懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

懐かしい物 なまこ壁

2018年07月10日 | 懐かしい物
幼稚園帰りの女の子をなまこ壁の前で撮影した。
40年後どんなに成長するのかと思いながら何人も撮影した。
しかし、40年後はどこに住んでいるかもわからない。

ネット時代だから知っている人もでてくるかもしれない。
しかし個人情報の保護の時代になり探すのが面倒になってきた。

幼稚園も子供だけで帰っていたのか小学生か分からない。

外国は子供の通学には親が付いていくそうだ。子供だけで行く事はないそうだ。
中南米ではすぐに誘拐されると書いてあった。

茅葺き民家 岡山県備前市伊部の民家

2018年07月09日 | 茅葺き民家
岡山県備前市伊部は焼き物の街である。
伊部は「いんべ」と読む。以前は伊部焼といわれていたが山陽新幹線が岡山まで開業した時に上薬を使わない素朴な伊部焼がブームになったが知名度が低く備前焼と呼ぶようになった。
古くからある焼き物の産地の六古窯の一つでもある。

伊部には備前焼きの窯元や販売する店が残る。
伊部は忌部一族の血を引く地名であろう。
忌部(いんべ)神社が伊部の地に残る。

忌部一族は大和朝廷の時の幹部の一つである。
祭事を司る役で祭事に使う陶器や麻織物の職業集団を統括していたと書かれていた。
息子の使っていた高校の歴史の教科書を見ていたら書いてあった。
部は職業集団や部署を意味する。今も部長やり部署として残る。

豪雨やっとおさまる。

2018年07月08日 | 日記
梅雨末期の豪雨は全国に大きな被害をだした。私の住む倉敷も被害がでた。
関東などの都市部だけが大雨に関係なかったようだ。
それでも利根川の上流は雨が降りダムレベルは上昇したようだ。

豪雨の中にサイレンと消防署の緊急放送が流れた。7日の夜一時に小田川堤防決壊の緊急メールがスマホに入った。
倉敷市真備町は小田川の堤防が決壊して一階が浸かるところまで水位があかった。
平屋で逃げ遅れた人は死者もでている。
堤防の決壊は怖いものだ。水に浸かった電化製品や衣類布団は使えない。
大きな川との合流点では過去にも大きな災害になっている。
数年前の利根川と渡良瀬川 木曽川と長良川
真備町も小田川も高梁川の合流点で高梁川の水流が強く小田川が押し戻され水位か上昇した。
6日から九州.中国地方から近畿に掛けて線状降水帯が掛かり続けた。
ダムも高いレベルだったので放流量も増やしたと思う。

国土交通省の降水量や河川水位を確認し続けて道路に水が来るようだと避難する事とした。
過去に250mmの雨量までならば冠水しなかった。今回も250mmで雨はやみ避難せずに済んだ。

私の住むところは田圃もありここで150mmの雨は吸収してくれる。一面が川状態


日本茅葺紀行 NO,457  笹の生垣

2018年07月08日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 島根県旧木次町
笹の生垣で囲まれた民家があった。小屋も茅葺きだ。
余り太くない竹の黒竹などで垣根にした民家をたまに見かける。
竹など宿根は遠くに新芽を出すので先に伸びた芽は切り落として垣根の根元から出たのを残さないといけない。
宿根の茗荷なども厭地現象を嫌い新しい土地に芽を伸ばす。
人間の住まいも都市の中心地からどんどん郊外に伸びていく。よく似ている。

広い土地のある所は真竹や孟宗竹を植え竹の垣根で目隠しにしている家もある。
全国各地の民家の生垣や庭木の調査と写真撮影をしていくと面白だろう。
健康で自分で運転出来ればするが私には無理だ。

蒸気機関車 

2018年07月07日 | 蒸気機関車
撮影場所  兵庫県 播但線

播但線下り列車 C57型蒸気機関車が貨物列車を牽引している。
今は見かけなくなった車掌車や無蓋車が写ってきいる。
走行列車の写真はそんなに残っていない。
一日に列車が3便かも5便撮影してもフィルム20枚くらいのものだ。
静止している物ならばいろんな角度から撮影できる。

若い頃にテーマを決めて撮影するのもやっている事に自信が持てない。
ツマラナイ事をやっていると諦めてしまう。最初から将来役に立つとは思えない。

同好の仲間を見つける。先輩の人からアドバイスをもらう。その道の先生から教えを願うや書物で先人を見つける事が必要だ。
自分だけでやろうとしても挫折する事が多い。仲間を見る付ける事が継続の事がコツか。

若い頃からやていた事は年寄りになるとやっていて良かったと思う。
1.時代は過去に戻れない。
2.時代の物を撮影しておけば時代の変遷がわかる。
3.撮影された映像は本人の思考として残る。

懐かしい物  炭焼き小屋

2018年07月06日 | 懐かしい物
撮影場所 鳥取県日南町

山の中に炭焼き小屋があった。
未舗装の狭い道を小屋に進む。
撮って置かないと次来た時に残っているか分らない。
誰も居なかった炭焼きしている人がいればいろいろ聞けた。

こんな炭焼き小屋は恒久設備ではなく。木を伐採して炭にすると別の場所に移動する。
土地の石や赤土を使い窯を造る。窯が豪雨で濡れ壊れないように簡単な茅の屋根を掛ける。
使っても5年から10年であろう。

今頃でも炭を使う店もあるのだ。高級焼き肉店やバーべキュウの炭に需要があるのか 

本格的な梅雨になった。

2018年07月05日 | 日記
我々の住む中国地方も本格的な梅雨となった。
今年の梅雨前線は日本海にあり北陸.東北.北海道で大雨が続いている。
梅雨末期の災害が心配される。

梅雨前線が南下して西日本から東日本まで雨になっている。
沖縄は渇水を心配していたが5号7号の台風で被害の出るほど降った。
関東以外はどこのダムも満水である。

関東は梅雨明け宣言したがどうか 気象庁の勇み足だったように思う。
素人考えでは梅雨末期の豪雨はこれからと思う。
梅雨の雨の元のインド洋や東南アジアの雨雲は衛星映像を見てもまだ活発に発生している。
ここ10日や15日は日本にもこの雨雲は送られてくるように思う。

関東は梅雨明けと言ったもの太平洋の高気圧が弱くなり関東にも雨の範囲が延びそうだ。
梅雨入り宣言や梅雨明け宣言には決まったものはなく外れたら予測が外れましたごめんなさいと訂正するしかない。

日本に二つの台風がきたので状況が変わった。台風は地球の温度を下げる役目もある。
高くなった海水で水蒸気を発生して大きな渦にして南海から北海道の先まで空気を攪拌して均一にする。7号台風で太平洋高気圧が衰え関東にも雨雲が来るように思う。

茅葺き民家 消えた民家

2018年07月05日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県旧加茂町倉見

25年前に撮影した民家は消えて今はない。
故郷に帰る気があれば茅葺きをセカンドハウスなりにして残すが人が住まなくなり数年で取り壊す。もう故郷には帰らないという事であろう。
人が住んでいる限り水道や下水の配管の管理がいるし電力会社やNTTも電柱や電線の管理をしなくてはならない。
消滅集落は住み慣れた場所を捨て便利な場所に集約する事も考えている。

岡山の県北の市も22年後には人口が半減するという。

山の中に一軒家という番組がある。
住んでいるは人はみんな凄いと思う。
家と土地を守りつつけている人、都会があこがれて移住した人。
人との接触も少ないが日本人の誇りの高さを感じる。92歳の一人住まいのオバアチャンはペン習字をやっている。
親から子供頃に言われた事を守り漢字を忘れずいい文章を書くのを心掛けている。
日本人の教育レベルの高さと精神性の高さを感じる。
日本に生まれてよかったと思う一瞬である。




缶詰

2018年07月04日 | 日記
缶詰


息子が家族を連れて1週間か2週間おきに夕食を食べにやってくる。
嫁が孫を父母の家に連れてこないという新聞の投書を何度か見た。
来てくれないより来てくれるのが断然いい。
三家族が一緒になり大人数になる事もあり料理はカレーかシチューに決まっている。サラダと唐揚げが付くくらいだ。みんな贅沢も言わずよく食べる。
この前は息子が穴ジャコを獲ってきたのでそれのから揚げがでた。
寿司屋のシャコは海底にいるのを底引き網で獲る。
穴ジャコを砂地の穴にいるので筆やエノコログサを挿し込むと穴にいるシャコが不法侵入者を押し戻す習性があり上まで来た時に爪を掴みシャコを引っ張り出す。
一匹捕まえるとそれをオトリに糸を付けて穴に入れる。穴にいるシャコが侵入者を追い出す上がったシャコの爪を掴んで確保する。
ベテランにならないとシャコとの騙し合いのため数は獲れない。
穴ジャコは皮が柔らかく身が少ないので頭から唐揚げにして食べる。

デザートは果物のない時は果物の缶詰だ。パイナップル、桃、ミカンが多い。
食事が終ると下の孫が棚から缶詰を持ってニヤニヤしながら開けてと持ってくる。
あらかじめ年齢に応じて容器に数を決めていれなと誰が何個食べたとか喧嘩が始まる。果物の缶詰は中国産やタイ産だ。とにかく安い108円でパイナップルが10枚入っている。外国産は食べない国産しか食べないという人がいる。

PL法はあるし輸入業者の残留農薬や発癌性のチェックは十分やっている。
缶詰は直接食べなくてもパンやケーキ.ゼリー喫茶店は外国産でないと採算がとれない。外国産缶詰も果肉の切り口や果物もしっかりしたのが入っている。
日本から品質管理についても指導されているし信用を失うことは生きてゆけない。

外国製品が出回った頃にこんな食品を食べていたら日本人の寿命は40歳になると物議をかもす本もがでた。バナナは燻蒸消毒しているので毒性が残るので食べないようにと週刊誌にも書かれた。本やネットもテレビも1パーセントの事を10倍に誇張する、そうしないとと見てくれない。
あれから30年以上、日本人の寿命は延び続け缶詰やバナナで健康の問題はあったであろうか

甘さに飢えていた子供時代は果物の缶詰がご馳走だった。
昔と値段は変わらない。国産品は高くしないと採算がとれない。
バナナにしても缶詰もこれだけ安く食べられるのは経済大国になったお陰である。360円の固定相場から3倍から4倍の円高となった円高メリットと発展途上国の賃金の安さの犠牲の上で享受できる。
砂糖が自由化になり食生活が豊になった。成人したころはまだ沖縄は外国で砂糖も関税が掛かっていた。
砂糖.乳製品.果物が安く入りケーキやソフトクリームが食べられるようになった。

何でも甘いものがある現代でも孫たちは100円の缶詰をおいしそうに食べる。
100円で三人の孫を喜ばせるのはまさに缶詰は魔法の食べ物である。
私はいくらでも食べられる時代になっても悲しいかな血糖値が上がるので口にした事はない。

会社勤めの時に鯖缶があればおかずがいらないと言う人がいた。
女優の志田未来が15歳の頃に所ジョージの番組でツナ缶が大好きと言ったら猫の餌並みに安上がりにできていると小馬鹿にされた事がある。この子は庶民的でいいと思った。


日本茅葺紀行 NO,456  美山町で空襲の話

2018年07月03日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 京都府南丹市

美山町の北地区は茅葺き民家の保存地区だか余り撮影していない。
車椅子を家内に押してもらうのも坂がきつい。
私には撮影が難しい。

平坦な下の方で撮影していたら地元の女性が話掛けて来た。
美山町で生まれ外へ出ることなくずっと暮らしているいう。
終戦前に実家に焼夷弾を落とされ三軒焼きだされた。
隣に製材所があり実家も爆撃を受けた。
女性はその当時小学四年生で姉とともに一歳の弟を連れて逃げた両親は働きに出て不在だった。その後は焼け残った倉で一家は家を建てるまで暮らした。


こんな山の中にも空襲は来たのだ。
アメリカの空襲も当初は高度の高い所から軍需工場中心に爆弾攻撃をしていたが命中率はわるかった。木造の多い日本の町並みは焼夷弾で消火のできない火炎で都市を焼き払い戦闘意欲をそいだ。最後には列車や人の動く物すべてを攻撃する無差別攻撃になった。
戦争は敵味方を残酷な人間にする。
無差別攻撃では学校や駅、走行列車も襲われた。
日本の首脳の決断のなさでポツダム宣言以降に60万人が犠牲になった。
その当時の首脳や天皇は自決して戦争を終わらせなかったのかと思う。
天皇の命も庶民の命も命に差はない。