懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

リオオリンピック メダルベスト3

2016年08月22日 | 日記
日本の獲ったメダルは過去最高だそうでよく頑張った。

「ドーピング なけりゃ日本も戦える」かな

「老いた脳、興奮感動 覚醒し」である。脳がよみがえったようだ。

水泳、体操、柔道、レスリングのお家芸もよく頑張ったが体格、体力的にメダルが難しい競技からメダルべスト3を揚げてみる。

1.4X100mリレーの銀メダル 今回がメダルが始めてではないが。北京の時は棚ボタメダル。(日本より上位の2チームが失格)
棚ボタなど放送やマスコミでこんな事を言えば失言でバッシングを喰らう。日本は心にある事を本音で言えば失言である。今回のメダルはアメリカにも勝ち二位、ボルトやガトリンを相手に堂々の二位である。個人の持ちタイムや体格からして素晴らしい。銅メダルの北京の時より0.55秒速い。0.55秒は6メートル近く差がある。
徒競走で6メートルの差は勝負にならない。

2.女子バトミントンダブルス 金メダル
 女子バトミントンは前回ロンドンで銀メダルを初めて獲った。
しかし、これも棚ボタメダルだった。バトミントンはほとんど中国の独壇場、過去のメダルは韓国、インドネシア。日本は全く歯が立たなかった。
前回一次リーグで中国のチャンピオンを避けるため4チームがわざとに負ける無気力試合をやったため。四チームを処分にして一次リーグ敗退にした。
日本は上位チームがいなくなり勝ち進んだ。
今回のペア―は実力もあり劇的な大逆転は大興奮だった。
相手チームがに二度打ちしたのに誤審した審判は一年間の資格停止だ。カツである。
試合途中でいろいろイチャモンを付けるデンマークチームにも切れることなく冷静に戦ったのは立派。韓国と対戦した時にイチャモン/を付けてくると思ったが今回はフェアーだった。

3.50km競歩 銅メダル
史上初めてのメダルは立派。カナダの選手や監督は許せん。
追い抜かれるのを妨害して押されたようにふらつき演技する根性が腐っている。
あんなのを認めて日本選手を失格にした審判もダメだ。
一度判定されると覆すのは困難

蒸気機関車 D60型

2016年08月22日 | 蒸気機関車
撮影場所 筑豊線 直方操車場構内

D60型蒸気機関車が停車している風景を撮影。
標準レンズで撮っていたので列車の行きかう線路を横切り蒸気機関車に近づき撮影。
その当時からズームレンズはあったがピントが甘く嫌われていた。
今のようなカメラがあれば楽に撮れた。

一日駅や操車場の構内にいて行きかう列車を夜明けから夕暮れまで撮ったら面白い写真が撮れたとおもう。
撮影旅行ではそんな贅沢はできない。あっちこっち移動して欲張って大した写真は残っていない。


日本茅葺民家紀行 写真展ご案内

2016年08月21日 | 茅葺き民家
日本茅葺民家紀行 写真展ご案内

日本茅葺紀行の写真展を下記内容で開催します。
「開催日」 :平成28年9月7日(水)から9月13日(火)
初日は展示のため12時から 最終日は片付けのため16時まで
通常は9時から17時まで開いています。
「会場」 : 中国電力岡山支店 エネルギアプラザ(県庁の西側)
〒700-0824岡山市北区内山下1-11-1
「開催者」 投稿者

中国電力の場所、イベント予定はホームページで確認ください。
茅葺民家や写真に興味にある方は是非ご覧ください。

なお、茅葺民家は平成5年から28年に撮影したものです。24年間で4500軒撮影
当初は岡山県だけを回ろうとしましたが500軒も残っていて、次は中国山地の峠をすべて越え周囲の町村を探索、さらに東へ関西攻めから全国に対象を広げました。しかし、10年経過した頃から難病で歩けなくなりました。 何度が長期入院したが改善せず車椅子生活になりました。だが、茅葺民家の撮影は止めなかった。家内の運転と介助の協力を得て継続した。何もせず廃人同様の生活になるのがむしろ問題でした。 

茅葺民家の魅力は
1.縄文や弥生時代と同じ屋根材が21世紀の現在まで残っていること。しかし、個人の家は撮っておかないと顕著に減っている。
2.茅葺民家は田舎では一軒家で電柱、電線、ガードレールや看板などの邪魔なものを入れずに撮影できる。
3.各地方の気象条件や産業による様々な形状の民家に出会えること。
今回の写真展は定年後、茅葺民家、古い町並み、蒸気機関車、岡山の茅葺民家、昭和の遺物についで六回目の写真展です。
過去に撮影した写真をフィルムスキャナーでデジタル化したものとデジカメで撮影したものを使用しています。すべてカラーです。


茅葺民家 兵庫県旧千種町の民家

2016年08月21日 | 茅葺き民家
千種町は兵庫の西北、隣は鳥取県と岡山県
千種川の上流、源流部です。
そんな千種町へ何度か行った。
東粟倉村から峠を越えて入ったことも国道二号線から千種川沿いを北上して行ったこともある。
もう茅葺が残るのもわずか、一軒二軒を撮るためにはなかなかいけない。
私が初めて行ったときは20軒、30軒の単位で残っていた。 
山間地の平野の少ない土地の斜面を利用して民家が建っていた。

こんな山間地は今後どのように生きていくのであろうか
福井県池田町の大自然のレジャー施設は人気があるようだ。
六億円の投資で人気スポットになっている。
自然を利用したレジャー施設や民泊や体験学習しかないのか
ネットの時代、アイデアを募って生きる道を探すしかない。

日本茅葺紀行 NO,309 佐賀県旧塩田町の民家

2016年08月19日 | 日本茅葺紀行
九州には久しく行っていない。画素数の大きなデジカメでは全く撮っていない。
そこに熊本地震があり益々行く気になれない。
秋の柿の実る頃や麦秋の頃に行ってみたい。
鹿島市や塩田町へは何度も行った。
家内がまたこの家を撮るのかと文句がきこえそうだ。
それなら茅葺が無くても見知らぬ土地へ行った方がいいのか悩むところだ。


私の昭和鉄道遺産 その3 引田駅

2016年08月18日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所  香川県 高徳線引田駅 

木造の駅舎、駅前にはダルマポストがある。
みんなどんな目的で駅にきたのか
これから出かけるのか出迎えか
駅にはドラマがある。普遍的な風景か別れや出発、心の傷を負っての旅だったり人生きいろいろある。
100km以内なら今では車でいくだろう。昼間のローカル鉄道は乗る人がいない。

写真を撮りながら硬券の入場券を買いながら訪れた。
こんな入場券は段ボールひと箱、数も確認せずすべて売った。
各駅一枚づつ置いておいた方が思い出が残ってよかったかと思う、
その時はすべて処分してすっきりした。


岡山の茅葺民家 旧加茂町の茅葺民家

2016年08月17日 | 茅葺き民家
岡山県のカラーでの撮影は少ない。
カラーやデジカメで撮り始める頃にはかなり少なくなっていた。
今も辛うじて残っている民家だ。
モノクロも味があるがカラーでないと色彩がなく実感のわかない部分がある。
今も残る茅葺民家は大切に記録したいものだり。

茅葺民家 広島県旧福富町の茅葺民家

2016年08月16日 | 茅葺き民家
広島県の広島市より東の茅葺民家撮影は一般道でのんびり走っていた。
平日は井原から府中、大和町を通り福富町や東広島市へ足を延ばしていた。
結構、距離がある。直線でなく国道、県道、市町村道を使い自分の生きなれた道を走る。
以前は広島県の道も地図を見ずにたどり着けたが10年以上訪れてないとすっかりわすれている。
休みの日は国道二号線が空いているし走りやすい。
しかし、今は家内の負担を考えて高速道路を利用する。

今は撮影というより食べ歩き、道の駅、農産物巡りの気分転換の旅が多くなった。
福富町に立派な民家があった。県道沿いにあった。
今はトタンを掛けてしまった。

日本茅葺紀行 NO,308 苔の屋根

2016年08月15日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 京都府南丹市美山町

茅が古くなると屋根に苔が生えてくる。
太陽の当たらない北側の屋根にコケが生える。
乾燥していると苔は生えにくい。
苔は胞子で増えるので風に乗りあたりかまわずまき散らしている。
植物が腐敗分解されたのを栄養に繁殖する。有機物の分解屋でもある。
屋根の茅が痛みだすと繁殖に好都合である。
繁殖には植物の分解と水分がひつようである。
苔は乾燥すると胞子で子孫を残し生き続ける。
雨が降り続くと繁殖には好都合。

山間部の茅屋根は露や霧、日当たりで都市部より苔が付きやすい。
南天や梅の苔は花の材料に好まれるが山間部の木には苔が付いているが我が家の南天に付いたことがない。
苔が付くのは茅の痛みのバロメーターでもある。
苔を繁殖させると茅の痛みが加速化するので削り取る方がよい。

茅葺屋根の苔は見た目には風情がある。
庭園にしても神社仏閣も苔は欠かせない。日本の風景である。
苔を愛でる風習が日本人にはしみついている。




レジェンド

2016年08月14日 | 日記

スキージャンプの葛西選手が親子ほど歳の違う若い選手からレジェンドと尊敬されている。この時、レジェンドの言葉を初めて知った。
こんな名前の車は有った語句に関心もなかった。世の中にはいくら歳を取っても知らない言葉だらけ。
定年後、初めて知った言葉を一覧表に記録している。
10年間で1900語になった。しかし、何でもは登録しない、自分に関心のある言葉限定である。趣味や話のネタになる言葉だけ、オリンピックなどあるとルールや国名、エピソードなども知らない事だらけ。

会社に再雇用で勤めていた頃、新入の社員のために業界(職場)用語集について時間を見つけてまとめていた。会社を去る時に1500語くらいになっていた。イントラネットで情報の共有化がされていたので誰でも追加してもらうように願って去った。

定年後は家でぶらぶらしていると呆けるので一日一語を目標に用語集を作った。
後で見ると時代の変遷や事件災害が見える。
レジェンドも当然英語のスペルとともに登録した。

今回のオリンピックも体操の内村選手はレジェンドだと思った。
個人総合では最後の演技で大逆転となり採点に内村に甘いのではないかと記者から質問があった。私は採点については妥当と思う。内村も14点台の採点が二種目あり二位の選手は16点台をだし内村は厳しくなった。内村の採点は15点台は出していたと思う。
最後の鉄棒は素人が見ても明らかに内村の演技とは難易度で差があった。

今回の二位の選手は立派だった。いろいろ終って採点の不満をいうのに採点は正しいと言った。内村も年齢的にも今回の大会で限界を感じたのか今回の二位の選手を称えた。

内村の個人総合競技が終ると各国のコーチや選手、道具担当の人までが内村とハイタッチしていく。中国のコーチや選手が内村とタッチを交わすのを見て尊敬されているのだと思った。

イチローにしても3000本安打を打ってもはしゃぐこともせず淡々とスタンドに向けて挨拶をする。彼もまた伝説の人である。日本には矜持という言葉がある。イチローや内村のためにある言葉と思う。

張本氏が今日の番組でガッツポーズはこぶしを握り締めるだけにしろ。勝負には相手がいる。敗者への心使いも必要だ。柔道73kg級の大野は立派だった。金メダルを決めても表情も変えず会場を去った。大人だなあと思った。

ジジィになっても大人になれない自分とは大違い。
こんな若者が日本にいる事を誇りに思う。