1991年夏。3か月のNY滞在期間も残り 1か月をきった。言葉の壁や習慣の違いにやや疲れ を覚えた頃ジャッキーがハーレムを案内してくれ て ・・・NY奮戦記、いよいよ最終回です。
<ハーレムツアー>
ジャッキーは私達の家に殆ど毎日立ち寄ってくれた。 タクシーの仕事のある日もそうでない日も。
「今日は ハーレムを案内するよ。」ジャッキーと地下鉄A列車に 乗り連れて行かれたのは行きつけのダイナーだった。
ソウルフードのとてもおいしい黒人たちの集まる小さな 店でジャッキーと仲良しの可愛い黒人のウエイトレス、ニッキーが 「あなたたちの事はいつもジャッキーから聞いているわ!」と歓迎 してくれた。行き交う人々と楽しそうに挨拶を交 わし、友人に出会う度に私と利樹を紹介してくれるハーレムでのジャッキーはまるで別人のように明るかった。
また 別の日「今日はサックスを持ってきて欲しいんだけど。」 とジャッキー。
<シルビア>というアポロシアター近くにあるレストランに入ると、黒人のおじいさん達が演奏している。おいしいソウルフードを堪能した後、ジャッキーは「彼女がサックス奏者のサチだよ」と店 のオーナーに私を紹介。オーナーは「ぜひ彼等と一緒に演奏して下 さい。」さっそくバンドの人に挨拶をしてブルーモンクを演奏する 事になった。
演奏が始まると、観客も店員たちももちろんジャッキーも大喜び。 「もう1 曲!」とアンコールを受けバラードを吹き始めた瞬間、ドアが開き
「ここは私達以外、日本人なんてめったに来れないレストランです。 ハーレムは危ない場所ですからね。」
一人の日本人が観光客を引き 連れ大声で説明しながら入って来た。私が演奏しているのを見ると彼は一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに団体を予約席の一角に案内した。 あれれ?彼はもと某六本木ジャズクラブのオーナーMr.Tではないか。。。演奏後に名刺を持ってやってきたMr.Tが「お久しぶりですね。お元気ですか?」
(当時、Mr.Tは日本人から高いお金をとって「ハーレムツアー」を行っていた。シルビアで働くウエイターたちにとって、お金をたくさん落としてくれる日本人はありがたい存在。Mr.Tのことをとても慕っていた。しかし、日本人に「ハーレムは危険だから、私のツアー以外ではいかないように。」と彼ら黒人たちのことを恐ろしい存在のように伝えていたことも確かで、ちょっと複雑な気分だった・・・。)
日本人観光客がきつねにつままれたような顔をして私達を見ている中でMr.Tと挨拶を交わしていると、シルビアのオーナーが私のところにやってきて「ちょっと話があるんだけど。」と私を店の入り口近くの席に招き寄せた。私のバンドでこの店のレギュラーを1か月間やらないかという話だった。
とても嬉しかったけれど丁重にお断りして店を出た。それにしても ジャッキーのおかげで、危険だと思っていたハーレムに住む人々の素朴で暖かい人柄に触れる事ができたのは本当に幸運だった。

「シルビア」で飛び入り
ハーレムを暢気に遊び回っている間にマネジャーのシスター・ チャイナはジョージ・バトラー(マイルス・デイビスや秋吉敏子など を手掛ける音楽プロデューサー)とのアポイントをとってきた。
あわてて、私たちも知人に通訳をお願いし同行してもらった。カーネ ギーのすぐ横にそびえ立つ巨大なビクター本社ビルのエレベーター に乗り込み、有名なアーティスト達のゴールドディスクがずらっと 壁にかかっている長い廊下をいくつも曲がるとジョージ・バトラー の部屋の前に辿り着いた。チャイナがドアをノックすると「Come In!」と重厚な椅子に座ったジョージ・バトラーが立ち上がって私達 を出迎えてくれた。握手を交わし、社交辞令の挨拶・・・緊張の数分間。
「できるだけ早いうちに契約書を交わしましょう。Knitting での演奏はとてもよかったので、あなた方の音楽をそのまま大切に してください。また連絡をします。」
夢のような話だったが、なん だかきつねにつままれたような気分でビクターを後にした。 次は弁護士を決めようとチャイナが言い出した。まだ仕事も決 まっていないのに・・・返事を濁らしていると「サチ、これがNYの やり方なのよ。仕事が入ってきたらお金を払えばいいだけだから、 最初に良い弁護士を見つけておかないとビジネスはうまくいかないわ。」
屋根の修理一つにも弁護士を雇うアメリカのやり方にはどう しても馴染めないのだが、チャイナはさっそくアポイントをとってきた。驚いた事にそれぞれマイルス、プリンス、マドンナという超 一流アーティストの弁護士たち。そんな凄い弁護士に会うのだから 当然通訳が必要だ。同じ友人にいつも来てもらう訳にはいかないの で、毎回、通訳をしてくれる人を探し出し、沢山の人の助けを借り ないと何もできない自分がとても情けなかった。
<船頭多くして船山に登る> という諺があるが、通訳をお願 いした日本人たちは、自信満々であまりに夢のような計画をまくしたてるシスターチャイナに 対して不信感を持ち始め、私達に気をつけなさいと警告する者も出て来た。
『なぜ私を信じてくれないの?』という苛立ちが はっきりチャイナにも顕われ、 さらに強引な態度をとるようになり、私達の知り合いの日本人 たちを敵対視し始めた。
一体誰を信じたらいいの..?
自分で判 断できないもどかしさで、楽しいはずのNYデビュー計画もだん だんつらいものになってきた。(つづく)
<ハーレムツアー>
ジャッキーは私達の家に殆ど毎日立ち寄ってくれた。 タクシーの仕事のある日もそうでない日も。
「今日は ハーレムを案内するよ。」ジャッキーと地下鉄A列車に 乗り連れて行かれたのは行きつけのダイナーだった。
ソウルフードのとてもおいしい黒人たちの集まる小さな 店でジャッキーと仲良しの可愛い黒人のウエイトレス、ニッキーが 「あなたたちの事はいつもジャッキーから聞いているわ!」と歓迎 してくれた。行き交う人々と楽しそうに挨拶を交 わし、友人に出会う度に私と利樹を紹介してくれるハーレムでのジャッキーはまるで別人のように明るかった。
また 別の日「今日はサックスを持ってきて欲しいんだけど。」 とジャッキー。
<シルビア>というアポロシアター近くにあるレストランに入ると、黒人のおじいさん達が演奏している。おいしいソウルフードを堪能した後、ジャッキーは「彼女がサックス奏者のサチだよ」と店 のオーナーに私を紹介。オーナーは「ぜひ彼等と一緒に演奏して下 さい。」さっそくバンドの人に挨拶をしてブルーモンクを演奏する 事になった。
演奏が始まると、観客も店員たちももちろんジャッキーも大喜び。 「もう1 曲!」とアンコールを受けバラードを吹き始めた瞬間、ドアが開き
「ここは私達以外、日本人なんてめったに来れないレストランです。 ハーレムは危ない場所ですからね。」
一人の日本人が観光客を引き 連れ大声で説明しながら入って来た。私が演奏しているのを見ると彼は一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに団体を予約席の一角に案内した。 あれれ?彼はもと某六本木ジャズクラブのオーナーMr.Tではないか。。。演奏後に名刺を持ってやってきたMr.Tが「お久しぶりですね。お元気ですか?」
(当時、Mr.Tは日本人から高いお金をとって「ハーレムツアー」を行っていた。シルビアで働くウエイターたちにとって、お金をたくさん落としてくれる日本人はありがたい存在。Mr.Tのことをとても慕っていた。しかし、日本人に「ハーレムは危険だから、私のツアー以外ではいかないように。」と彼ら黒人たちのことを恐ろしい存在のように伝えていたことも確かで、ちょっと複雑な気分だった・・・。)
日本人観光客がきつねにつままれたような顔をして私達を見ている中でMr.Tと挨拶を交わしていると、シルビアのオーナーが私のところにやってきて「ちょっと話があるんだけど。」と私を店の入り口近くの席に招き寄せた。私のバンドでこの店のレギュラーを1か月間やらないかという話だった。
とても嬉しかったけれど丁重にお断りして店を出た。それにしても ジャッキーのおかげで、危険だと思っていたハーレムに住む人々の素朴で暖かい人柄に触れる事ができたのは本当に幸運だった。

「シルビア」で飛び入り
ハーレムを暢気に遊び回っている間にマネジャーのシスター・ チャイナはジョージ・バトラー(マイルス・デイビスや秋吉敏子など を手掛ける音楽プロデューサー)とのアポイントをとってきた。
あわてて、私たちも知人に通訳をお願いし同行してもらった。カーネ ギーのすぐ横にそびえ立つ巨大なビクター本社ビルのエレベーター に乗り込み、有名なアーティスト達のゴールドディスクがずらっと 壁にかかっている長い廊下をいくつも曲がるとジョージ・バトラー の部屋の前に辿り着いた。チャイナがドアをノックすると「Come In!」と重厚な椅子に座ったジョージ・バトラーが立ち上がって私達 を出迎えてくれた。握手を交わし、社交辞令の挨拶・・・緊張の数分間。
「できるだけ早いうちに契約書を交わしましょう。Knitting での演奏はとてもよかったので、あなた方の音楽をそのまま大切に してください。また連絡をします。」
夢のような話だったが、なん だかきつねにつままれたような気分でビクターを後にした。 次は弁護士を決めようとチャイナが言い出した。まだ仕事も決 まっていないのに・・・返事を濁らしていると「サチ、これがNYの やり方なのよ。仕事が入ってきたらお金を払えばいいだけだから、 最初に良い弁護士を見つけておかないとビジネスはうまくいかないわ。」
屋根の修理一つにも弁護士を雇うアメリカのやり方にはどう しても馴染めないのだが、チャイナはさっそくアポイントをとってきた。驚いた事にそれぞれマイルス、プリンス、マドンナという超 一流アーティストの弁護士たち。そんな凄い弁護士に会うのだから 当然通訳が必要だ。同じ友人にいつも来てもらう訳にはいかないの で、毎回、通訳をしてくれる人を探し出し、沢山の人の助けを借り ないと何もできない自分がとても情けなかった。
<船頭多くして船山に登る> という諺があるが、通訳をお願 いした日本人たちは、自信満々であまりに夢のような計画をまくしたてるシスターチャイナに 対して不信感を持ち始め、私達に気をつけなさいと警告する者も出て来た。
『なぜ私を信じてくれないの?』という苛立ちが はっきりチャイナにも顕われ、 さらに強引な態度をとるようになり、私達の知り合いの日本人 たちを敵対視し始めた。
一体誰を信じたらいいの..?
自分で判 断できないもどかしさで、楽しいはずのNYデビュー計画もだん だんつらいものになってきた。(つづく)