きのうの記事での、“手話で楽しむみんなのテレビ”って、
いくつも番組があったんですね。失礼しました。
なんとなく思ったんですが、
この社会は一般的に、聴こえるのが‘フツウ’で、当たり前。
聴こえないと、なんとかそれに合わせようと頑張る。取り組む。
そんな関係が多いように思うんです。
(聾の方は『ろう文化』とかいうことで、堂々と?毅然と?しておられますね。)
私は大人になってからドンドン聴力が落ち、苦労したし、何度泣きたくなったか。
それでもね、それなりの味わいもあったことは確か。
例えば、あるイベントで、バルーンアートが。
作る過程は見事で見るのも楽しく、私は子どもたちに交じって並び、小さなバルーンの ‘ リンゴ ’ をもらって、とっても嬉しかった。
イベントの間、その一個のリンゴを両手の間に入れて大事に持ってました。
すると、司会の方がマイクで話し出し、リンゴが細かく振動するのに気づいた。
さらに、男性の司会者と、女性の司会者では、振動の具合がちがうんです。
これにはビックリでした。
音声って、ホント 振動なんですね。それが空気を伝って風船に届いた。
またある会合で。 みんなで季節の歌を。
私はなんとなくテーブルに手をついていたら、振動が。
隣りのテーブルの上にキーボードがあり、伴奏してるんです。
その振動が、床に伝わり、隣の私のテーブルに伝わり、私の手まで来たんですね。
この耳は なんとなく ぼんやりと聴こえる程度なので、簡単なよく知っている曲でも、いつも前奏が終わった歌い出しのタイミングは分からないことが多い。
それが、分かったんです。今、歌い出すんだ、って。 リズムもちゃんと掴めた。
なんだか楽しくなってきました。
それら、私がふつうに聴こえていたら、そういうような振動に気づいたかどうか。
ま、「難聴になって良かった」とまでは思いませんが、
それなりの味わいとか 気づきなど、いくつかありましたね。
そうそう。職場(事務)で、人の声や足音などはほとんど聴こえない。けど、誰かが後ろを通ると風を感じるんです。
それも、背の高い人か、低い人かで、風の感じがちがう。
勢いとかもあって「あ、きっとBさん」とか分かったし。
(蓑虫クン)