日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* あなたへ (小説) *

2012年09月20日 | 詩・エッセイ・短歌・小説

朝やっと読み終えた。
3、4ページ読んでは眠気が襲い、中々続けて読めないのが情けない、私ってこんなんやった? 
座ったら居眠る最近の夫を非難するが、いつの間にか最近の私本でもパソコンでも座ると睡魔が襲ってくる。 なんじゃこりゃ。

ブログ読者、神戸のミントさんからお借りした小説、”あなたへ” 。
普通は小説が映画化されると言うパターンが多いが、映画の脚本から、小説化された。

読み始めた時から映画の情景が浮かんできて、映画で見た全て(いや、全てでは無い)を復習しているそんな気持ちだった。
普通、小説を読む時は言葉の中に自分なりの情景を描きながら勝手に人物を想像しながら読んで行くが、映画を見ているので勝手に映像で甦って来る。
映画では情景と人の表情と音とでその場の情景が見れば伝わる。 
小説の場合こんなに事細かく書かないと伝わらないんだなぁと、つくづく思った。  だから本を読むと言う事は、大切なんだと思える。
しかし映画よりも小説の方がより感動だと思う。  映画でははしょり過ぎたところも多い。  いや、映画と小説の違いだろうなぁ。
映画では見えなかった部分が細かく書かれていて内容がいっそう良く分かった。
と同時に、ナイトショーで見た時、確か2、3回夫が(寝ている私を)つついたと書いたが、映画と小説の違いはあるものの、やっぱり私は肝心なところを
殆ど見逃していることに軽いショックを覚えた。 
それはクライマックス。 亡き妻の骨を海に散骨するところも、肝心な妻からの2通目の手紙の内容も全く知らなかった。  ってやつだ。
最後に書かれた、亡き妻からの手紙を読みながらぼろぼろ涙がこぼれた。 
改めて夫婦、妻、絆など、改めて考えさせられた。  そして、これからの自分の処し方への、ひとつの提示ともとれた。

夫と映画を見た後、「う~んそれほどの感激は・・」なんて言っていたが、失言! 夫を思う、深い妻の心情・・感銘を受けた。  
もし私に自分の命の期限が分かるなら、残された夫にこんな手紙を書いて見たいと思ったりした。 
「言うほどの感激は・・」そう言った夫も寝てたんと違うかなぁ。 と言っても、お互いが自分に重ねてみた場合で思う事が違うであろうが。
映画以上に、小説では事細かく心情が伝えられていたのかも知れない。 

小説の帯に書かれている文章を引用 

亡き妻からの手紙が愚直な男にもたらした人生の奇跡
妻の死によって孤独を抱えた倉島は、妻の想いを知るために、一人自家製キャンピングカーに乗り込む。  
富山から妻の故郷・長崎までの1200キロ。
それは、心に傷を抱えた人々との出会いを通して知る、再生と自立の旅だった。

高倉健さん主演と言う事で見た映画だったが、「もう一回見に行こうかな、レディースデーに」 「本読んだらそんなん見んでもええわ」
来年のTV放映を待とうか。 
小説でひとつ気になる所があった。 亡き妻の想い出の風鈴、旅へも持参しているが何度も出てきて鳴る音を”凛”と表現している。 
映画の雰囲気からして、リーン・・の方が、侘しさや余韻が感じられると思うが、敢えて”凛”としている作者の意図はなんであろうかと言う事。
”凛”を自分が余韻を持って”り・・ん”と読むのだろうか。


* こんなこと思ってしまった *

2012年09月19日 | 雑感

玄関の花オクラが、清楚な色合いの花をつけて咲いた。
近所に咲いているのを見て、きれいやわぁ・・今年は植えてみようと、初めてタネを蒔いたのだ。
一日でぽとりと落ちる花の後には、あの面白い形のおくらの実がにょきにょき出て来る。  
だからと言って朝、玄関先に咲いていても 「見て、見て!」と言わないと、夫は気づかず見もしないで自転車に乗ろうとする。 

次女一家が引っ越したあと、部屋を4階から3階に移した今、朝顔のグリーンカーテンを3階に作ったのも、そんな夫の為である。
反強制的に夫が水をやってくれている今夏(朝だけだけど)  
「ピンクや青や色々咲いてるで」 降りてきてそのくらいは言う、相変わらずおはようって言ってもおはようは返って来ないが。
「水やったで」 「ありがとう!」 良かった、そんな会話が朝から交わせるだけでも。

片付けるのが好きなので、気分良くあちこち模様替え色替えを良くする。  夫が居心地いいように部屋を少しでもすっきりと見せる為に。  
ここの色変えたけど、気付いてくれるかな、いいじゃんなんて言ってくれるかなぁとか、喜ぶ夫を思い浮かべながらする、楽しいから。

夕食の時、今日はちょっとなんか気づくやろう、コメントが欲しいぞと思った。  何もそんなことに触れないので何気に聞いた。
「何か変わったところ気づいた?」 「どこが?」 「部屋とか洗面所とか模様替え」 「いや?」 (え? そうなん?)
「お父さんってさ、私が部屋の模様替えしようがどうしようが、気づかない人なん?」 皮肉めいた質問をした。
苦笑いしながら「どっちか言うとそうやなぁ」 「え~・・そうなん
「悪いけど汚れてたりするところは気がつくねん。 なんできれいにせえへんのかなぁ、見えてないんかなぁとか」
「言ってくれればいいのに。 老眼鏡かけてしないと、意外と見えてないねんなぁ。 きゃぁー汚れてる! って気づく時もあるわ、お風呂なんかでも。 
だから料理は眼鏡かけてるけどね」

私がこんなことを言ったのは、昨年次女一家と暮らしていた時は女同士だし、次女は気づいてくれるし、言葉にもするし喜んでくれる。
2人になった今、こんな事も大事じゃないかなとか思ったりする。  お互いが相手のすることを、褒めたり労うことも大事じゃないのかなぁって。
でも美容院へ行った時は、気づいてくれるけど。  「お、行って来たん? いいじゃん」なんて。  言われると嬉しい。 

模様替えにしても、あちこち替えても何も言わないけど、気づいてくれていると思っていた。  だからいっそ楽しかったのに。
私が部屋を出来るだけすっきり、夫の衣類もきれいに使いやすいように、日夜そんなこと考えながら片付けているのに、気づかないんや。
自分も気持ちいいが、夫の喜ぶ顔がみたいと思ってやっているのにね、はぁ~単に自己満足だったのか。  自分自身が喜んでいただけか・・
しかし、汚れている所だけ気がつくって、なんか意地悪やなぁ。 言うと私がいい顔しない? 分かってるわって言う? やるまで黙って見てるなんて。
ならばそこが綺麗になってたら、「お、きれいになったやん」そんなひとこと欲しいなぁ (褒めてもらおうなんて子供じゃないんだけど)
けど言わないか・・男の人は。 半分以上言わないかも知れんなぁ、毎日仕事行って疲れて帰って来るのに、そんなことに気づけって無理かもね。
家に帰ったらでーんとしてたらいいねんなぁ、本当は。  まぁ、2人になったからそんなことも大事かなって思う私が甘かったのかもね。 ははは・・


* 閑話休題 *

2012年09月18日 | 雑感

今日は一日雨だった。 
お彼岸さんは、もうすぐ、暑さ寒さも・・もうぼつぼつ涼しくなるのだろう。
次女一家が引っ越ししてからは雨の日の洗濯干しにしか入る事のない4階の部屋、置いてあった夫の栄光の軌跡、優勝の盾などを3階へ移動した。  
3階とて寝るだけの部屋だが、せめて視野に入る所に置いてあげたいと言う気持ち。 いくつもある盾、メダルに至ってはかなりある。 

夫は中学時代から卓球をしていて、私も入部した事があった。 
砲丸投げで郡の大会へ出ることになったとき、卓球の練習に出ていなくて顧問の先生に呼び出された。 一緒に卓球をしていた夫のいとこと2人。
その彼女がやめると言うので、それなら私もやめますと言ったら、「お前は人が死ぬ言うたら死ぬんか。 そんな気持ちならやめてしまえ」 
先生の方から言われた記憶がある。  あのときやめなかったら、高校もやってたかなぁ。 高校は親友のT美のいるバレー部に入った。
しかしバレーにしても卓球にしても、私はもともと体育系ではないしセンスもない。 文芸部の活動の方が性にあっているのでバレーはやめた。
日暮れの早い時期など帰りが遅くなると母は表で待っていたり、途中まで自転車で迎えに来た。 島を半周して帰る娘を持つ母親には、無理もないだろう。
帰宅途中夫と会って送ってもらった事があったりしたから、よけいに心配したのかも知れない。 

夫と高校は違ったが、因島で試合があるときは来てくれと言われ応援に行った事がある。  
大胆にも夫と同じ高校の仲良しH君の、バイクの後ろに乗せてもらって行ったりした。  必勝と刺繍した紫の鉢巻を縫ってくれと言われ、作ったことも。 
私は大声を出して応援するようなタイプではない、じっと見ているタイプなのに、今思うと良く行っていたなぁと思う。
目立つような2人では無いのに、私たち・・ませてたんかなぁ。
中学の時、戦争体験もある年配の国語の先生が「君らは将来一緒になる」どんな事からそう言う発想だったのだろう。  聞いて見たかった。
結構真面目でおとなしめな(あくまでも自分の感想)私が、先生にもそう言われ田舎でそんな風だったなんて今更ながら不思議で仕方ない。
TVでなく小説で育った時代、純愛小説のヒロインにいつの間にかなりきり、夢見る夢子・・だったこともひとつの誘因だったかも知れないが。

夫が我が家に遊びに来て帰るとき、玄関で見送る母は必ず「清い交際をしなさいよ」そう言った。 夫はどんな思いで毎回聞いていただろう。
社会人になってからも続いたお付き合い、手さえ握った事がなかったのに、何度もそんな雰囲気になることはあったのに、母の言う清い交際だった。
夫に聞いた事がある、なんでって。
「お母さんに言われた言葉が耳から離れなくて、お母さんを絶対に裏切ってはいけないと思った」と言う。
「男って本当に大切な人には、手は出せないもんや」 返事は、あまりにも恰好良かった。  後、言葉が出なかった。
今思えば、そんな夫の思いが、今の夫自身、夫そのものなのだろう。  

卓球とともに歩んできた44年間の夫の人生。  
卓球そのものと、そしてそれを通じて関わる人との中に、命の次に大切とまで言った夫の生きる中での本当に大切な意味が含まれているのだろう。
昨年の区民大会の時、共に歩んできた卓友さんが「けんつくさんは、いつも先を見て上を目指して考えながら卓球していますよ」 
世代の交代を認めながらも、まだまだ高見をめざそうとする夫の真摯な一面を教えられた。 

まだまだ私は夫の本当の良さを分かっていない、理解していない。
これからの人生を思うと、一番大事なのはその本当の夫のやさしさに応える自分の言動でなくてはならないと言うこと。 (何度も思っているのだけど)
借りている”あなたへ”の小説の中に、主人公の妻が言った言葉がある。  
人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」と。  
今まで2人で生きてきた長さよりも、半分くらいであろう短い年月を思うと、その言葉は未来への指針を提示されているような気がした。

いくつになるまで、ラケットが握られるだろう。 
一度は病気で続けるのは困難かと思われた卓友さんが、「年をとってもやめられんなぁ、これをやめたら心に大きな穴があくやろうね」とも言った。 

雨が降り続ける。  
ここ2、3日膝ががくがくすると言う。  「卓球出来なくなったら困るよ」 とにかく病院へと勧めたばかりである。


* 敬老の日 *

2012年09月17日 | 料理・その他食



光の加減で、思いっきしモノクロ写真になった。 

昨日食事から帰り、2時間かけて夫が友人からもらった魚をさばいてくれた、と言っても頭とはらわたをとって自分が一杯飲むのだけお造りに。
昨日から腰へきて、湿布している。  膝にはサポーター。  
夫は昨日大仕事したったから・・とばかりに、大きな顔をして(もともと大きな顔なんだけど)出て行った。  打ちっ放し、飲み食、麻雀、日曜のフルコース。
今日はゆっくり出来ると思っていたけれど、私には魚を料理すると言う使命がある。  
昨夜から鯖3本は三枚におろし酢でしめバッテラに。  鯵10本は三枚におろして、孫たちも食べるので毛抜きで全部骨をとった。  

とうてい2人では食べきれないので、子供たちに声をかけた。
USJへ行っている息子一家、愛ちゃんは「今日もお食事、いいんですか?」 「いいよ~都合のいい時来て~」 
次女一家は三田のアウトレットへ行った。 きっと帰りは渋滞にあうと思っていたのに意外と早く、息子たちよりひと足先にやって来た。

なつめが「はい、ばぁばお手紙!」 「え? 何今日は」 「じぃじも読んで・・恥ずかしいけど」
手紙を書くのが好きな、なつめ。 そいでもって今日はなんのお手紙かな?

じぃじばぁばへ 2012年9月17日
いつもやさしくしてくれてありがとう
ばぁばは これからも かめらのたつじんでいてね
じぃじは これからも たっきゅうのたつじんでいてね  なつめ

「わ~・・うれしい・・え? 敬老の日? え~・・私たち敬老って?」 「なつめたちのおばあちゃんやん」 お風呂の足の高い椅子をもらった。 

ピンポンピンポン! 息子一家がやってきた。

「じぃじとばぁば はい!」 「え~・・何?」
ラッピングした袋の中に・・ひろとが自分で作ったキーホルダーが入っていた。 

じぃじ これからもいっぱいあそんでね ひろとより
ばぁば これからもげんきでいてね  ひろとより

ゆいちゃんからは自分で組み合わせて作ったと言う、ブレスレッドと首飾りをもらった。

一年一年、成長する孫たちがまぶしくかわいい。  こんなプレゼントが一番嬉しい、世界にたったひとつの気持ちがこもったプレゼント。
母がしてくれたように、何かと言うと家族が集まりお祝いごととかするが、子供たちが物でなく気持ちを文字に託すと言うことが私の一番の願い。
孫たちのかわいい文字を読み返しながら、(お母さん、我が家もこんな風に浸透しているよ) 心の中で、母にありがとうを言った。

鯖は3匹をバッテラに 1匹は塩焼き。  鯵8匹はフライとピカタ、1匹はなめろう、3匹塩焼き、あらは味噌汁にした。 
「来るの遅くなったらついでにしとってくれたら良かったのに」 おなかすいている息子に言われ、ちょっと申し訳なかったが、せかっくなら板前さんに、
と残しておいた2匹、お刺身にしてくれた。 さすが、手早くきれいに造ってくれた。  ははぁ~・・こんなにするんや、勉強になった。

「頂きま~す!」釣りたて新鮮なお魚、三昧。  孫たちも「バッテラ!」 「偉そうに、あんたたちはおにぎりでええねん」息子が言う。
「昔は子供の頃お刺身なんてよほどでなかったら、食べられなかったのにね、今の子は回転寿司あるから小さい時からいくらだのなんだのって」
親たちは笑いながら言う。  
食べ終えて早く遊びたい孫たち、夫4人を遊んでくれている。  大人たちはゆっくり、若い者同士、息子や次女一家の話はつきない。
こんな光景大好き。  (兄弟仲ように・・)

新鮮な海の幸、敬老の日はお魚三昧、堪能した。  
夫のお陰、友人のお陰。 長女夫婦もいたらね~、セイ君が「美味しいなぁ」って言う顔が浮かぶ。  

 


* 阪神競馬場 *

2012年09月16日 | 風景・お出かけ

私たちの一泊遠出は没になった。 ならば孫たちを遊ばせるのには・・と、息子や次女一家は来たことのある阪神競馬場を提案してくれた。
私たち夫婦は競馬場は初めてだった。 
リニューアルされたのをTVで一度見た事はあるが、我々には無縁な世界、あるいは場所だと思っていた。 
なんと広~い! それにきれい! 1時間もかからずに来れた。  室内の指定席は満席だった。

こんなに広いんだ~。  雲行きは時々ややこしかったが、こんな目の前でみられるなんて、こんな風になっているのか。
TVで見るゴミゴミとした雰囲気は全くなく、掃除も行き届いている。
夫と展君は新聞見ていくらか買ったが、パー。

 

芝生の広場には、テーブル、椅子席もあり、土日はポニーの乗馬があるようだ。  お昼に長い列が出来ていた。
夫婦の頭にあった競馬場のイメージが一掃された。 はぁ~・・いいね、いいね~を連発。 

なつめやゆいちゃんも喜ぶ”スマイルプリキュアショー” があった。 孫について色んな会場を回ったが、ここが一番広々としてどこからでも見え、最高。
ショーが終わるや否や、次女が長い列に並んで、孫たちの写真撮影。  終わり頃、雨が少し降って来た。

 お弁当を食べるときにはやんで暑くなった。 雨よりはいい。  木陰もあるし、テーブルも満席でなく、本当に都合がいい言う事なし。

食後は孫たちの強い要望で、キッズスペースへ移動。  大人たちは暑いし、早く引き上げてもいいねと、そう思っていたのに。
 広々とした花がいっぱいの公園、水遊び出来る噴水、またまたその広さに驚く。

色々な遊具が整っているが、中でも一番人気らしい、中央の”ふわふわトランポリン” ふわふわを踏みながら、重みの反動で揺れるのが面白い。
園内を一周する子供機関車も楽しそうだ。  親も子も楽しめる競馬場、競馬が終われば公園で子供にサービス、良く出来ている。

駐車場が混み合うので、最終レースの前に引き揚げた。 最終の出走馬が一周。  臭~い! これだけがマイナス。
混雑にあわずに帰れた。  競馬場に詳しい展君が全て誘導してくれた。

なんと綺麗で整った競馬場。 夫はまた来ようと言う。  
秋には特にお弁当でも持って一日のんびり過ごせる。  競馬ちょろっと。 それがなくても、公園は利用出来るし。
一旦それぞれの家に送った。  夕食は回転寿司へ。  朝はお弁当づくりでばたばたしたが、夜は楽々。 一日楽しむ事が出来た。

広島県出身の夫の卓友さんが、連休を釣りでと夫婦で帰省していた。
沢山釣れたのでと途中電話があり、新幹線で一部持って帰ってくれて夫はもらいに行った。  少しでも早く新鮮なうちに、その気持ちが嬉しい。
夫は2時間かけて、頭やはらわたとってくれた。  一匹をお造りにして、夫は一杯やった。  「うまい!」