<ジャッキーの友人、スワン>
NY滞在もあと2週間を切ったある日「ハーイ、トシキ、サチ。 今日は友人に会わせたいから一緒に来てくれないかい?」
またハー レムに連れて行ってくれるのかな?と思いながら利樹と2人で彼の イエロー・キャブに乗り込むと、アップタウンに到着。小さなドア をノックすると、小柄な白人の老人が出て来た。
確かジャッキーと 2人でニッティングファクトリーのデビューの時に来てくれたおじいさんだ。白人の友人なんてとってもめずらしい。
彼は「スワンっ て呼んでくれ。」と自己紹介した。スワン・・・どこかで聞いた な、と思いつつ彼の部屋に入ると大きな机があり、その上にカラー ペンと便箋が置かれていた。手紙や絵を書くのが趣味なのかな・・・? よく見ると見なれた筆跡。
ああ、やっとわかった!
ジャッキーから 送られていた山のような分厚い手紙の全てスワンが代筆をしていたんだ!手紙のラストにいつもスワンって書いてあったっけ。
ジャッキーが喋る英語には三人称単数とか過去形もなく、詩のような手紙をいつもくれるのになぜかしら・・・と不思議だったが、この瞬間にようやく謎が解けた。
わざわざ代筆を頼んでまで美しい手紙を送り続けてくれたジャッキー。感動で胸がいっぱいになって彼らを見上げると『どうだい、やっとわかったかい?』とでもいうよ うに、彼らはにこにこと笑っていた。
<帰国準備>
滞在期間の3ヶ月があっという間に過ぎていき、いよいよ日本に帰る準備をしなくてはならない。
ジョージ・バトラーからの連絡もないまま、あとのことはチャイナに任せる事にしてとりあえ ず様々な友人たちとの別れの挨拶に忙しくなっていった。 友人のジェイ・ロドリゲス(Sax)が誘ってくれたソー ホーの小さなカフェレストランではラシッド・アリとの共 演も果たす事ができた。[You don't know what love is]の テーマを吹きはじめると後ろでラシッドはブラシを使って フリーで叩きはじめた。背中がぞくぞくっとした。あのコルトレーンと演奏していたドラマーとを演奏できるなん て・・・ラシッド・アリは優しい笑顔で「Beautiful!」と 言って握手をしてくれた。大きな暖かい手だった。

ラシッドと「You don't know what love is」を演奏。
またチャイナが「アポロシアターでフェラ・クティのコ ンサートがあるの、紹介するから行かない?」と誘ってく れたのも帰る3日前だった。
アフリカのボブ・マーリーのような存在、音楽家だけでな く政治家としても活動するフェラ・クティのサックスを生で聴けるのもNYならではだ。
北島三郎ショーのような2時間のコンサートを堪能した私達は楽屋に連れていかれ、何人もの奥さんたちや子供がはしゃぐ中、チャイナが「彼女はサックス吹きなのよ。」と紹介。
「じゃあ、来週のコンサートで私と一緒に演奏しよう。楽器を持って来てくれないか?」との有り難いお言葉。 え〜〜?女なら誰でもいいのか?とちょっとあきれながらも「来週、日本に帰らなくてはいけないんです・・・。」実現こそできなかったが、こんな話がすぐ起こるNYはやはり面白い街だ。

アポロシアターの楽屋でラシッド・アリと。
いよいよ帰る前日。エルドリッジ・ストリートには3か月間 に出会った殆どの友人たちが集い大パーティが催された。

チャ イナタウンでステーキを沢山買い込み、パーティの準備が始まった。10年もキャナルに住み絵を描いているマサさんとは一 緒にウッドストックでキャンプをしたり将棋をして遊んだ仲だが、早い時間にやってきてお風呂の掃除を始めてくれた。「何 にもプレゼントするものがないから、せめて掃除くらい助けてあげようと思ってね。」さり気ないマサさんの心使いに感激していると、Dちゃんもいろいろな食材を持って到着。
夕暮れどきになると、三々五々、飲物や食べ物を持ってみん な集まってきた。普段はドラッグディーラーだけがうろうろしている人気の少ないエルドリッジストリートにミュージシャ ン、画家、いろいろな国のアーティストたちが溢れ、朝まで盛 り上がり最高の思い出になった。




翌日のケネディ空港にはもちろんジャッキーがイエローキャブで見送ってくれた。「See you again!」
たった3か月の滞在の間にこんなにNYを満喫する事ができ たのは、やはり沢山の友人たちのお陰だ。ノイローゼにもなりかかったが今思えばとっても幸せだった日々。
日本に帰ってからチャイナとも何度か連絡をとったが「ビクターがSONYに合併吸収され、ジョージ・バトラーが解雇された」というニュースが流れてからは殆ど連絡も途絶えてしまった。
その後、出産、育児に追われNYに行く事もできなくなってしまったが、ジャッキー(スワン)からは相変わらず分厚い手紙が届き、息子の為にいろいろな贈物が届いた。
息子 にとても会いたがっていたジャッキーは突然私達の前から姿を消した。心配した私はNYの友人たちにジャッキーの消息をいろいろと調べてもらったが、さっぱりわからなかった。スワンの住所もジャッキーに車で連れて行ってもらっただけなのでよくわからない。ジャッキーはだいぶ体も弱っていたし、病院に入ったのだろうか・・・?NYに行って、 直接探し出す事のできない自分がもどかしかった。
最後に送ってくれた手紙の中には、Sachi Hayasakaと背中に刺繍された スタジアムジャンバーを着たジャッキーの後ろ姿のポラロイド 写真が一枚入っていた。ありがとう。ジャッキー、多田さん、 そしてNYで出会ったかけがえのない友人たち・・・。
(完)
最後まで読んでくださった皆様にも感謝いたします。この記事を読んでいた方がスイングジャーナルの記事を偶然見つけて送ってくださいました。ののちゃんぱぱ、ありがとうございます!
NY滞在もあと2週間を切ったある日「ハーイ、トシキ、サチ。 今日は友人に会わせたいから一緒に来てくれないかい?」
またハー レムに連れて行ってくれるのかな?と思いながら利樹と2人で彼の イエロー・キャブに乗り込むと、アップタウンに到着。小さなドア をノックすると、小柄な白人の老人が出て来た。
確かジャッキーと 2人でニッティングファクトリーのデビューの時に来てくれたおじいさんだ。白人の友人なんてとってもめずらしい。
彼は「スワンっ て呼んでくれ。」と自己紹介した。スワン・・・どこかで聞いた な、と思いつつ彼の部屋に入ると大きな机があり、その上にカラー ペンと便箋が置かれていた。手紙や絵を書くのが趣味なのかな・・・? よく見ると見なれた筆跡。
ああ、やっとわかった!
ジャッキーから 送られていた山のような分厚い手紙の全てスワンが代筆をしていたんだ!手紙のラストにいつもスワンって書いてあったっけ。
ジャッキーが喋る英語には三人称単数とか過去形もなく、詩のような手紙をいつもくれるのになぜかしら・・・と不思議だったが、この瞬間にようやく謎が解けた。
わざわざ代筆を頼んでまで美しい手紙を送り続けてくれたジャッキー。感動で胸がいっぱいになって彼らを見上げると『どうだい、やっとわかったかい?』とでもいうよ うに、彼らはにこにこと笑っていた。
<帰国準備>
滞在期間の3ヶ月があっという間に過ぎていき、いよいよ日本に帰る準備をしなくてはならない。
ジョージ・バトラーからの連絡もないまま、あとのことはチャイナに任せる事にしてとりあえ ず様々な友人たちとの別れの挨拶に忙しくなっていった。 友人のジェイ・ロドリゲス(Sax)が誘ってくれたソー ホーの小さなカフェレストランではラシッド・アリとの共 演も果たす事ができた。[You don't know what love is]の テーマを吹きはじめると後ろでラシッドはブラシを使って フリーで叩きはじめた。背中がぞくぞくっとした。あのコルトレーンと演奏していたドラマーとを演奏できるなん て・・・ラシッド・アリは優しい笑顔で「Beautiful!」と 言って握手をしてくれた。大きな暖かい手だった。

ラシッドと「You don't know what love is」を演奏。
またチャイナが「アポロシアターでフェラ・クティのコ ンサートがあるの、紹介するから行かない?」と誘ってく れたのも帰る3日前だった。
アフリカのボブ・マーリーのような存在、音楽家だけでな く政治家としても活動するフェラ・クティのサックスを生で聴けるのもNYならではだ。
北島三郎ショーのような2時間のコンサートを堪能した私達は楽屋に連れていかれ、何人もの奥さんたちや子供がはしゃぐ中、チャイナが「彼女はサックス吹きなのよ。」と紹介。
「じゃあ、来週のコンサートで私と一緒に演奏しよう。楽器を持って来てくれないか?」との有り難いお言葉。 え〜〜?女なら誰でもいいのか?とちょっとあきれながらも「来週、日本に帰らなくてはいけないんです・・・。」実現こそできなかったが、こんな話がすぐ起こるNYはやはり面白い街だ。

アポロシアターの楽屋でラシッド・アリと。
いよいよ帰る前日。エルドリッジ・ストリートには3か月間 に出会った殆どの友人たちが集い大パーティが催された。

チャ イナタウンでステーキを沢山買い込み、パーティの準備が始まった。10年もキャナルに住み絵を描いているマサさんとは一 緒にウッドストックでキャンプをしたり将棋をして遊んだ仲だが、早い時間にやってきてお風呂の掃除を始めてくれた。「何 にもプレゼントするものがないから、せめて掃除くらい助けてあげようと思ってね。」さり気ないマサさんの心使いに感激していると、Dちゃんもいろいろな食材を持って到着。
夕暮れどきになると、三々五々、飲物や食べ物を持ってみん な集まってきた。普段はドラッグディーラーだけがうろうろしている人気の少ないエルドリッジストリートにミュージシャ ン、画家、いろいろな国のアーティストたちが溢れ、朝まで盛 り上がり最高の思い出になった。




翌日のケネディ空港にはもちろんジャッキーがイエローキャブで見送ってくれた。「See you again!」
たった3か月の滞在の間にこんなにNYを満喫する事ができ たのは、やはり沢山の友人たちのお陰だ。ノイローゼにもなりかかったが今思えばとっても幸せだった日々。
日本に帰ってからチャイナとも何度か連絡をとったが「ビクターがSONYに合併吸収され、ジョージ・バトラーが解雇された」というニュースが流れてからは殆ど連絡も途絶えてしまった。
その後、出産、育児に追われNYに行く事もできなくなってしまったが、ジャッキー(スワン)からは相変わらず分厚い手紙が届き、息子の為にいろいろな贈物が届いた。
息子 にとても会いたがっていたジャッキーは突然私達の前から姿を消した。心配した私はNYの友人たちにジャッキーの消息をいろいろと調べてもらったが、さっぱりわからなかった。スワンの住所もジャッキーに車で連れて行ってもらっただけなのでよくわからない。ジャッキーはだいぶ体も弱っていたし、病院に入ったのだろうか・・・?NYに行って、 直接探し出す事のできない自分がもどかしかった。
最後に送ってくれた手紙の中には、Sachi Hayasakaと背中に刺繍された スタジアムジャンバーを着たジャッキーの後ろ姿のポラロイド 写真が一枚入っていた。ありがとう。ジャッキー、多田さん、 そしてNYで出会ったかけがえのない友人たち・・・。
(完)
最後まで読んでくださった皆様にも感謝いたします。この記事を読んでいた方がスイングジャーナルの記事を偶然見つけて送ってくださいました。ののちゃんぱぱ、ありがとうございます!
