minga日記

minga、東京ミュージックシーンで活動する女サックス吹きの日記

NYものがたり12 [ジャッキーの秘密](最終回)

2016年09月10日 | 
<ジャッキーの友人、スワン>

NY滞在もあと2週間を切ったある日「ハーイ、トシキ、サチ。 今日は友人に会わせたいから一緒に来てくれないかい?」

またハー レムに連れて行ってくれるのかな?と思いながら利樹と2人で彼の イエロー・キャブに乗り込むと、アップタウンに到着。小さなドア をノックすると、小柄な白人の老人が出て来た。

確かジャッキーと 2人でニッティングファクトリーのデビューの時に来てくれたおじいさんだ。白人の友人なんてとってもめずらしい。

彼は「スワンっ て呼んでくれ。」と自己紹介した。スワン・・・どこかで聞いた な、と思いつつ彼の部屋に入ると大きな机があり、その上にカラー ペンと便箋が置かれていた。手紙や絵を書くのが趣味なのかな・・・? よく見ると見なれた筆跡。

ああ、やっとわかった!

ジャッキーから 送られていた山のような分厚い手紙の全てスワンが代筆をしていたんだ!手紙のラストにいつもスワンって書いてあったっけ。

ジャッキーが喋る英語には三人称単数とか過去形もなく、詩のような手紙をいつもくれるのになぜかしら・・・と不思議だったが、この瞬間にようやく謎が解けた。

わざわざ代筆を頼んでまで美しい手紙を送り続けてくれたジャッキー。感動で胸がいっぱいになって彼らを見上げると『どうだい、やっとわかったかい?』とでもいうよ うに、彼らはにこにこと笑っていた。


<帰国準備>

滞在期間の3ヶ月があっという間に過ぎていき、いよいよ日本に帰る準備をしなくてはならない。

ジョージ・バトラーからの連絡もないまま、あとのことはチャイナに任せる事にしてとりあえ ず様々な友人たちとの別れの挨拶に忙しくなっていった。 友人のジェイ・ロドリゲス(Sax)が誘ってくれたソー ホーの小さなカフェレストランではラシッド・アリとの共 演も果たす事ができた。[You don't know what love is]の テーマを吹きはじめると後ろでラシッドはブラシを使って フリーで叩きはじめた。背中がぞくぞくっとした。あのコルトレーンと演奏していたドラマーとを演奏できるなん て・・・ラシッド・アリは優しい笑顔で「Beautiful!」と 言って握手をしてくれた。大きな暖かい手だった。


ラシッドと「You don't know what love is」を演奏。

またチャイナが「アポロシアターでフェラ・クティのコ ンサートがあるの、紹介するから行かない?」と誘ってく れたのも帰る3日前だった。

アフリカのボブ・マーリーのような存在、音楽家だけでな く政治家としても活動するフェラ・クティのサックスを生で聴けるのもNYならではだ。

北島三郎ショーのような2時間のコンサートを堪能した私達は楽屋に連れていかれ、何人もの奥さんたちや子供がはしゃぐ中、チャイナが「彼女はサックス吹きなのよ。」と紹介。

「じゃあ、来週のコンサートで私と一緒に演奏しよう。楽器を持って来てくれないか?」との有り難いお言葉。 え〜〜?女なら誰でもいいのか?とちょっとあきれながらも「来週、日本に帰らなくてはいけないんです・・・。」実現こそできなかったが、こんな話がすぐ起こるNYはやはり面白い街だ。


アポロシアターの楽屋でラシッド・アリと。

いよいよ帰る前日。エルドリッジ・ストリートには3か月間 に出会った殆どの友人たちが集い大パーティが催された。



チャ イナタウンでステーキを沢山買い込み、パーティの準備が始まった。10年もキャナルに住み絵を描いているマサさんとは一 緒にウッドストックでキャンプをしたり将棋をして遊んだ仲だが、早い時間にやってきてお風呂の掃除を始めてくれた。「何 にもプレゼントするものがないから、せめて掃除くらい助けてあげようと思ってね。」さり気ないマサさんの心使いに感激していると、Dちゃんもいろいろな食材を持って到着。

夕暮れどきになると、三々五々、飲物や食べ物を持ってみん な集まってきた。普段はドラッグディーラーだけがうろうろしている人気の少ないエルドリッジストリートにミュージシャ ン、画家、いろいろな国のアーティストたちが溢れ、朝まで盛 り上がり最高の思い出になった。











翌日のケネディ空港にはもちろんジャッキーがイエローキャブで見送ってくれた。「See you again!」


たった3か月の滞在の間にこんなにNYを満喫する事ができ たのは、やはり沢山の友人たちのお陰だ。ノイローゼにもなりかかったが今思えばとっても幸せだった日々。

日本に帰ってからチャイナとも何度か連絡をとったが「ビクターがSONYに合併吸収され、ジョージ・バトラーが解雇された」というニュースが流れてからは殆ど連絡も途絶えてしまった。

その後、出産、育児に追われNYに行く事もできなくなってしまったが、ジャッキー(スワン)からは相変わらず分厚い手紙が届き、息子の為にいろいろな贈物が届いた。

息子 にとても会いたがっていたジャッキーは突然私達の前から姿を消した。心配した私はNYの友人たちにジャッキーの消息をいろいろと調べてもらったが、さっぱりわからなかった。スワンの住所もジャッキーに車で連れて行ってもらっただけなのでよくわからない。ジャッキーはだいぶ体も弱っていたし、病院に入ったのだろうか・・・?NYに行って、 直接探し出す事のできない自分がもどかしかった。

最後に送ってくれた手紙の中には、Sachi Hayasakaと背中に刺繍された スタジアムジャンバーを着たジャッキーの後ろ姿のポラロイド 写真が一枚入っていた。ありがとう。ジャッキー、多田さん、 そしてNYで出会ったかけがえのない友人たち・・・。

(完)

最後まで読んでくださった皆様にも感謝いたします。この記事を読んでいた方がスイングジャーナルの記事を偶然見つけて送ってくださいました。ののちゃんぱぱ、ありがとうございます!


NYものがたり11 [ハーレムツアー]

2016年09月10日 | 
1991年夏。3か月のNY滞在期間も残り 1か月をきった。言葉の壁や習慣の違いにやや疲れ を覚えた頃ジャッキーがハーレムを案内してくれ て ・・・NY奮戦記、いよいよ最終回です。

<ハーレムツアー>

ジャッキーは私達の家に殆ど毎日立ち寄ってくれた。 タクシーの仕事のある日もそうでない日も。

「今日は ハーレムを案内するよ。」ジャッキーと地下鉄A列車に 乗り連れて行かれたのは行きつけのダイナーだった。

ソウルフードのとてもおいしい黒人たちの集まる小さな 店でジャッキーと仲良しの可愛い黒人のウエイトレス、ニッキーが 「あなたたちの事はいつもジャッキーから聞いているわ!」と歓迎 してくれた。行き交う人々と楽しそうに挨拶を交 わし、友人に出会う度に私と利樹を紹介してくれるハーレムでのジャッキーはまるで別人のように明るかった。

また 別の日「今日はサックスを持ってきて欲しいんだけど。」 とジャッキー。

<シルビア>というアポロシアター近くにあるレストランに入ると、黒人のおじいさん達が演奏している。おいしいソウルフードを堪能した後、ジャッキーは「彼女がサックス奏者のサチだよ」と店 のオーナーに私を紹介。オーナーは「ぜひ彼等と一緒に演奏して下 さい。」さっそくバンドの人に挨拶をしてブルーモンクを演奏する 事になった。

演奏が始まると、観客も店員たちももちろんジャッキーも大喜び。 「もう1 曲!」とアンコールを受けバラードを吹き始めた瞬間、ドアが開き

「ここは私達以外、日本人なんてめったに来れないレストランです。 ハーレムは危ない場所ですからね。」

一人の日本人が観光客を引き 連れ大声で説明しながら入って来た。私が演奏しているのを見ると彼は一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに団体を予約席の一角に案内した。 あれれ?彼はもと某六本木ジャズクラブのオーナーMr.Tではないか。。。演奏後に名刺を持ってやってきたMr.Tが「お久しぶりですね。お元気ですか?」

(当時、Mr.Tは日本人から高いお金をとって「ハーレムツアー」を行っていた。シルビアで働くウエイターたちにとって、お金をたくさん落としてくれる日本人はありがたい存在。Mr.Tのことをとても慕っていた。しかし、日本人に「ハーレムは危険だから、私のツアー以外ではいかないように。」と彼ら黒人たちのことを恐ろしい存在のように伝えていたことも確かで、ちょっと複雑な気分だった・・・。)

日本人観光客がきつねにつままれたような顔をして私達を見ている中でMr.Tと挨拶を交わしていると、シルビアのオーナーが私のところにやってきて「ちょっと話があるんだけど。」と私を店の入り口近くの席に招き寄せた。私のバンドでこの店のレギュラーを1か月間やらないかという話だった。

とても嬉しかったけれど丁重にお断りして店を出た。それにしても ジャッキーのおかげで、危険だと思っていたハーレムに住む人々の素朴で暖かい人柄に触れる事ができたのは本当に幸運だった。


「シルビア」で飛び入り

ハーレムを暢気に遊び回っている間にマネジャーのシスター・ チャイナはジョージ・バトラー(マイルス・デイビスや秋吉敏子など を手掛ける音楽プロデューサー)とのアポイントをとってきた。

あわてて、私たちも知人に通訳をお願いし同行してもらった。カーネ ギーのすぐ横にそびえ立つ巨大なビクター本社ビルのエレベーター に乗り込み、有名なアーティスト達のゴールドディスクがずらっと 壁にかかっている長い廊下をいくつも曲がるとジョージ・バトラー の部屋の前に辿り着いた。チャイナがドアをノックすると「Come In!」と重厚な椅子に座ったジョージ・バトラーが立ち上がって私達 を出迎えてくれた。握手を交わし、社交辞令の挨拶・・・緊張の数分間。

「できるだけ早いうちに契約書を交わしましょう。Knitting での演奏はとてもよかったので、あなた方の音楽をそのまま大切に してください。また連絡をします。」

夢のような話だったが、なん だかきつねにつままれたような気分でビクターを後にした。 次は弁護士を決めようとチャイナが言い出した。まだ仕事も決 まっていないのに・・・返事を濁らしていると「サチ、これがNYの やり方なのよ。仕事が入ってきたらお金を払えばいいだけだから、 最初に良い弁護士を見つけておかないとビジネスはうまくいかないわ。」

屋根の修理一つにも弁護士を雇うアメリカのやり方にはどう しても馴染めないのだが、チャイナはさっそくアポイントをとってきた。驚いた事にそれぞれマイルス、プリンス、マドンナという超 一流アーティストの弁護士たち。そんな凄い弁護士に会うのだから 当然通訳が必要だ。同じ友人にいつも来てもらう訳にはいかないの で、毎回、通訳をしてくれる人を探し出し、沢山の人の助けを借り ないと何もできない自分がとても情けなかった。

<船頭多くして船山に登る> という諺があるが、通訳をお願 いした日本人たちは、自信満々であまりに夢のような計画をまくしたてるシスターチャイナに 対して不信感を持ち始め、私達に気をつけなさいと警告する者も出て来た。

『なぜ私を信じてくれないの?』という苛立ちが はっきりチャイナにも顕われ、 さらに強引な態度をとるようになり、私達の知り合いの日本人 たちを敵対視し始めた。

一体誰を信じたらいいの..?

自分で判 断できないもどかしさで、楽しいはずのNYデビュー計画もだん だんつらいものになってきた。(つづく)

NYものがたり10 [シスター・チャイナとジャッキー]

2016年09月10日 | 
<シスター・チャイナ>

翌日再びチャイナが1枚の紙切れを持って訪れた。

「この契 約書にサインしてちょうだい。私があなたのマネージャーで す、というものだから心配はいらないわ。」

日本語で話をして いればきっと何の疑いもなく彼女の意見を聞き、それを自分で 判断することは簡単だったに違いない。しかし、ここは生き馬の目を抜くNYだ。突然つきつけられた紙切れに、英語の契約書 を初めて見る私は戸惑いを感じすぐに返事ができない。

「ちょっと待って、内容をよく読んでそれからサインするか ら。」と伝えるので精一杯。大事な契約などの話になると私の 語学力ではお手上げ状態、英語を得意とする利樹ですら契約書 には慎重になり、なんにでも契約書を取り交わすこの国のシス テムに戸惑いながら、結局日本の知人たちに相談するしかな かった。


日本の友人に訳してもらった末、遂にマネージャーの契約書 にサインするとチャイナの行動力は今まで以上に精力的なった。ワールドミュージック系のライブをやっているNYで最も ヒップな店<SOB>のオフィスに私達を連れていき、 「この子はこれからビクターでデビューする素晴らしいサック スプレイヤーよ。彼女のグループをブッキングしてくれな い?」強引な彼女に説得されたのかどうかは定かでないが、 「へえ、ビクターからデビューですか、それはおめでとう!」 とすぐにライブの日取りが決定。


つの犬もたったの2週間で 様々な人と出会い、めまぐるしく変化するNYのに驚きながらも「やっぱ面白いねえ、NYは。」とすっかり堪能し「また来た いよ~。」後ろ髪をひかれながら日本に帰国して行った。


Sound of Brazil (SOB)


なんと、同じ週末にElza Soaresが出演していたとは!!!


<ジャッキーありがとう!>

私達の次のギグは<ザンジバー&グリル>。昨年の夏、この 店からマンハッタン・ライブ計画がスタートしたのだが、1年 も経っていないのにもう大昔の事のようだ。多田さんのお陰 で・・・と思いながらステージにあがると不思議な事に、 あの時の多田さんと同じ席に横縞ボーダーネックTシャツにア ポロキャップをかぶった白人が座って聴いているではないか。 もちろん全くの偶然だろうが、昨年居合わせたDちゃんとその旦那様も驚いていた。きっと天国から多田さんがまたライブ に駆け付けてくれたんだね・・・。溢れそうになる涙を必死に 堪えて演奏した。そしてライブ終了後にまたまたジャッキーが ザンジバーの店の前にイエローキャブで待機してくれていた。






「ハ~イ、お腹は?」と聞かれ「うん、すいてる!」 彼はブルックリンブリッジとは違う方向にどんどんタクシー を走らせる。ジャッキーのタクシーがまっすぐ家に向かうは ずがない。今回はどこに連れて行ってくれるのだろう・・・ 疲れた体をタクシーの助手席にもたれウトウトしかけたとた ん、華やかなネオンの観覧車と人声でが目が醒めた。

「コニーアイランドへようこそ!」笑いながら車を停車させ、車から降りて私たちの為にホットドックを買ってきてく れた。真夜中だというのに壁の向こうではジェットコース ターやコーヒーカップがネオンを輝かせてくるくるっている。その横には修理中のゴンドラ・・・人気の少ない小さな 遊園地だったが思いがけないプレゼントに、今までのめまぐ るしい日々の緊張が一気にほぐれ涙が止めどなく流れた。





ジャッキー、本当にありがとう・・・生きる事に必死、自分 の事で精一杯の人間達の多いこのマンハッタンで神様のような彼と出会えた事に感謝せずにはいられなかった。(つづく)