ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

「安部朱美ふたたび」安来市加納美術館での対話型鑑賞会②(2019,8,24開催)

2019-10-05 23:45:46 | 対話型鑑賞
安来市加納美術館 特別展「安部朱美ふたたび」-明日へのまなざし―
鑑賞作品 創作人形「二十四の瞳 出席をとります」 2013年 安部朱美
参加者 一般 5名  みるみる会員 1名   ナビゲーター 房野伸枝

 私は安部朱美さんの創作人形を拝見するのは初めてで、創作人形を対象に鑑賞会を行うのも初めてでした。会場にはたくさんの人形が展示してあり、どの作品も非常に細やかに人物のポーズ、表情、シュチュエーションが表現されて、見ごたえのあるものばかり。「いろり端」「アイスキャンディー屋」「魚屋さん」など、昭和初期の風物も多く、どれもどこか懐かしく、特に70代以上の方にはかつて経験したような、まるで自分も人形たちの中に入り込んでいけるような感覚があったのではないでしょうか。その日の来館者は年配の方が多かったのですが、昔を懐かしんで、「あの頃はこうだった」「懐かしいねぇ」などなど、自然に近くの人と言葉を交わしながら見ておられる方が多かったのがとても印象的でした。これは他の展覧会ではあまり見られない様子です。それだけ、身近で、心に訴える作品だったのだと思います。

 その中で、「二十四の瞳」をテーマにした人形群がありました。<壷井 栄>作の映画化もされた小説を題材にした作品です。物語はこのようなあらすじです。「昭和3年、小豆島の分教場に女学校を卒業したばかりの若い「おなご先生」大石先生が赴任してきた。島民も子どもたちもまだ着物姿の時代、洋服を着て颯爽と自転車で勤務する大石先生。始めは不審を抱いていた保護者も、子どもたちに慕われる先生を受け入れていく。1年生12人の子どもたちと大石先生との温かい交流。けれど、戦争がみんなの生活を引き裂いていく。戦後、大石先生はかつての教え子との同窓会で、その後の子どもたちの苦労、戦死した子どもたちのことを知る。戦争で失明した磯吉が1年生の時の記念写真を指差しながら、あの頃の一人ひとりの位置を示す。脳裏には楽しい思い出の中の子どもたちが映り、みんなは涙をこらえきれなかった・・・。」児童文学でありながら「反戦」というテーマが根底にある奥深い物語です。


 
 展示室には、大石先生と子どもたちの出会いの場面「出席をとります」、子どもたちと遊ぶ「汽車ごっこ」、みんなで歌を歌っている「歌声は浜辺に響いて」、ケガをした先生を見舞おうと8キロの道を歩いて行き、先生の家でうどんをごちそうになった場面の「おいしいうどん」、その時に撮った記念写真の様子「記念写真」がありました。どれも作品中には「戦争」というモチーフは見当たりません。先生と子どもたちとのほのぼのとした、楽しげで温かい場面の作品です。



 その中で私は「出席をとります」を選びました。この作品は、子どもたちの表情、視線、ポーズから、<今、この瞬間に誰の名前を呼ばれたのか?>ということがわかるような表現がされています。言葉で説明されなくても子どもの様子をよく観察すれば、根拠を示して見つけることができそうです。初めて対話型鑑賞に参加される年配の方にも、ナビゲーターの投げかけ次第で、クイズのように探求心をくすぐられるのでは、と感じました。黒板に書かれた「4月5日」「いちねんせい おめでとう」「おおいし ひさこ せんせい」から、入学式の日の教室での場面であること、出席簿には、名前のほか、子どもたちが教えてくれる「あだな」まで書かれていたり、机の中には教科書やお弁当まで入っていたりと、たくさんの発見ができそうです。そして何より、12体の人形は子どもたちの性格をありありと表現していて、他の作品のそれぞれの場面でも、どの子が誰なのか、ちゃんと共通して表現しているのです。鑑賞中、出席をとるために名前を呼ばれた子がわかった後は、そうした一人ひとりの子どもについて、見つけたことから解釈を引き出そうと考えました。

 ただ、始めから最後までナビゲーションで迷ったのは、小説や作家のテーマである「反戦」について、どう引き出そうか、情報をどう与えるべきだろうか、ということでした。「対話型鑑賞」では、見えていることから、それを根拠に対話を進めるというルールがあります。<京都造形芸術大学のACOP>や<みるみるの会>では鑑賞中にある程度情報を加えて、解釈を深めるという手法も取ります。今回の作品では「反戦」はとても大事なテーマです。けれども、目の前の作品そのものからはそれは感じられない…。迷った挙句、「二十四の瞳」の内容を知っている鑑賞者からそう言う話題が提供されれば、取り上げようと考えましたが、この場では出なかったので私も「戦争」については触れることはしませんでした。

 反省会では「反戦」については、鑑賞の最後に伝えることで、この純朴で温かい子どもたちの様子と戦争という悲劇とのギャップをより感じ、戦争と平和について考えることができるのでは、というアドバイスをいただきました。確かにそうです!私のナビはいつもオープンエンド過ぎて、ちょっと物足りなさが残る、というのがいつもの反省点なのですが、今回もそうなってしまいました。
 ナビゲーションの最後に「これは皆さんがお話してくださったように『二十四の瞳』の最初の場面です。12人の子どもたちはお互いによく知っている間柄で、和気あいあいと温かい教室の様子を表現していますが、実は、物語では、のちに戦争で亡くなった子がいたり、大変な苦労をしたり、戦争で失明をしたり、ということが描かれています。そのことを踏まえてこれらの作品をみると、また違った見方ができるのではないでしょうか。」と付け加えることができれば、その後の作品の見方も深まったはずです。加納名誉館長さんが「安部さんの作品は、ただ懐かしいというだけではなく、過去を踏まえて、今を考えてほしいという作家のメッセージが込められているのです。」と教えてくださいました。そうした深い解釈まで引き出せるような鑑賞会にし、鑑賞者の満足につなげていくには、もう一押しの「そこからどう思う?」につなげるスキルを身につけなくてはと感じました。



 さて、これを読んで、画像を見た皆さんは、出席をとる場面で名前を呼ばれたのはどの子だと思いましたか?鑑賞会では、最初、後ろの列で手を挙げている子、という意見が出ました。手を挙げて返事をしているところだと。ナビゲーターが「周りの子の様子もよく見てください」と促し、よくよく見ると・・・。その子は前の子を指差して何か話しています。周りの子の視線も、後ろから2番目の指差されている子に注がれています。指差されている子は、手を腿の上でスリスリ、もじもじ、かかとが上がってつま先立ち、貧乏ゆすりをしているのかもしれません。困ったような顔をして、バツが悪そうに肩をすぼめています。そんな様子から「この男の子は恥ずかしがり屋で、はっきり返答がしにくい内気な子」という意見が出ました。前に座っている女の子も指差されている子に何か話しかけているよう・・・。「早く返事をしたら」と心配しているのかも。そんな周りの子どもたちの様子から、「名前を呼ばれたけれど、恥ずかしくて返事ができず、もじもじしている場面」だということが鑑賞者に共有されました。ナビゲーターが「周りの子どもたちはどんな気持ちだと思いますか?返事ができない子をバカにしているような感じがしますか?」と投げかけると、「みんな、やさしく微笑んでいて、仲良しな感じがする」「返事ができない子の隣の男の子と、その前の赤い着物の子はまっすぐ先生を見て話を聞いている。顔もきりっとして笑ったりしていないので、しっかり者のまじめな子だ」などなど、一人ひとりの性格まで見取ることができました。



 一般的には「人形」には愛玩用、かわいらしい、というイメージもありますが、安部朱美さんのこれらの創作人形はそれぞれに深いテーマを内包しており、見る人に多くのことを語りかけてくる芸術作品だと感じました。一見、微笑ましく思えるこの表情の向こうには、奥深い感情が秘められているように思います。それは、戦争にまつわる複雑な感情ではないでしょうか?
 初めての人形での対話型鑑賞会でしたが、本当にたくさんの発見がありました。参加してくださった皆さま、たくさんの示唆を与えてくださった加納名誉館長様、本当にありがとうございました。

<アンケートより>
〇参加者
50代女性:1名  70代女性:1名  80代 女性:1名、男性:1名 計4名
〇参加について
・参加しようと思って来た 1名     ・会場で知って参加した  3名
〇参加してみて   楽しかった  4名   また参加したい  1名
〇感想
・今の世代に人形を通して心をくみとってほしい。
・夏休みも終わるが、子どもたちに参加させたいです。
・思い出して、「本当だったなあ」と勉強になった。

コメント
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