懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

私の昭和鉄道遺産 その2

2016年08月14日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所 日豊線南延岡駅

何の変哲もない駅に停車の客車。
しかし、この地でこの時に来て撮らなければ撮れない光景である。
日々何もしなくても人は歳をとる。
この日、この地で撮影したことが人生の記録である。
こんな写真を残しても自分が死ねばどうなるか分からない。
それでもいい。年老いて自分の生きた時代を子や孫に見せられたらそれでいい。
写真の数だけ思い出と感動が残る。

C57109号機 門鉄デフでいい機関車だ。
蒸気機関車もこんな客車も姿を消した。
給水塔も今はない風景だ。跨線橋も板張りである。

1939年三菱重工製造、1974年宮崎機関区廃車
日豊線で最後まで運行ししていたのだ。
この年に日豊線は電化した。

岡山の茅葺民家 勝央町の茅葺民家

2016年08月12日 | 茅葺き民家
勝央町は津山の東側にある。
岡山県内の国道、県道クラスの道路を一本一本走った
茅葺のありそうな集落があれば脇道にどんどん入っていく。
こんなバカな事を繰り返し24年間もやってきた。
走っていればその地域の集落の形成や茅葺のが次第にわかってくる。
あると思えば「石の上にも三時間」と念仏を唱えさがしてみる。
三時間も頑張ると不思議なもので活路が開けるものだ。

現在は茅葺も減りこんな念仏も効かなくなった。馬の耳に念仏である。
今は念仏よりネットの時代である。
航空写真検索で茅葺をさがしてくるのだ。

五輪柔道の解説で穴井氏が繰り返し口にしていた合言葉がいい。
「集中、執念、我慢」と繰り返し言っていた。
これは趣味の世界でも使える言葉だ。

小学校のスローガンに元気、根気、やる気を唱える人がいる。
合言葉でも唱えながらやらないと、この暑さ生きていかれんわ。


蒸気機関車 D5179号機

2016年08月11日 | 蒸気機関車
撮影場所 宮崎県延岡駅構内

D5179はナメクジと呼ばれたタイプの機関車
1970年に南延岡から熊本に転属になり1971年1月に廃車されている。
このころは蒸気機関車からディゼル機関車や気動車に切り替えが行われて大量に解体された。1500両を五年間で廃車にしていった。

蒸気機関車の廃止はサヨナラ運転などが行われたのでマスコミなども注目されていた。
しかし、客車や貨物車両はみんなから惜しまれることなく姿を消した。



茅葺民家 兵庫県神戸市の茅葺民家

2016年08月10日 | 茅葺き民家
神戸市の北区や西区に茅葺民家が残る、撮ったと思っても細い道を走るとあったする。
私が撮影の許可をもらいに行けなくなり家内に頼むが嫌という。
以前、挨拶に行ったらしょっぴどく叱られた。これがトラウマになり行きたがらない。
神戸の中心地から30分くらいの場所なので撮影によくくると思う。
黙って撮っていたら住人の方が出てきてまた叱られた。

何度、叱られも性懲りもなく茅葺きの撮影を続けている。
70歳を過ぎて叱られるのもみっともないものだ。
「汗か欠く、見栄欠く、恥じ欠く」と呪文を唱えながら厚かまし生きている。


四年に一度のオリンピック、医者から心筋梗塞をやっているので興奮するなといわれている。
興奮しないスポーツなど見る価値がない。
心臓の鼓動が速くなる。手が汗が滲む老人の脳が興奮でフル活動
興奮こそが老人の刺激に必要、四年後は生きているかもわからない。
今楽しまなくては

日本茅葺紀行 NO,307 新潟県旧松之山町 

2016年08月09日 | 日本茅葺紀行
旧松之山町の北のはずれに美女林の標示があった。
何の事かと現地に行ったらブナ林だった。90年前に全部伐採して再度林になったものだ。
カメラマンが撮影に大勢くるようだ。
ブナは建築用材には価値がないそうで伐採されて姿を消した。
林に入ったが余り幹が太くないと思ったのが実感だった。
90年ではこの程度だっのかもしれない。
鳥取県の大山や長野県の野沢温泉スキー場や秋田の乳頭温泉のブナはずっと太かったとおもう。200年以上経っているのであろう。
落葉樹の寿命は200年か300年で終わり朽ちてキノコに栄養が提供される。美女林には倒木がすくなかった。

この茅葺民家は美女林の入口にあった。写真のように稲を刈ってまた新しく新芽がでた田をひつじ田というそうだ。ひこばえのことである。
俳句にはこんな言葉があるそうだ。
稲刈りの早いところは実を付けることもある、冬鳥のエサになる。

イチローがライバル

2016年08月08日 | 日記
イチローがついにMLB 3000本安打を達成した。 出場機会がなく何日も苦しんだ。
見ている方も憂鬱だった。3000本達成の速報を見てその憂鬱は一気に消えた。
私はそのイチローをライバルにしているものがある。
イチローの日米安打数と私の茅葺発見数である。
イチローがオリックスに入団したのと私が茅葺民家の撮影を始めたのが同じ時期だった。私は21世紀までに2001軒の茅葺撮影を目標にして達成した。
そのころイチローはMLBへ行く前で1278安打であった。私が大きくリードしていた。
その後、私は難病になり歩けなくなった。何度も入院治療したが改善しなかった。
効く薬や治療法があれば難病指定にはならない。
歩けなくなっても茅葺民家の撮影は止めなかった。家内に車の運転や介助をしてもらえば車でどこまでも行けた。車の中からでも撮影はどうにかなるものだ。
それより何もせず家に籠り廃人のように暮らすのが問題だった。
現在イチローは4278安打 私は4168軒発見で私が負けている。
私の軒数は個人の家の母屋だけで倉庫や小屋、寺院や文化財や保存指定の地域の民家は含んでいない。調べたらすぐ分かる民家は対象にしなかった。
日本には保存茅葺民家だけで1850軒あるといわれている。白川郷などにも行っているので4500軒以上は撮ったであろうか
イチローの安打記録はエクセルの表に記録して年間200安打の予想をした。
ネットを見るとイチローがMLBに入団して記録している個人がいる。私のは成績不振な時は見るのも嫌でつけ忘れもある信頼性に欠けるものである。
イチローの活躍と私の茅葺探索で人生が倍楽しめたと思う。

イチローの写真はネットから無断借用

懐かしい物 線路を歩くお婆さん

2016年08月08日 | 懐かしい物
昭和46年に廃止になった井笠鉄道
列車からお婆さんが降り線路を渡り始めた。歩きにくい敷石の上を歩かなくてもいい思うが。板敷の通路を歩くのを避け近道だ。
冬場は高齢の人は着物で草履履きだ。こんな光景も見掛けなくなった。
撮った時は着物姿には何も気づいていない。

昔は行商の女性などいて駅の風景に生活と物語が感じられた。

私の昭和鉄道遺産

2016年08月07日 | 私の昭和鉄道遺産
最近は何にでも◯◯遺産とつけている。
遺産がつくと興味を持って見てくれるのではないか。

私が鉄道の写真を撮っていた頃は鉄道遺産の言葉はなかった。
1972年にユネスコがアスワンハイダムの建設で水没するエジプトの遺跡を移設したのが始まりとか
その後、近代化産業遺産とか土木遺産とか沢山の遺産が誕生した。
鉄道も鉄道遺産の名前の本もでている。
現役で鉄道を撮っていた頃も蒸気機関車が全廃になれば消える設備は撮っておこうとは思った。鉄道ファンにもその思いはあった。現に膨大な蒸気機関車に関する鉄道設備の写真が残っている。
今は人身事故の危険性で鉄道構内への立入りを規制されている。規制が緩やかだったころの
写真を投稿する。
遠い昔を回顧する意味もあり投稿する。

対象は静止画像を主体とする。走行写真は蒸気機関車の項目に投稿する。

対象設備 機関庫、給水塔、給水設備、給炭設備、ターンテーブル、信号機、駅構内、駅舎。型式別機関車、客車、貨車、缶の掃除、廃線路線など

旧型電車、電気機関車、気動車、


当写真は伯備線の日羽付近、高梁川の洪水で被害を受けるのと複線化でルート変更になった。
現在も線路の土盛や国道高架の橋脚が残る。

茅葺民家 長野県大町市 木崎湖

2016年08月06日 | 茅葺き民家
木崎湖周辺に茅葺民家があると聞いて撮影に行く。茅葺の写真集にも掲載されているのでよく知られたところだ。
小谷村から白馬、大町のラインに茅葺が残っていた。
安曇野の方に行くと茅葺は見掛けない。
木崎湖の周囲には7軒あったがいま残るのはこの民家一軒だった。屋根のかなり傷んだ家が一軒あった。
最初に行ったときは紅葉の時期だった.
広葉落葉樹とカラマツの紅葉が美しい。大糸線の特急あずさなどを撮るために大勢のカメラマンが並んでいた。この頃はフィルムカメラだった。
今ならばデジカメを持った鉄道ファンが大勢いることであろう。
紅葉や湖と鉄道は絵になる。
白馬では茅葺見民家と特急が一緒に撮れるところが二か所あるが茅葺
など関心はないだう。
紅葉も長野から北は美しい。糸魚川から白馬の間など我々のところなら紅葉の名所になる。見ている観光客もいない。

この茅葺民家は葺き替えられ当分はもつであろう。
私が撮影させてもらっていたらこの前、九州から撮りにきたという。
マニアはどこまでも金がいくらかかろうが行くものだ。
訪れた民家ではどこから撮影に来ているか聞くことにしている。
遠いところから来ていると聞くと頑張る勇気が湧いてくる。

日本茅葺紀行 NO,306 島根県旧大東町

2016年08月05日 | 日本茅葺紀行
これを撮ったこ頃は山の斜面も楽に登っていた。
カメラはまだデジカメは無かった。
あるにはあった大きな箱のようなカメラで電池が長時間持たずに発熱するという。
消費電力も多く電池の性能も悪かった。30万画素のカメラを開発したと新聞に載っていた。
あれから30年で素晴らしい性能になった。
リオオリンピックもキャノンとニコンのデジカメが並ぶのであろう。
しかし、フィルムでも撮っておかないと茅葺のある風景は消えていた。
大東町は今は雲南市になっている。
一般道なので随分時間もかかる。
こんなのを撮っても使う用途があるか疑問であったが後先考えず行動した。
走っていない道を走り茅葺をひたすら探すことに情熱を燃やした。
早朝から雲海や天空の城獲りに金と時間を考えず情熱を燃やしている人も同じであろう。
人間好きなことに情熱を燃やしている時が一番脳が活性化するとおもう。