なんでもかんでも手帳・Ⅱ

夏休み 怠けて描かなかった絵日記を 
  今頃になってやっています 最近怠け気味ですが f^_^;

石川意至の石碑から名と雅号

2023-09-10 | ぶらり

** 石川意至の石碑作風 **
加須南方用水路 [羽根橋竣工記念碑] 石刻 石川意至


加須 前玉神社 [奉献金壱百円] 加須町 石川意至刻

 
加須 千方神社 [伊勢太々講石鳥居建設之碑] 石刻師 石川意至


加須 八幡神社 [日露記念之碑] 加須町石刻師 石川意至


加須 玉敷神社 [玉敷神社大門敷石奉納] 加須石刻師 石川意至


加須 光明寺 [観音菩薩] 石川意至拝刻 (言い方が正しいか?模刻のようです)

石川意至の石碑は狛犬より古くから制作されている様で 石碑 観音菩薩様は「慶応二年(1866年)」 狛犬は天満天神宮の「明治38年(1905)」と39年の開きがあり これから見つかる石碑・狛犬が出てきても 石碑を刻る石刻師から始まった気がします
大きな石碑の銘文は書家や名士の書が使われるようですが 銘文は囲まれた中に篆書・隷書が多く 石川意至自らの書だと想像 銘に加須町と入るのは旧市町村が違う地域(合併前)

** 石碑にフルネーム(加須市久下 鷲宮神社) **
[一心霊神](昭和元年)石刻師 石川意至 
神社の片隅に石碑が集まっていました 銘に加須が入ったり無かったりで 年代が違い後から後から集められたようです


[花崗石鳥居共々東側石垣新設寄付連名之碑](明治41年)加須石刻師 石川意至


[御嶽神社石垣?建設寄付之名](明治33年) 加須石刻 石川意至

 
[八海山神王 御嶽山大権現 三笠山刀利天] 銘文別人 嘉永七甲寅年九月再建(1854年)
嘉永七年は慶応二年より14年前で石川意至最古ですが ここでは最古話は打ち切り <(_ _)>
「加須町 石川唐吉郎意至 刻之」ここで名前が初めて登場しました 石川意至は自ら銘文も書くので 雅号で「意至」と名乗り 石を刻る書家の気概があったのかもしれません

** 石碑に落款(加須市 若宮八幡宮) **
[修繕記念碑] 落款風に白文で「加須町石刻師」朱文で「石川意至」と刻ってあり 書道と同じ「意至」は雅号扱いだと思います

はじめて石川意至の狛犬に出会ったのが 北本市の須賀神社 北本には以前住んでいて 現住所は加須の隣町(市) 名字が同じで ちょっと気になり狛犬探しになったのですが 趣味の篆刻にも通じる縁があったような気がします 雅号は自分で決めてもいいとどこかで見ました 私なら「雨風」(上方落語から 酒も甘い物も両方好む両刀遣い)朱文で刻ってあります f^_^; 

最古話打ち切り続き 石川意至の狛犬10・一覧表(ブログ23.0901)
『「慶応二年(1866年)石川意至拝刻」と銘があります 一覧の狛犬は古いもので明治38年(1905)新しいものは昭和15年(1940)なので20歳で観音菩薩様を刻ったとしたら 59歳で初狛犬 94歳で最後の狛犬 スーパーマンですね f^_^; 』
としましたが本名の石碑に
嘉永七甲寅年九月再建(1854年)が出てきてしまいました 最近の狛犬は昭和15年(1940)なのでその間86年 20歳で銘が刻れる石刻師になったとしたら106歳 スーパーマン過ぎるので 嘉永七甲寅年の苔だらけ台座の再調査が必要です f^_^;  
もしかしたら狛犬の作風が途中変わっているので 初代と二代目がいるのか 謎が増えました

以上 裏付けはありません f^_^;  
加須市図書館の人名録には記載なし 市内石材店名なし 分かるのは親族だけかもしれません

コメント (4)