懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

古い町並み  岡山市妹尾

2013年04月10日 | 古い町並み
撮影場所 岡山市妹尾(せのう)

岡山市妹尾に少し古い町並みが残っている。
駅周辺は道は狭く再開発が難しい。
今も道は狭く車で入ると行き止まりもありびくびくする。
郊外に出れば土地は広いので商業地や宅地は新しく開発された。
そんな狭い町の中に糀屋(こうじや)があった。
これを撮ったのは昭和49年、今もこれとほとんど変わらない姿で残っていると思う。10年ほど前にみた。
糀の看板は掛けたままだった。
昔は糀も味噌作りや甘酒作りに欠かせなかったが現在も需要はあるのであろうか
現在と昭和の違うところは荷物用の太いタイヤの自転車であろうか
これは昭和の風景である。

妹尾の地名は平安時代の末期の平家の武将、妹尾兼康に由来すると言われている。
1180年代に干拓地だったこの地に用水を引いたといわれている。
余談だが苗字の妹尾といえば先祖が岡山出身者が多い。妹尾は岡山の苗字ひとつでもある。「せのう」と読めない人は少ないようだ。
苗字は地域性があり古賀といえば福岡県南部の大川市や柳川市に多く石を投げれば古賀に当たると言われている。
作曲家の古賀政男や柔道の古賀も福岡県の出身である。

茅葺民家  岡山県加茂川町

2013年04月09日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県加茂川町

茅葺民家の見える農家の庭先で作業をしている女性を撮影させてもらう。
時は晩秋であった。貯蔵用に掘った牛蒡を横に並べ藁を覆い土を掛けていた。
これで春まで美味しく食べられると言っていた。
藁で編んだ「もっこ」が写っている。もっこは藁や縄、竹、蔓で編んだ運搬用具で最近は見かけなくなった。昔の人は自分で編んでいたのであろう。昔ながらの農具や道具も記録に残したいものだ。

岡山県の芳井町明治は明治牛蒡の産地である。
ここは掘った後は大きなビニール袋に束にして保存していた。
棚に横にして並べてあった、売りに出す分を取りだすそうだ風味も損なわず新鮮さも維持できると言っていた。
ちなみに明治の牛蒡の掘り上げは土木機械のユンボを使っていた。人手で牛蒡を掘る時代ではないのだ。

見知らぬ人間が突然来て撮影に応じてくれた女性に感謝します。
人々の暮らしや生活の撮影を心がけている、生活感のある写真が撮れた事は有難い。
この茅葺民家は解体されてもうない。




蒸気機関車  レンゲ畑伯備線

2013年04月08日 | 蒸気機関車
撮影場所 岡山県清音 伯備線清音周辺

清音駅は倉敷の隣のためよく撮影に行った。
煙を吐くような撮影のポイントは余りなかったが民家も少なく見通しがよかった。
初夏にレンゲが咲き誇っていた。カラーでなかったが撮影してみた。
モノクロでもレンゲと見えるものだ。
レンゲは根粒バクテリアにより窒素を貯えるので肥料になると言われている。
化学肥料が使われる以前は木の葉や草の緑肥、家畜や人の糞を肥料に使った。
レンゲも緑肥のひとつであった。

最近は観光用以外はレンゲ畑を見かけなくなった。その理由は化学肥料が手間がかからない事、米はコシヒカリが主流になり田植えが一カ月早くなりレンゲが開花の時期に田植えとなるため代掻きができない。六月に田植えのところで辛うじてレンゲ畑が見られる。

鉄道写真も田畑の農作物や作業風景も入れて撮影するべきだった。
(田起こし、レンゲ畑、代掻き、田植え、水田、青田、案山子、稲刈り、稲干し、藁グロ
キャベツ畑、白菜、煙草、リンゴ畑、ミカン畑)
季節の花や野草も入れて撮る。
(桜、ヒマワリ、ススキ、コスモス、紅葉)

日本茅葺紀行 その44 岩手県久慈市

2013年04月07日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 岩手県久慈市  2008.5撮影

岩手県の茅葺民家は草棟が多い。しかし、岩手の南部にはすくない。
この草棟は素朴で昔ながらの趣があり好きだが美しい物は少なく激減している。
残っているうちに撮影したいがなかなか訪れる事ができない。
八年ほど前に教えてもらった撮影できる状態のものは少なかった。
草棟は棟仕舞に杉皮を敷き防水し上に土を置き芝やイチハツ、ユリ、イワヒバを植える。
ユリは夏場の咲いているときでないと分かりにくい。
草棟は別名を芝棟ともいう。春先は草も枯れたままで草棟を撮るには初夏以降が良い。

訪れた家の御主人がいて一緒に撮影させてもらう雨が降るなか気の毒な事をした。

花見 井原市

2013年04月06日 | 日記
撮影場所 岡山県井原市 井原堤

桜の花もあと何年見られるかと思い毎年桜のトンネルのところへ出かけている。
昨年は旭川の堤防に植えられた久世桜を見に行った。

井原堤に行ったのは先週の土曜日、まだ三分から五分咲きであった。
井原堤の駐車場は50台と書いてあったが河川敷があるので心配する必要はない。
井原堤は結構長く端から端まで歩くとたいへんである。

花見客の中にベトナムから働きにきている若い女性がアオザイを着て歩いていたので撮影させてもらう。色が派手で遠くからも目につく。井原のデニム工場で働いているようだ。
尾道で働いているベトナムのグループも来ていた。アオザイは正月やお祭りの日に着ると言っていた。
日本の若い女性も着物姿で歩いてほしいものだ。









茅葺民家 岡山県加茂町の小屋

2013年04月05日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県加茂町(現在は津山市) 1993.1撮影

加茂町にあった小屋二棟

かなりくたびれた農家の小屋、自然のままがいい。
しびれるような光景である。
茅葺民家は立派な豪華が家ばかりでなく生活の匂いがする家がいい。
土地のおじさんも風景に欠かせない。
サントリーのウィスキーの宣伝に「何も足さない何も引かない」というのがあった。
茅葺民家も同様だ綺麗に片づける必要もなければ大八車の輪や杉玉など余計な飾りをする必要はない。すればするほど作られた懐かしさになってしまう。

六年前に茅葺民家の写真展をした時に豪華な民家や庄屋や観光地の民家の写真はいらないので庶民の暮らしのある民家が見られて嬉しかったとコメントされた人がいた。
私も生活感のある民家を極力探している。




蒸気機関車 直方駅普通列車

2013年04月04日 | 蒸気機関車
撮影場所 福岡県筑豊線直方駅

直方駅に停車中のC55型蒸気機関車の牽引する普通列車
直方のC55型蒸気機関車は門鉄デフが多かった。C55型やC57型の門鉄デフは人気があった。
こればかり追いかけている人もいた。
筑豊線の客車はC55型以外にD51型、D50型、D60型が牽引した。

こんなに線路の中に入って勝手に撮影していると写真展の時に言われた。マナーの悪いファンが多くなり現在は管理が厳しい。昔はなんともマナーの悪い事をやっていたものだ。
写真は怖い、人の行動や性格まで写真でわかるのだから
プラットホーム側で乗客の様子も撮影しておくべきだった。時代を物語るには人が入るのが不可欠である。

機関車が古い客車を牽引する光景も珍しくなった。
ごく当たり前にみられた光景が無くなるとは思わなかった。
写真展をした時に皆がいうのには客車や貨物列車が無くなるとは思わなかったという。
私も無くなるとは思わなかった。
地方鉄道はマイカー通勤で斜陽化していたし貨物はトラック輸送に奪われた。
写真を記録するのは時代を先読みする事であるとつくづく思う。
鉄道を撮るにしても鉄道の撮影ポイントや電車の型式にいくら詳しくて時代の流れに関心がなければ木を見て森を見ずになってしまう。
もう遠く過ぎ去った40年も過去の事だが鉄道写真を撮影するのも時代を読む事、他人に惑わされず自分の考えを持つ事を重要さに気付く。

日本茅葺紀行 その43 佐賀県の民家

2013年04月03日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 佐賀県塩田町 2007.2撮影

茅葺民家の脇で座り込み話に夢中の女性二人、手前では草抜きの女性
二月中旬の温かい日に撮影、もうすぐ春だ。
田舎の雰囲気たっぷりの光景にシャッターを押す。
佐賀県の茅葺民家もどの家も柿の木を植えている。
柿の実った時期に来ようと思うがなかなか実行できない。
九州など二日あれば撮影できると思いながら次第に身体が動かなくなり外出がおっくうになる。
まだ日本の田舎の風景に出合える場所でもある。
この民家はくど造りではなく寄棟造りである。

懐かしい物  大根島の廃船

2013年04月02日 | 懐かしい物
撮影場所 島根県八束町 1996.5.4撮影
島根半島に茅葺民家を撮影に行き大根島にボタンを買いに行った。大根島のボタンは日本で一番栽培されているであろう。
大根島でボタンを買う時はメイン会場周辺は割高で人々が余り集まっていない外れのボタン園で買った方が安い。

そのついでに島を一周した。周囲12km 標高45メートルの平らな島である。
火山でできた島である。石を見れば玄武岩の柱状節理が各所でみられ火山でできたのがうかがえる。島根半島自体が火山による溶岩の隆起でできているように思う。
島の周囲を走っていたら廃船があった。モノクロとカラーのカメラを持っていたがモノクロで三枚だけ撮影した。なんで廃船がここにあるのかと疑問に思ったが深く考えず片手間で撮影した。

2011年4月27日にNHKテレビで大根島の廃船の放送があった。松江放送局製作で中国地方のみの放送だった。私は番組表を見て以前撮影した廃船だろうと録画予約をした。この廃船が道路拡張で邪魔になるので撤去したいが持ち主に了解を取るにも何の目的で誰が設置したのかも分からない。
船体番号から船の経歴や持ち主を探しあててここに置かれた理由が判明した。
この場所は島の西側にあり小さな港がある。冬は北の季節風が強く波が高くなるので風除けのため木造廃船を並べたそうだ。
戦後間もなくして製造された木造船でカニかご漁に使われていた。昭和40年代になると木造船は鋼鉄船に替わり人手に渡りついに廃船となり大根島に捨てられた。
この中の木造船の中には領海侵犯でソ連に拿捕され何カ月も船とともに抑留された漁師もいた。拿捕された漁師も現存していて抑留の様子を語っている。
廃船の陰にもドラマがあった。いいドキュメンタリー番組だった。

放送ではこの廃船を全国各地から撮影にくる若者も紹介していた。廃墟ブームでこんな滅び行くものに共感を持つ人々も紹介していた。





茅葺民家  島根県大東町の民家

2013年04月01日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県大東町 1998.4撮影

大東町は現在は雲南市、宍道の南側で山間部の平野に集落が点在している。
私は一般道で新見から鳥取県日南市を経由と横田町といくつも峠を越えて大東町に入った。
農免道があるのでこれを使うと楽に走れる。
母屋も小屋も茅葺の民家があった。
出雲地方特有の棟に反りが入っている。
母屋も小屋も茅葺民家は蒸気機関車でいえば重連で重厚感がある。
二棟同時に撮影できる家は今では貴重品である。
東北ならば曲がり屋がこの役割をはたすのであろう。

この地方に10年ぶりに訪れたら茅葺民家で生活している家は少なく、屋根の痛んだ廃屋が残る程度になっていた。
この民家も住宅メーカーの家に建て替えられていた。わずか10年、15年でも茅葺民家の維持は困難になっている。