梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

石和温泉

2017-11-08 08:46:44 | 旅行
昨日山梨県の石和温泉と言う駅に行って来た、と言っても仕事で打合せ、恐らく実際の必要時間は1時間程度だと予想、しかし先方の都合で14時と言う事で殆どが移動時間になりそうだしどうにも真ん中を抜かれたので則哲気味の私としては往復鈍行と言う事にした、
大森から東京→高尾→石和温泉と乗って3時間弱、13時過ぎに到着し待ち合わせまで30分ばかり、昼飯を近くのイオンで中華て済ませて駅前に戻ると閑散としているが電車が来ると年配の女性団体がホテルで仕立てたらしいバスに乗って行った、
その団体が居なくなると駅前は又誰も居ない状態になった、駅前のロータリーに綺麗な薔薇が幾つも咲いている、表示を見ると石和産の品種らしいが柔らかな花びらの大き目な薔薇である、

臙脂色の花は逆行で見ると厚みのある漢字が良い

黄色は日陰になったが青空が良い感じになった、

薄紅の大柄は華やかだがもう少し全体的に整理されていると駅もいいんだがな
取引先の方は「今の駅舎もいいんだが昔の木造が好きでしたね」と言う事だが見てみたい気がしたがその時にこの薔薇はあったのかはわからない
案の定1時間弱で打合せを終えて15時前に石和温泉駅を出る、塩山から恐らく60~70代の女性団体が10人弱で数グループ乗って来た、足まわりと荷物からするとどうやら山歩きの様だ
一時「山ガール」と言う話が流行ったのだが「ガール」には違わない、(失礼)でも本当に女性は元気だよね、そう言えば石和温泉で降りた団体もシルバーレディの団体だったな、
二組ほどご夫妻と思える方々が居たが男性のグループと言うのは居なかったな、まあ熱海辺りで団塊世代の男連中が居たりするがこれはこれで近寄りがたい

行きの列車でこんなものを見つけた、なんだろと思ったがすぐに気が付いた、昔は此処に灰皿が有った、当時は当たり前の様にタバコを吸っていたのは観光バスなんかも前の席背にこれが有ったな
今電車でたばこなんかは考えられないがごく自然になった、こういう列車を見ると私は喫煙者では無いのだが隔世の感がある
税収と保険支出の綱引きはどうなるか?国際的には孤児になりつつあるがどうなんかね、結構大きなお世話的な感もあるがね

浜松凧まつりの”ウトイペンコ”

2017-07-29 12:52:35 | 旅行
会社の近くに「木曽路」と言うしゃぶしゃぶの店が有る、店の前道路に染抜きの幟がたっていた、歩道側から見ると裏文字になるのでなんて書かれているのか少し時間が掛かった、どうやら「なつのすきやき」と書かれている様だ、
染抜きの幟や暖簾でよくお目に掛るのだがこれを見て少し前の事を思い出した、
掛川の山奥には家族が無くなった私にとって姉のいる浜松は現在の田舎みたいなところなのだがこの街の祭りである凧揚げ祭りは行った事が無かった、正確に言うと一度クラスメートに連れて行って貰い見学したことはある、が見学より呑み屋の時間が長くてあまり祭りの印象は無い、
ゴールデンウィークの最中に行われる祭りで人出人数では三大祭の一つの様なので女房と一度見ておこうかと言ったことがある、
昼行われるのが凧揚げ合戦で海辺の中田島砂丘と言う処で行われるのだが結局そっちは省いて宵祭りの方に出掛けた、
街は通行止めになって町会毎の山車が華やかに引廻される、しかしこの祭りの特徴はこの他にその町会毎に若者が祭り装束で2~30人位の団体を作り戦闘ラッパを吹き残りの全員がホイッスルを咥えリズムをつけて走る、本当にただ「勢いよく」走るのだ、
それが彼方此方の街角から次々と現れて別の街角に走り抜けて行く、全く意味が分からない!確かに見ていると訳も無く可笑しくなってきて夫婦で「なんだ!ありゃ」と本当の意味で面白かったのだが地元の方には大変失礼な感想かもしれないな、
ぶらぶらと夜店を見ながら歩いていたら女房が「あれってなにを売ってるんだろ?」と言う、「“うといぺんこ”ってなに?」と言うので指さす方を見たら夜店の上の横断幕に白抜き平仮名で「うといぺんこ」と書いてある、自分も??と思ったがすぐに気が付いた、
「右から読んでみな」と言うと女房は少し間をおいて大笑い、
そう言えば昔「有平糖」てのもあった気がするが金平糖の夜店と言うのも珍しい処に持ってきて平仮名でかつ右から左に書いてある、今の子供だったら左から右に書いてもあまりわからないかもしれないのだがさらにわからない、
姉が小学校の頃やはり看板に「うこんきんまめとうや」と書いたあったけどなんだろう?
と言っていたことが有るが「やうとめまんきんこう」だとしても良くわからない、文語体なら「用途目万金膏」かな、なんでこんなことが頭から抜けないんだろうね

季節が変る頃、武蔵野国から甲斐の国へ

2012-04-11 13:57:07 | 旅行
やっと暖かくなって来た、お陰で神経痛もやや沈静して来た様だ、私は春先のこの時期と秋から冬に変る頃が好きだ、季節の変り目といった方がいいのかもしれない,
冬の間葉をすっかり落して枯れ枝の間を木枯らしが吹きぬける山がもう少し立つと全体にふわっとした感じになってくる、植林された杉の部分は暗緑色の布団を置いたような按配になっていた雑木林全体がうっすらと白味ががって来る、この時期までは山の地肌は直接枯葉の折敷いた地面だったのが梢の先に小さな葉の芽が全体に吹き出して来るので其れが霞を掛けたような、ふんわりと紗を置いた様な按配になる、
所々に少し緑が濃くなってきたと思うとその部分が膨らむように白い花を噴出す、山桜である。
山桜が終える頃里では薄桃色の染井吉野が咲き始める、染井吉野は山桜と違い先ず花が咲く、
そして盛大に吹雪くように散ると咲く前裸だった枝は新緑の葉に埋め尽くされる、
この頃になると里山の雑木林も白っぽい靄の様な色から明るい黄緑色に変ってくる、
1ヶ月程度で夏の濃い緑の山に変るまでの萌黄色と言う様な山の色が一番好きな季節となる、
東京から山梨に入るのは甲州街道と青梅街道、秩父から雁坂峠を越える秩父往還がある、
此処も駆り坂トンネルが出来てから走り易い道路となったが余り交通量は無い、
八王子ジャンクションから中央高速道路を西に向うとそう高くは無いが切り立つような山々が迫る、
小仏のトンネルまでの付近がこの時期に通ると実に気持ちの良い風景に合う、
左右、正面に立ち上がった山肌は冬の高さから少しだけ背が伸びる、小仏峠を抜けると相模湖だが自分はトンネルに入る手前の数キロが大好きな景色だ、
青梅街道を抜けて柳沢峠から塩山に下りる道路もこの時期に行くと素晴らしい新緑に合うことが出来る、特に丹波山村を過ぎてから柳澤峠までの小さな沢沿いの道路は背の低い潅木が殆どで枝の先がいっせいに小さな芽を吹き出している様は匂うような暖かさをかもし出してくれる、
大菩薩峠の稜線鞍部の柳沢峠を過ぎると道路は急激な下り九十九折である、こちら側はかなり樹盛は濃く車の直ぐ上に迫る、所々に針葉樹林も有るので暫くは薄暗い道路である、
道が開けると正面に甲府盆地が見える、この辺りまで来るとそろそろ葡萄畑も見え始める、
昔は養蚕が盛んだったそうで古い家は大きな屋根に空気抜きの戸屋根が乗った趣の有る家々だが昭和時代には茅葺屋根だった物は今はトタンで覆われて銀色に光っている、私は静岡の育ちなので銀色に光るトタン屋根は見た事が無い、海近くだと直ぐ錆びてしまうのでペンキが塗られている、私の子供の自分はペンキではなく「コールタール」が殆どで固まるのに時間が掛かるので隅にツララの様にタールが垂れ下がり、下の土にもたまりが出来ていたものである。
近くに裂石温泉があるが最近は日帰り温泉が出来ていた、かなり昔裂石温泉に泊まった事が有るが直ぐ脇を小川が流れていて急流の音がしていて下戸の友人が「煩くて寝られなかった」と言っタ事を思い出した
彼以外はしこたま飲んでいたので川の音なぞまるっきり気にならなかったのだが確かにせせらぎとは言えない「瀑布」の音では有ったな

数年前震災地に行った思い出

2011-10-25 16:52:59 | 旅行
4年ほど前の11月初めにJR東日本のスリーディーパスと言う奴で東北を廻って来た、
先ず田沢湖まで行って角館を見て少しはなれた西木温泉と言う所に一泊し翌日は角館から平泉まで行って毛越寺と中尊寺などを見てから気仙沼に移動し此処で一泊、その翌日に松島まで行き仙台青葉城を見学して帰京した、その内気仙沼と松島が今回の震災で大きな被害を受けてしまった、
平泉はさほど大きな被害は無かった様だが気仙沼ホテルと言うホテルは港の直ぐ近くだったから恐らく全壊したのではないだろうか。
翌日は此処から海岸を通る気仙沼線に乗って松島まで行ったのだがあの海岸沿いの線路もは今どうなっているのか、
最初に行った田沢湖では船に乗って湖の対岸付近まで遊覧したが既に高い峰には雪が幾筋か輝いていた、
土産に「いぶりがっこ」を買い、軽く食事を済ませるとバスを待つ、ここには面白い看板が有った、
「バスは一旦通り過ぎて戻ってきますので決して追いかけないでください」と言うのだが「追いかけないで」が目立つ様に大書きされているので実に笑える看板だった。



角館は既に紅葉は終えていて残りの色葉が梢にしがみつく様な景色だったが武家屋敷らしい町並みは今でもポスターを見るたびに「あそこだな」と言う記憶を呼び起こしている。
泊まったのは其処からかなり離れた西木温泉と言う地方のヘルスセンターの様な所で何も無い田んぼの中に有った、
公共の施設らしく少し素人風の従業員だったが実に節度ある接客で交換が持てる施設だった、翌日は来た時と同じに車で角館まで送って貰い平泉に向っう、
だが此処で私は大変な失敗をしてしまう、スリーディーパスは何度でも乗り降り自由で新幹線も4回利用できるのだから一旦一関まで出て一駅戻ればよかったのに携帯で調べたので在来線で行く様な方法をとってしまったのだ、此処で彼此1時間半のロスを出してしまった、平泉に付いたら既に昼時になってしまい駅前で昼食をとり、先ず毛越寺に行く、
裏側のお土産やの並ぶ駐車場に付いたら団体客のバスが数台入ってきたがこのバスはどうやら中国からの観光団らしい、凄い勢いで中国語が飛び交う、
毛越寺は紅葉の真っ只中と言うタイミングで黄色と赤のモザイク画の様な所を堪能し中尊寺に向う、

中尊寺の石ベンチにくっついていた紅葉



道路から長い階段を上り始めたら今度は違う言葉の団体に囲まれた、どうも此方は韓国語の様だ、今の時点ではどうやら日本人より外国人のほうが断然多い、周りの喧騒が中国語と韓国語だと何とも妙に居心地が良くない、取り合えず目に付いた茶店に入ってやり過ごす事にする。
数年前に女房と2人で来たのだが今回は女房の古い友人と3人連れである、前に来た時に見た能楽堂が古びていい感じだったが彼女はあまり興味が無さそうだったのでそのまま駅に戻ることにする、自分のミスで時間が少し押してしまった、電車の中から予約してあった気仙沼ホテルのフロントに事情を話して2時間ほど遅れると連絡を入れたが此れがどうやら奥に伝わっていなかったらしい、この日はちょっと残念な締めくくりになってしまった。

六合村で古い旅館に泊まった事

2011-02-24 08:14:02 | 旅行
群馬県の北のはずれに近く「六合村」と言うところが有る、トンネルの出来る前は三国峠の入口で栄えたらしい、
そう言う意味合いでは今余り栄えているとは言えない温泉地だ、近くに水上温泉や月夜野温泉が有り、少し手前には有名な草津も伊香保もあるのがこの辺りから鬼怒川、川治に掛けての北関東の温泉地は最近軒並み寂れてしまった、
六合村自体何の観光も無いので余計に寂しい、しかし温泉は豊富の様で共同湯も有る。
この旅館はネットの「トクー」と言う所で知った、案内の写真は打水のされた石畳と黒い板塀に行灯が掛かり、足元にも置行灯があって良い雰囲気だた、休日直前金曜の午前中に空きが有ると半値で出されるプランで確か一泊2食で4700円だった、暇な友人夫婦を誘って出かける事にした、
晩秋のよく晴れた日だったが未だスキーは出来ないのでこの辺りは特に暇な季節で実に静かで気持ちの良い日にだった、国道から少し外れた旧街道脇にその金田屋旅館はあった、
流石に古色蒼然としている旅館で確かに石畳と黒塀の入口だったが写真を撮った人間を絶賛したくなる景色である、
兎に角落着こうと部屋に入る、手前が旧館で奥に新館がある、当然我々の部屋は休館の方だ、
階段を一旦登り引き返すように更に上がった所の10畳位の部屋で天井は低くい、畳は適度に焼けていて押入れの襖は破れこそ無いがそれなりの色合いである、しかし何より驚いたのは部屋を歩くとギシギシと音のする、
「いらっしゃいませ」とお茶を持って来た女性に「大丈夫かい、この部屋は、床が抜けないだろうな」と聞いたら「大丈夫だよお客さん、私が大丈夫なんだから」と言うその女性は京塚正子さん並の体型、
「こいつは良い思い出になるね」と言う話しで腹も立たない、食事は新館も旧館も食事所で同じものを戴く、此れが結構美味しかった、
風呂は昔の檜風呂で天井は高い、その一番上に明り取りと湯気逃がしをかねた1m程度の窓しかないが湯は悪くない、やはりギシギシとなる階段の途中に本が幾つか置いてある、恐らく工事関係の宿舎的な事もしているのだろう、
其処で読んだのが妹尾河童の「少年H」だった、当然読みきれる訳は無く後で買って読んだが今無いので恐らく古本屋に行ったんだろうな。
私は朝が早いので大抵朝食前に付近を歩く、この日も良い天気で旧道に沿って歩いてみたら幾つかの共同浴場があった、しかしそのつもりは無かったので用意も無ければ小銭も無い、やはり窓の少ない風呂を外から眺めて来ただけだが何かその時花を見て名前が思い出さずずっと考えて居たのだがその花も忘れてしまった、翌日は新幹線開通で行止まりとなった横川駅の峠の釜飯を買いに行き、その帰りにガラスの館に寄って来た、
あれからもう10数年経つ、その時の友人も交通事故で亡くなってもう4年が過ぎてしまった