12月6日、7日、春日さんと房野の2人で京都造形芸術大学のACOPの<オーデション>を見てきました!ACOPは同大学のアートプロデュース学科(通称ASP学科)の1回生の必修科目で、「対話を基本とした鑑賞教育」(アート コミュニケーション プロジェクト)のことです。この単位が取れないと卒業できないという厳しい科目で、過去に涙した学生は数知れず・・・。
「みるみる」は「対話型鑑賞」を島根に普及することを目的に発足した美術教育サークルですが、その源流はASP学科教授である福のり子教授の教えであるといってもよいでしょう。6年前に私が対話型鑑賞を学びたい!と春日さんに相談したときに紹介されたのもこのACOPでした。
ACOPは、ASP学科の学生がナビゲーターとして複数の成人鑑賞者を前にアート作品の鑑賞会を進めていきます。(今年、会員の金谷さんが鑑賞ボランティアとして参加されています。詳しくは金谷さんのレポートをご覧ください!)
でも、このナビゲーター、実はACOP本番の鑑賞会までにずいぶんと厳しいオーデションをパスした学生だけがすることができるのです。以前、私は本番には参加したことがありますが、春日さんいわく、「オーデションの方も、ビシバシ学生がダメ出しされ、鍛え上げられていく様子が見られて、勉強になる」とのこと。ぜひ、そちらを見てみたい!ということで、週末の弾丸京都への旅となったのでした。
福先生はいつものように私たちをあたたかく迎えてくださり、6日午後、7日午前のオーデションに参加することができました。いつも、ありがとうございます!
さて、学生さんのナビゲーションですが、ここへ至るまでにグループの仲間と何度も練習を重ね、すでに経験済みの上回生がメンターとして指導に当たっています。福先生の「合格!」の声に本人はもちろん、切磋琢磨してきた仲間が涙を流して抱きあって喜ぶ姿に、ここまでの艱難辛苦が伝わってきました。
けれど、思うようにナビができず、「声が小さい!」「人の話を全然聴いてない!」「なぜ、ここで情報を伝えないのか!」「そんな情報はここではいらない!」などなど、福先生の叱咤に思わず固まってしまう学生も…。私自身も「自分がこのナビなら、どうパラフレーズするのだろう?」「この作品の情報を伝えるタイミングは??」と頭をフル回転させて考えさせられました。
VTSと呼ばれる対話型鑑賞では、情報を一切出さず、すべての意見を受け入れ、どの意見も平等に扱う…となっていますが、ACOPでは作品の情報を伝えます。そこは「みるみる」も同じで、授業という限られた時間と回数でいかに深く鑑賞を促すかという目的のもと、最近は作品情報の提供による効果を、実践を通じて大いに感じています。情報を提示するタイミングひとつとってもACOPのオーデションは大変勉強になるのです。
そういう意味も含めて私が今回、個人的に特に気になった作品は、ソフィ・カルの「盲目の人々」という、写真作品です。
生まれつき全盲の男性の写真の横には「あなたにとって美とは何か?」「視野の果てまでも続く海」というテキストがあり、その下には作者(ソフィ・カル)による海の写真が置かれている。3つのフレームで一つの作品となっているシリーズです。
「みるとはどういうことなのか」をこの作品をみる私たちに問いかける、ちょっと見では???だけれど、対話を重ねることで、どんどんいろんな考えが浮かんでくる作品です。この作品は「この写真の人は生まれつき全盲です」という情報なしでは語れません。この情報があってこそ、テキストの意味、人と人とが共有することができる感覚、視覚と「みる」ということの関係など、対話が深まっていくのがわかります。
鑑賞は「みる」ことから始まるのですが、その根本を問うような、普段私に染みついている「みる」という概念そのものを揺さぶられる作品だと感じました。とても興味深いのですが、果たして、自分がナビをするなら…?う~ん。勇気がいるなあ(^_^;)
でも、こんな風に福先生に鍛えてもらえるなら、やってみたい!とも。学生のみなさんはもうわかっているとは思いますが、福先生の叱咤は愛なのだよ。その愛に応えるのだ!みんな!
この学生さんたち、思えば私の子どもと同世代。うちの息子や娘はこの授業に耐えられるか!?なんて、つい、最後は母の視線で学生さんたちを見てしまいました。帰りの新幹線の時間が来て、残念ながら私たちはオーデションの途中で退出となり、ナビに行き詰っている学生さんにガッツポーズでエールを送りつつ、その場を後にしたのでした。
また、行きたいなあ。ACOPのオーデション。「12月にACOPに行かないと、1年が終わらない気がする」と言ってた春日さんの気持ちがわかった京都での週末でした。
房野さん、レポートをありがとうございました。
いかに実りのある、いわゆるRICHな会話が弾む鑑賞にするためには、ナビゲーターは研鑽に励まなければならないと、思いを新たに師走でにぎわう京都を、慌ただしく後にしたのでした。