、人々の生活している家を示している。
生きている民家を撮影したいのが私の思いです。私自身は軒先に洗濯物を干してある光景に懐かしさを感じるのです。

撮影場所、佐賀県福富町、広島県芸北町、京都府薗部町、島根県大東町 鳥取県日南町













鉄道 笠岡駅

2011年11月02日 | 鉄道
山陽線笠岡駅のホームの写真をお送りします。
笠岡駅のホームに井笠鉄道のホームが隣接していました。
井笠鉄道は明治44年に開業して昭和46年3月31日に廃業となっている。
この当時は笠岡と井原の路線だけが残っていた。
線路の規格は762mmで在来線より狭いのでナローゲージと呼ばれていた。
在来線も狭軌なのだがホームに並んだところを見ると車両ははかなり小さく見える。
九州行きの急行玄海と左の車両を見比べるとかなり大きさが違う。
井笠鉄道の木造客車は大正時代の車両で通称マッチ箱と呼ばれていた。
井笠鉄道には廃止までに何度か足を運んだので何回かに分けて投稿します。

私は昭和44年に他県から岡山県に転勤してきた。井笠鉄道の存在も知らなかった。愛着などあるはずもない。しかし、撮影していてよかったと思う、鉄道を通して昭和という時代、時代の流れが写真に残すことにより正確に判る。

写真左側が井笠鉄道、右側が山陽本線



マッチ箱と呼ばれた井笠鉄道客車、木製で走っているとギシギシときしむ音がする。暖房なしもちろんトイレなし



583系特急電車とすれ違い。特急はと、つばめが活躍していた。






古い町並み 倉敷下津井田ノ浦漁港

2011年11月01日 | 古い町並み
岡山県倉敷市児島下津井の田ノ浦漁港の写真を紹介します。

港のすぐ下まで民家が迫っています。半島に沿って住宅が迫る下津井。
土地を確保するために石垣を組み海の際まで家を建てています。
瀬戸大橋建設に着工する5年前の風景です。
船はまだ木造船です。下津井にも船大工がいて木造船をつくっていました。
現在はほとんどがFRP製ですがこの当時はFRPはみかけません。

現在この港は埋め立てられ外周に広い道路ができました。瀬戸大橋の建設とともに遅れていた下津井のインフラが整備されました。