バス停付近に一匹の猫がいる、薄い茶トラで週に2~3回会う、人懐こいと言うより実に愛想が良い、最初に見かけた時目が有ったら「にゃ~ん」と声をかけてきた、腰を落としたら近寄って来たので手を出したら頬摺りをする、しかし頭を撫でられるのは嫌いらしい、少し触ったら離れて行ってしまった、どこかの飼い猫かと思ったら野良猫だと聞いた、しかしこの愛想の良さでバスの客から近くの住民にも可愛がられている様だ、
おかげで人間の方が彼女(かどうかは知らないが)のおかげで見ず知らずの間で会話が成り立ったりする、
近くのマンションにいると言う女性が「先日元気がないので医者に連れて行ったら風邪でした」と言う、「そりゃもう野良じゃないですね、町猫とでもいうのか」と言う話をしたが当然それ以上話がある訳でもない、「じゃあ」「どうも」と言うだけの会話だがそのあたりがなんとも頃合いの距離感だ、こいつは恐らくこの野良公の生きるスタンスなのかもしれない、
漱石先生では「未だ名は無い」だがこの野良公は名がやたらに多い、とにかく通行人やご近所の人達なんで勝手に呼んでいる、「ノラ公」から「おい猫」もただ「おい」だけも居る、ちなみに私は「にゃん」と声をかけるが名前と言うより猫語のつもり、それでも彼女はなんと声を掛けても愛想よく全て「にゃ~ん」と返事をする。
休日の朝女房とバス停に向かっていたら少し離れたところを急ぎ足で通る、「おい、にゃん!」と声を掛けたら足を止めずちらりと顔を向けて「にゃ~ん」と返事をする、女房が「本当に返事をするんだ」と感心していたがかく言う女房は動物が苦手である、声を掛ける事もないので猫の方も無視である、
この辺りには野良猫を虐める人間があまりいないのだろうが彼女自身の愛想のよさが多少猫好きでない人間にも可愛がられる理由なんだろう、
暫く見ないと「どうした?」とバス停から暫く周りを見廻す事もある、
特に今日みたいに霙模様の時は気になるんだが、あいつの事だから何処かのアパートか家の軒下にでもいるんだろうな
おかげで人間の方が彼女(かどうかは知らないが)のおかげで見ず知らずの間で会話が成り立ったりする、
近くのマンションにいると言う女性が「先日元気がないので医者に連れて行ったら風邪でした」と言う、「そりゃもう野良じゃないですね、町猫とでもいうのか」と言う話をしたが当然それ以上話がある訳でもない、「じゃあ」「どうも」と言うだけの会話だがそのあたりがなんとも頃合いの距離感だ、こいつは恐らくこの野良公の生きるスタンスなのかもしれない、
漱石先生では「未だ名は無い」だがこの野良公は名がやたらに多い、とにかく通行人やご近所の人達なんで勝手に呼んでいる、「ノラ公」から「おい猫」もただ「おい」だけも居る、ちなみに私は「にゃん」と声をかけるが名前と言うより猫語のつもり、それでも彼女はなんと声を掛けても愛想よく全て「にゃ~ん」と返事をする。
休日の朝女房とバス停に向かっていたら少し離れたところを急ぎ足で通る、「おい、にゃん!」と声を掛けたら足を止めずちらりと顔を向けて「にゃ~ん」と返事をする、女房が「本当に返事をするんだ」と感心していたがかく言う女房は動物が苦手である、声を掛ける事もないので猫の方も無視である、
この辺りには野良猫を虐める人間があまりいないのだろうが彼女自身の愛想のよさが多少猫好きでない人間にも可愛がられる理由なんだろう、
暫く見ないと「どうした?」とバス停から暫く周りを見廻す事もある、
特に今日みたいに霙模様の時は気になるんだが、あいつの事だから何処かのアパートか家の軒下にでもいるんだろうな