ひとり気ままに

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【歩く】戸隠古道

2023-05-07 18:02:05 | 長野の不思議

2023年5月1日(月)

 

4時に目覚ましが鳴ったのに、気がついたら4時45分だった。

慌てておにぎりを2個握り、日焼け止めを塗って出発した。

善光寺に着いたのは6時だった。

タイミングよくお数珠頂戴に並びいただくことができた。

本堂のお朝事でご本尊様に頭を下げて出発となった。

 

ずっと歩きたかった「戸隠古道」

一の鳥居から奥社までは10年前にツアーで歩いた。

今度は善光寺から。

昨年挑戦の予定が、コロナになってしまい今年に延期となった。

 

とりあえずの目標は一の鳥居。

ここで、体調と時間によって奥社まで行くか決めることにする。

 

善光寺宿坊の一つ「蓮華院」で九頭龍神社の本地仏であった「弁財天」様にご挨拶。

そして、マイ神社である「湯福神社」にご挨拶。

早々に四つ葉のクローバーが見つかり幸先が良い。

 

桜枝町の通りを西に向かって歩く。

この通りは西から善光寺に向かうメイン通りだった。

昭和の頃には商店街であり、地元の人たちはこの通りに買い物に来ていたそうだ。

今は古い町並みが残るだけである。

ここに善光寺七池の一つ「来間池(くるまいけ)」がある。

大正時代の上水道が完備される前には多くの人が水汲みに訪れた。

豊富な水に「来る間に水が戻る」ということからこの名前がついたそうだ。

今も防火用水として活用されている。

 

延命赤地蔵

善光寺近辺には、このように赤いお地蔵様がいくつもある。

ここから住宅地を抜けて山の中に入る。

善光寺七清水の一つ「瓜割清水」

この清水に漬けておいた瓜が割れるくらい冷たかったので、この名前になったとか。

この辺りまではグーグルの地図で確認できるが、この先はウォーキング道。

「靜松寺まで西国三十三箇所観音石仏群(江戸時代)」とパンフレットにはある。

江戸時代の人もこの石仏を拝みながら歩いたんだろうな。と思いながら進む。

道からは早朝の長野市内がよく見えた。

山道を抜けて「靜松(じょうしょう)寺」に到着。

「靜松寺」のの開祖は頼朝坊(らいちょうぼう)智盛。

なくなる時に左手の手のひらに「頼朝」と書いて亡くなった。

頼朝は生まれた時、手のひらに「頼朝」と書いてあり、ここから元服してからの名前が決まったとか。

つまり、頼朝は頼朝坊の生まれ変わりだということ。

今は通ることができないが、この石段は大竹屋平兵衞が寄進したもの。

この方は善光寺参道の敷石を寄進した方。

1714年頃に造られたものだそうだ。

 

地図の次の目標地点は「桜」

桜は地名なのだろうか?

頼りない地図とGoogle Mapを見ながら歩き出す。

時間は7時20分だった。


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2 コメント

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Unknown (ミケニャンコ)
2023-05-07 18:51:17
さとさん
しばらく戸隠古道は続きます。
よろしくお願いします。
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戸隠古道 (さと)
2023-05-07 18:12:19
観光案内ありがとう
それにしても、長野は広いですね。
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