2018年6月9日、走行中の新幹線車内で発生した無差別殺傷事件。
見ず知らずの男性1人を殺害、女性2人に重症を負わせた犯人、小島一朗とはいったいどのような人間なのか。
事件の翌年、2019年11月28日から公判がはじまると、常人では理解し難い小島の言動、人間性があきらかになっていった。そして、同年12月18日、横浜地方裁判所小田原支部は、被告人・小島一朗に無期懲役を言い渡す。
「バンザーイ! バンザーイ! バンザーイ!」──判決を聞いた小島は、万歳三唱した。皮肉にも、「刑務所に入りたい」「無期懲役になりたい」という凶悪殺人犯の願いを丸々叶える形で、裁判は終結したのだ。刑務所という「安寧なわが家」を手に入れるため、小島は緻密な計算を働かせていた。それは、第四回公判で放った信じ難い台詞にも表れている
この事件の外神戸小学生連続殺人事件、秋葉原暴走殺人事件、福岡バスジャック事件等「死刑になりたいので人を殺した、3人以上殺せば確実に死刑になるから誰でもよかった」と言う動機の事件だ、
今回は「無期懲役」を狙って綿密に計算して起こした犯罪だったらしい
この様な事件を見聞きしていると世界で少数国となった死刑制度のある国と言う事もあるが別の意味で死刑制度を考えなければならないのかもしれない
無論、袴田氏の様に冤罪で死刑判決が言い渡され、37年も掛かってそれが警察の捏造による冤罪だったと言う事の様にも死刑を執行されていたらと思えばそれ以上に重大な事ではあるが死刑制度を根本的に考えなおさなければならない時代になったと言う事だろうな
死刑制度が犯罪「抑止」ではなく大量殺人の「動機」そのものになると言う事は予想も出来なかった事だが殺伐とした現在は更に増える可能性が大きいだろう,
発達障害で他人とのコミュニケーションが出来ない為に仕事が出来ない、
その為には刑務所であれば人と会話をする事自体が制限されている上に衣食住一式は間違いなく確保される、それが一生保証されるなら自分にとって天国だと言ったらしい
法律は少ない程成熟した国であると言う、しかし人は自我の欲望の為に人の自由を財産を、生命を犯す、それを抑止しる為に罰を設けて社会の安寧を確保してきた、”目には目を歯には歯を”
しかし社会生活が強烈な負担となって生きる事自体を放棄したい、しかし自ら死を選ぶ、己を殺すと言う事が恐ろしくて出来ない、だから、他人に殺してもらうために何の関係もない人を殺すと言う
多分自分にできない普通に暮らす他人に理不尽な憎悪を向けての事だとは思うが自ら死を選ぶのが恐ろしいのに他人にその恐怖と絶望を与えると言う事をどう自分の中でどう納得しているのか
それが出来ないからこういう事件が起きるのだと言う事は理屈では解るが当然理解も同調も出来る訳もない、
この犯罪の被疑者遺族は「憎い犯人に極刑を」望むとしてもそれが犯人の一番望んだ事だとしたらその怒りと悲しみをどこに向ければ良いのだろうか
死刑制度は「極刑を望んで人を殺した犯人」に「無期懲役(終身刑で)」罰を与えられるが今回のように「それが希望」だったとしたら今度はそれには「死刑判決」にするしかない、となると刑法上の判決の軸がぶれると言う事になる
トランプ次期大統領に代表される閉鎖的国際関係も含めて更に人の心は殺伐とし、社会は混沌を深めて行くのでは無いだろうが我々は残り少ないが今からそこで生きていかなければ成らない若者達はどうすればよいのだろうか
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