<ストレート・トゥ・ザ・コア>
その年の秋、私は音楽上のパートナーであった永田利樹 と結婚し、すぐその足で、NYへ向かった。ハネムーンに かこつけて3週間マンハッタンに行き、2枚目のアルバム を完成させる目的もあり、NYで沢山のミュージシャン達 に出会って、来年、多田さんの為にもライブがやれるよう にしなくちゃ、等々・・・期待と夢で一杯の旅行だった。
トランぺッターのレオ・スミスとのレコーディングを無 事に終え、マンハッタンの厳しい寒さの中でほっとすると 同時に残りの1週間をどうやって過ごそうかと考えていた。 楽器はあるが演奏する場所を知らない、どうしたらミュー ジシャン達と知り合えるのだろう、来年の夏にライブを行 う為になんとかチャンスをつくらないと・・・ただあせり ばかりが先行して、私達は羽を奪われた鳥のように情けな い気持ちになっていた。そんな時にブルックリンに住んで いたドラムの本田さんが「暇なら、ストリートでもやらな い?」と声をかけてくれたのだ。『ストリートミュージ シャン』というものを一度経験してみたかった私達はさっ そくマンハッタンの地下鉄へとくり出した。
春や夏なら本当にストリートで演奏する事は可能だが NYの11月はかなり寒く、当然地下鉄の中がオアシスになる。ホームレス(浮浪者)とストリートミュージシャンで 溢れかえる地下鉄の構内で、一番困難な事は『場所探し』 であった。パーミット(許可証)もなく、人の大勢集まる 場所で、おまわりさんに怒られない場所・・・こうなると 経験豊かな本田さんに頼るしかない。彼は颯爽とドラム セットをひきずりながら、私達をコロンバスサークルの A列車のホームへ案内してくれた。
初めて大勢のアメリカ人の前で自分達の音楽を聴かせるチャン スだ。どんな反応が返ってくるのだろうか。ヨーロッパのフェス ティバルで演奏した時のようにうまくいくだろうか。ジャズの 本場で演奏する事は、やはりとてつもなく勇気のいる事だった。 恥ずかしさと期待で複雑な思いのまま、恐る恐る吹き出したメロ ディは『Blue Monk』。日本にいる多田さんがニコニコ笑っている 姿が浮かんで勇気が湧いて来た。普段のように楽しんで演奏すれ ばいいんだ、と自分に言い聞かせながらソロを吹き終わって目を 開けると、われんばかりの拍手。いつのまにか黒山のひとだかり ができていた。次々に$1札を入れに来て、みんなが話しかけて くる。「いつも何処のライブハウスに出ているの?」「レコード ありますか?」「ネームカード(名刺)ちょうだい。」「A列車 で行こう、を演奏してくれない?」等々。中にはやっとの思いで 稼いだ小銭の入った紙コップを「Oh! Unbeliebable!(信じられな い)」と言って全部投げ込んでしまうホームレスの黒人、お金が ないから持っていた花を入れてくれるホームレスのおじいさん、 『許可証』をあげるから来月オーディションを受けなさい、とわ ざわざ教えてくれる警官etc....
昨日まで殆ど観光客に過ぎなかった私達がストリートをやっ た途端、マンハッタンのどろどろしたエネルギーの中心(コ ア)に入り込んでしまったのだ。この日から、音楽関係者、TV プロデューサー、弁護士、新聞記者、ホームレス、警官、と多 くの人たちに声をかけられ、名刺も飛ぶようになくなり、来年 のライブハウス出演も決まり、クリスマスの1週間前、興奮さめ やらぬままNYを後にした。
帰国して、タイトルを『Straight to the core(コアにまっしぐら)』として完成した2枚目のア ルバムはTBMから発売が決まった。そんな中、1通のクリスマ スカードを添えた分厚い手紙が私のもとに届いた。
『あなた方のいなくなったコロンバスサークルは火の消えた ような寂しさです。あなたたちの演奏が、クリスマスで華やぐ このNYの雑踏で聴こえていればどんなに素敵な事でしょう。次 に来る予定はありますか?必ずNYに戻って来て下さい。』とい う美しいメッセージが延々と綴られた、詩のような手紙を書く この人は一体どんな人だろう?いろいろと想像しながら私と< ジャッキー・ポール・クルエル>の交流(文通)がこの日から 始まった。
「ヨットがやっと完成しました。」多田さんから連絡が入っ たのは12月が慌ただしく過ぎようとしていた頃だった。NYでの 成果を報告すると、多田さんも大喜びで「よおし、来年はマン ハッタンでライブだね。必ずスポンサーを見つけて成功させましょう。」「ニューポートで多田さんの為にブルーモンク吹 いて見送ります!」約束を交わす私達にとって、翌年のアメリ カ行きは大きな意味を持っていた。遂に8月のライブの日程が 決まった事を告げると、『おめでとう、あなた方の音楽が聴け るのを楽しみにしています。』とジャッキーからの返事にNY への期待は益々膨らむばかりだった。 (つづく)
写真提供/Yukio Yanagi
Straight to the core (ちなみに1枚目はレコード盤「Free Fight」)
その年の秋、私は音楽上のパートナーであった永田利樹 と結婚し、すぐその足で、NYへ向かった。ハネムーンに かこつけて3週間マンハッタンに行き、2枚目のアルバム を完成させる目的もあり、NYで沢山のミュージシャン達 に出会って、来年、多田さんの為にもライブがやれるよう にしなくちゃ、等々・・・期待と夢で一杯の旅行だった。
トランぺッターのレオ・スミスとのレコーディングを無 事に終え、マンハッタンの厳しい寒さの中でほっとすると 同時に残りの1週間をどうやって過ごそうかと考えていた。 楽器はあるが演奏する場所を知らない、どうしたらミュー ジシャン達と知り合えるのだろう、来年の夏にライブを行 う為になんとかチャンスをつくらないと・・・ただあせり ばかりが先行して、私達は羽を奪われた鳥のように情けな い気持ちになっていた。そんな時にブルックリンに住んで いたドラムの本田さんが「暇なら、ストリートでもやらな い?」と声をかけてくれたのだ。『ストリートミュージ シャン』というものを一度経験してみたかった私達はさっ そくマンハッタンの地下鉄へとくり出した。
春や夏なら本当にストリートで演奏する事は可能だが NYの11月はかなり寒く、当然地下鉄の中がオアシスになる。ホームレス(浮浪者)とストリートミュージシャンで 溢れかえる地下鉄の構内で、一番困難な事は『場所探し』 であった。パーミット(許可証)もなく、人の大勢集まる 場所で、おまわりさんに怒られない場所・・・こうなると 経験豊かな本田さんに頼るしかない。彼は颯爽とドラム セットをひきずりながら、私達をコロンバスサークルの A列車のホームへ案内してくれた。
初めて大勢のアメリカ人の前で自分達の音楽を聴かせるチャン スだ。どんな反応が返ってくるのだろうか。ヨーロッパのフェス ティバルで演奏した時のようにうまくいくだろうか。ジャズの 本場で演奏する事は、やはりとてつもなく勇気のいる事だった。 恥ずかしさと期待で複雑な思いのまま、恐る恐る吹き出したメロ ディは『Blue Monk』。日本にいる多田さんがニコニコ笑っている 姿が浮かんで勇気が湧いて来た。普段のように楽しんで演奏すれ ばいいんだ、と自分に言い聞かせながらソロを吹き終わって目を 開けると、われんばかりの拍手。いつのまにか黒山のひとだかり ができていた。次々に$1札を入れに来て、みんなが話しかけて くる。「いつも何処のライブハウスに出ているの?」「レコード ありますか?」「ネームカード(名刺)ちょうだい。」「A列車 で行こう、を演奏してくれない?」等々。中にはやっとの思いで 稼いだ小銭の入った紙コップを「Oh! Unbeliebable!(信じられな い)」と言って全部投げ込んでしまうホームレスの黒人、お金が ないから持っていた花を入れてくれるホームレスのおじいさん、 『許可証』をあげるから来月オーディションを受けなさい、とわ ざわざ教えてくれる警官etc....
昨日まで殆ど観光客に過ぎなかった私達がストリートをやっ た途端、マンハッタンのどろどろしたエネルギーの中心(コ ア)に入り込んでしまったのだ。この日から、音楽関係者、TV プロデューサー、弁護士、新聞記者、ホームレス、警官、と多 くの人たちに声をかけられ、名刺も飛ぶようになくなり、来年 のライブハウス出演も決まり、クリスマスの1週間前、興奮さめ やらぬままNYを後にした。
帰国して、タイトルを『Straight to the core(コアにまっしぐら)』として完成した2枚目のア ルバムはTBMから発売が決まった。そんな中、1通のクリスマ スカードを添えた分厚い手紙が私のもとに届いた。
『あなた方のいなくなったコロンバスサークルは火の消えた ような寂しさです。あなたたちの演奏が、クリスマスで華やぐ このNYの雑踏で聴こえていればどんなに素敵な事でしょう。次 に来る予定はありますか?必ずNYに戻って来て下さい。』とい う美しいメッセージが延々と綴られた、詩のような手紙を書く この人は一体どんな人だろう?いろいろと想像しながら私と< ジャッキー・ポール・クルエル>の交流(文通)がこの日から 始まった。
「ヨットがやっと完成しました。」多田さんから連絡が入っ たのは12月が慌ただしく過ぎようとしていた頃だった。NYでの 成果を報告すると、多田さんも大喜びで「よおし、来年はマン ハッタンでライブだね。必ずスポンサーを見つけて成功させましょう。」「ニューポートで多田さんの為にブルーモンク吹 いて見送ります!」約束を交わす私達にとって、翌年のアメリ カ行きは大きな意味を持っていた。遂に8月のライブの日程が 決まった事を告げると、『おめでとう、あなた方の音楽が聴け るのを楽しみにしています。』とジャッキーからの返事にNY への期待は益々膨らむばかりだった。 (つづく)
写真提供/Yukio Yanagi
Straight to the core (ちなみに1枚目はレコード盤「Free Fight」)