懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 その47 山形県川西町 鉄道と桜

2013年04月20日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 山形県川西町

茅葺民家の脇に鉄道(米坂線)が走っている。丁度桜も咲いている。
茅葺民家、桜、列車が撮影できる場所でもある。
この踏切の道は余り広くなく車が停車すると交差に迷惑がかかる。
この時は通行のないときに短時間停車して撮影した。車椅子で列車を待っても車の通行の邪魔になり私には撮影が難しい。
全国に鉄道と茅葺民家が一緒に撮れるところが10か所ほどある。
これもどんどん少なくなっていくことであろう。
私の身体では鉄道沿線の撮影は大変困難である。今は鉄道写真も撮りたいものがないので出来ない事には挑戦しない。
もう一枚の写真は裏から撮影したもの屋敷林で囲まれている。
家の形もこの地方では単純な寄棟は少なくT型や曲がり屋や曲がり屋に増設した形が見られバラエティに富んでいる。


鉄道  標津線奥行臼駅

2013年04月19日 | 鉄道
撮影場所  北海道標津線奥行臼駅 昭和48年12月撮影

釧網線の塘路で蒸気機関車を撮影して別海駅(その頃は西別駅だった改称) から標津線に乗り厚床へ向かった。途中の奥行臼駅で停車した時にホームから駅舎を撮影している。
乗っていたのは気動車の客車だった。
標津線にはC11型の蒸気機関車が走っていた。
気動車も撮影しておけばよかったのに気動車には全く興味もなかった。
一枚だけ奥行臼駅舎の写真を撮っている。
古臭い駅がなかなかいい。駅前は駐車場になっている。結構、車を持っていた人がいたのだ。この駅舎は廃線後の現在も保存されていて有形文化財になっている。

標津線は標茶から根室標津まで69.4kmと途中の中標津からの支線47.5kmからなる。
奥行臼駅は標津支線にある。
この路線も1989年4月(平成元年)に廃線になった。
標津線の沿線は白樺林が続くこれと鉄道を一緒に撮ればと思ったが路線は今はない。

茅葺民家  島根県吉田村宇山

2013年04月18日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県吉田村宇山(現在 雲南市)

吉田村は中国山地を挟んで広島県高野町と隣接している。
山間のわずかな田畑に集落が点在している。昔ながらの民家や暮らしが残っていて好きな場所のひとつである。
私の残したい「日本の農山村風景」の場所にもしたい。
私の残したい農村風景の条件には茅葺民家がある事をいれたい。
しかし、現在はこの茅葺民家がある事を条件に入れるのが厳しくなってきた。
どことも茅葺民家の維持が難しくなってきている。
自分が生きている間にお気に入りの農村集落の写真集をまとめ上げたい。
本を出すには金も掛かるのでCDやDVDに解説もいれまとめたいものだ。
私も吉田村には10年以上行っていないので現在はどうなっているか分からない。

私は吉田村へは一般道でいくと五時間近く掛かる。
現在は旧吉田村にも高速道路のインターが出来たそうだ。






古い町並み 民家は痛んだのが味がある。

2013年04月17日 | 古い町並み
撮影場所 倉敷市茶屋町(倉敷の東部、昔ながらの町並みが残っていた)
(
「肉は腐りかけが旨く、民家は痛みかけたのが味がある」などと好き勝手な事をいっている。自分は住みもしないのに他人の家をこんなにいうのは無責任極まりない。

肉は腐りかけが旨いというが本当に腐りかけた物は食中毒をするだけだと思う。
ここでいう腐りかけたはした牛は死後硬直して肉が硬い、時間が経過してたんぱく質が分解しアミノ酸にかわる頃が柔らかくて旨みが出てくるという意味だろう。
冷蔵庫で10日くらい熟成させた時が旨いという意味であろうと思う。
若い頃、素潜りでサザエやアワビをよく獲りに行った。
獲って帰り生きているアワビの刺身を食べるがちっとも美味しくない。死んで硬直が解けて柔らかくなったものは旨みもでて美味しい。
魚の刺身は新鮮でないと柔らかくては美味しくないが肉屋や貝は柔らかく熟成したものが美味しい。

民家も痛みかけた物は耐え抜いて来た時間の長さを感じるとともにこの家もかっては美しく華やかな時があったと思うと郷愁を感じる。
家を建てた人、住んで維持管理した人、補修した人がいて今に残っている。








日本茅葺紀行 その46 福島県南郷村

2013年04月16日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 福島県南郷村(現在は南会津町)

舘岩村に泊まり舘岩周辺の茅葺民家を撮影して只見川に沿いむ磐越自動車の坂下インターに向かう途中、茅葺民家が点在していた。
それを一つ一つ撮影していたら随分と遅くなる。
曲がり屋が多かった。茅葺民家が残っているのに嬉しくなった。
もっと奥まで足を伸ばせばもっとあったのであろうが時間も押し迫りまた来ようと思った。
東北までまた来ようはなかなか実行できたためしがない。
次第に身体も悪くなり再び訪れる事は無かった。
道路脇に小屋に使っているのか古い茅葺民家があった。
木の電柱、藁などが置かれた民家に郷愁をかんじて雪の山をバックに撮影した。


鉄道 駅を撮る

2013年04月15日 | 鉄道
気動車はキハ20系 


撮影場所  徳島県 徳島本線鴨島駅

自分の住んでいる地域の蒸気機関車が姿を消したのは昭和47年9月であった。
蒸気機関車が消えて鉄道への興味が無くなった。何を今後撮影しようかと考えたが結局鉄道から去った。
本当に鉄道が好きで撮影していたわけでも無かった。家庭を持って鉄道撮影にうろうろできる環境でも無かったので未練もなかった。
蒸気機関車が無くなり鉄道ファンは激減した。80系電車のさよなら運転が岡山であり行ったがほんの数人の鉄道ファンがきているだけだった。

今回写真展をやって蒸気機関車が無くなっても鉄道趣味を続け50年も60年も継続している人に何人か出会った。意志の強さに敬服する。

自分も蒸気機関車が無くなっても木造駅舎を撮影するとか鉄道の近代化遺産を撮影するとか国鉄の民営化で姿を消すものや廃止路線を撮影するとか鉄道の趣味を継続するすることができた。

今回は「鴨島駅」をサンプルに駅を撮影する事でまとめてみた。
昔はローカル駅はほとんど木造駅舎だった。駅をいろいろな角度から撮影しておくと面白い写真集ができたと思う。駅をこんな項目で撮影していったら面白かっだろうにと思う。
すくなくとも自分の住んでいる県だけでも撮るべきだった。反省も込めて

1.駅の正面、駅前の店屋などの風景
2.駅の待合室や売店
3.時刻表、料金表を撮る
4.改札口、切符売り場
5.プラットホーム
6.停車列車、通過列車 どんな列車が走っていたか
7.駅員の仕事を撮る
8.乗客を撮る。どんな人が利用していたか服装は
9.跨線橋から撮る。
10.信号機や駅の施設をとる。


キハ45系 普通列車用気動車











茅葺民家  京都府丹波町の民家

2013年04月14日 | 茅葺き民家
撮影場所  京都府丹波町口八田(現在は京丹波町)1997年3月


薗部町から細い山道を登っていったら上に集落があった。
集落のなかに10軒以上も茅葺民が残っていた。
味わいのある昔ながらの民家が多かった。
撮影時間は夕暮れが迫っていた。もっと早い時間に訪れたいと思っていた。
しかし、帰り道で自損事故を起こして二度とここには来る事は無かった。
今も茅葺民家が残っているか不明である。






古い町並み  倉敷市連島西ノ浦 その2

2013年04月13日 | 古い町並み
撮影場所 倉敷市連島西ノ浦

倉敷市の南部の大平山の南麓に長く東西に続く町並み
昔ながらの本瓦葺きの民家が残る。
大きな屋敷を持つ民家残る。
昔ながらの八百屋や醤油工場のレンガ煙突、商店を投稿します。
狭い裏通りのため地元の人から通らず昭和の風景が残っている。









日本茅葺紀行 その45山形県川西町

2013年04月12日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 山形県川西町

川西町には四度足を運んだがまだ撮影しきれていない。 
川西町に最初行った時は夜行寝台で東京駅に行き東北新幹線で福島まで行きレンタカーを借りた。その後は私が歩けなくなり自家用車で行かざるを得なくなった。
どんなに遠くても車で行くことになった。
山形県の米沢方面には新潟県の荒川インターまで走り一般道で行った方が磐越道、東北道より早く着く、川西町ならば夕方に撮影することもできる。しかし光線が西に傾いているのでいい写真は期待できない。
荒川インターから米沢の国道は米坂線に並行して走る。遠い昔に蒸気機関車を追って撮影に来たが雪景色のなかだったので記憶に残っていない。
雪景色の中の風景は印象に残らないものだ。
茅葺も蒸気機関車も雪景色がいいと思い撮影するが建物の詳細や周りの風景が雪で消され後で見るとみんな同じように見え価値のない写真だなあと思う。

川西町は茅葺民家の本やネットに出ているので容易に情報を得られた。
土地が広いので民家が点々と存在し田園風景と茅葺民家がマッチした風景が残っている。
保存もされていなくていいい景観が残っているのは嬉しい。
茅葺民家は曲がり屋が多いが、それに増設した造りもありバラエティに富んでいる。
川西町の緯度は38度でソウルやリスボン、ワシントンと同じ位置のようだ。
標高は250メートルくらいである。水路脇に水芭蕉が自生していてイチゲの類やカタクリも目にする事が出来るのはさすがに東北である。
自宅の前で草刈りをしていた女性を撮影させてもらう。


蒸気機関車 南延岡駅C12型蒸気機関車

2013年04月11日 | 蒸気機関車
撮影場所 宮崎県延岡市 南延岡駅 1971年11月撮影

駅で停車のC12型蒸気機関車、機関士や機関助手はくつろいでいる。
入れ替え作業の昼休みにくつろいでいるのか、余り緊張感がない。
後ろに給水塔が見える、今もこんな蒸気機関車時代の遺物に人気がある。

C12型は入れ替えや日之影線を走行していた。
日之影線はそのあと高千穂まで延長された。最終的には熊本と延岡を結ぶ熊延線になる予定になる予定だった。
高千穂線は国鉄が民営化された後は第三セクターで運用されたが台風で橋が流出され最終的には廃線となった。

C12型蒸気機関車は小型のタンク車でデフレクター(除煙板)がついていなく私は好きだった。282両製造されたが戦争や日本の領土だった海外に渡ったものが70両以上いる。
この形式は梅小路蒸気機関車館には保存されていないが真岡鉄道などで走行されている。

蒸気機関車は5500両もいたが誰かがどこかで撮影しているものだ。
C1293号機で検索すると写真も出てくるしどこに所属していたか経歴を整理している人がいる。
何かを特定して写真を撮りためるのをコレクション写真をいうそうである。
蒸気機関車でいえば1000台、2000台と撮影しておく、若い頃に撮影したものを晩年になってそれを眺める.時代の移ろいを感じ撮影した頃を思い出すのは何とも懐かしく楽しい事か、今はパソコンという便利なものもあって整理することも人に見せる事も便利になった。
他人からすればくだらないものに見えるかもしれないが自分の心が喜べはそれでいい。
若い頃からそんな「楽しみの種蒔き」をすることをお勧めする。