ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

安来市加納美術館で久々に対面での鑑賞会を開催しました。

2022-05-16 09:59:46 | 対話型鑑賞

GWもクライマックスの5月7日(土)に安来市加納美術館で久々に対面での対話型鑑賞会を開催しました。

午前の部と午後の部の2部構成で行いました。

今回は、午前の部担当の津室さんからのレポートです。

 

島根県安来市加納美術館 対話型鑑賞会 2022.5.7.Sat 11:00~

参加者:みるみるメンバー:春日さん,佐川さん,正田さん,嶽野さん

一般参加者:2名 安来市加納美術館館長:千葉さん 合計 7名

ファシリテーター:津室和彦

鑑賞作品:「かくれんぼと魚」 油彩  1934 安来市加納美術館蔵    

         「屏風 松濤」    墨彩画 1972 個人蔵

 

みるみるメンバーに加え,会場におられた一般の来場者の方(2名)にも声をかけて参加していただきました。

  久しぶりの美術館での鑑賞会だったので,オンラインではなくリアルだからこそ再認識した自分に足りなかったファシリテーションの心がけを中心に振り返りを先に述べ,その後1つめの鑑賞の概要を述べます。

 

1 ゲストファーストの姿勢の大切さ

①鑑賞に参加してよかったと思ってもらえるように

勇気を出して,初めてのこのような鑑賞の場に参加された方が,参加して良かった・楽しかったというお気持ちで帰られるように心がけたいと思います。  

そのため,最初の発言は挙手ではなく,敢えて初参加の方を指名して話してもらうことが有効だと学びました。実際は,私が挙手を求めたため,鑑賞会慣れしたみるみるの会のメンバーが先に発言し,その後一般参加の方の発言したいようなそぶりをみとって,ファシリテーターがふっていくという流れとなりました。

初めて参加される方は,自分の発言が起点となってその後の対話が積み重ねられていくと,自分の見方や考え方が認められ,一緒にみたメンバーのひとりとして他の人の鑑賞に貢献できたという達成感を得られるのではないかと考えるからです。参加して下さった時点で,他者と話し合いながら鑑賞することにある程度の構えをもって臨んでいると考えると,その姿勢を信じて「しっかりみられていましたが,何か気づきはありますか。」「第一印象は,いかがですか。」と積極的に発言を求めるような配慮があったらよかったと思いました。

②ゲストや鑑賞者の表情をみとる

  初参加の方,特に一般来館者の方に入ってもらうとき,鑑賞者の表情がよく見える位置にファシリテーターが立たなければいけませんでした。発言したい様子や考えている様子,人の発言に反応している様子など,さまざまな鑑賞者のありようをみとるためです。

  初見の1分間少々の間も,対話がつづいている間も,鑑賞者の表情に常に気を配り,機と気を捉えて発言を促すことが肝要だと強く感じました。この点は,リモートに慣れると,画面上の挙手に従って指名する癖がついてしまい,ライブでの感覚が鈍くなってしまっているのではないかと少し恐ろしくも感じました。このような今日的な留意点も,新たに生じてきたので,より慎重に鑑賞者をみる姿勢が大切だと思いました。もちろん,ゲストの方が,楽しそうに身振り手振りで語ってくださったときは,ファシリテーターとして,とても嬉しくやりがいを感じることができました。

 

2 場に応じて活かしてこその「情報」

①まずは作品そのものをみる

  美術館等普通の鑑賞の場では,題名やキャプションが掲示してあります。音声解説を聴いている来館者もいます。わざわざその展覧会に足を運ぶ来館者は,作家や展覧会について,あらかじめ何らか興味を持っている人が一般的です。そのような会場で鑑賞する場合のファシリテーターとしての構えについて考える良い機会となりました。

  私は,今まで,どちらかというとVTS的に作品そのものを素直な目でみて,話し合うことにウェイトを置いていたかもしれません。あくまでも,その場で一緒にみた人々で,その作品の意味や価値を語り合うのが重要だと考えていたのです。

情報が既に掲示されてはいますが,まずは「この作品」という極力先入観をもたれないよう配慮した入りで,鑑賞をスタートしました。 

②タイトルやキャプションなどの情報について鑑賞者が触れたら

  対話の過程でタイトルやキャプション,さらには既知の作家や作品の情報について触れる発言があったら,「なるほど,そう書いてありますね。」「そうなんですね。」と発言を認めることが第一だと思います。来館者にとって,展覧会等の掲示物は,いわば正解のようなものだったり,頼りになるオーソリティの言葉であったりするからです。(タイトルをつけた主体者や研究もその時点でのものであるなどの問題は置いておくとしても)また,高名な作品や作家の場合,「知っている」人も多いからです。現に掲示してあるものや知っていることを,無いことにして扱うのは,心情的にも不自然だと思うからです。

③情報を得て,改めてみんなで作品をみる

  従って,鑑賞の流れの中で鑑賞者がこのような情報に触れてきた場合,それを認めた上で,「今までみなさんで話し合ってきたことと,そのこと(情報)をあわせると,さらにどんなことが考えられますか。」「そこから,どう思いますか。」「このタイトルは,みなさんにとってしっくりきていますか。」などというふうに,その先に発展する可能性があると思えるようになりました。もしかしたら,新たな見方が始まるチャンスなのかもしれません。

  情報は,ファシリテーターが,ここぞというタイミングで意図的に示すことも考えられます。例えば,3で報告しています「かくれんぼと魚」では,鑑賞者の発言からは「かくれんぼ」というワードは出てきませんでした。「楽しそうではない。」という発言や「暗い感じ」などが続いたときに,「題名はかくれんぼですが,かくれんぼのような楽しい感じはしないのですね。」とゆさぶることもできたかもしれません。そうすることで,もう一度人物や周囲をしっかりみることにつながったのではないかと思うのです。そして,幼くて人見知りな子どもならではの不安が表れているとみてとったならば,その幼さ自体を愛おしく思う作者の心情も想像できたかもしれません。鑑賞者の中に「なんで?」と疑問や葛藤が起こっているような状態のときこそ,ファシリテーターの出る場だったのだなと思います。実は私自身,鑑賞会が始まる前にひとりで作品をみたとき,かくれんぼしているにしては少し不穏な作品だなと感じていたのです。そういう自身の感覚も皆さんの発言の流れとともに俯瞰的にみて,機を捉えられればよかったのにと反省するばかりです。

情報も含め社会的・知的な内容はもちろん,最終的には本来個人的な,感覚や感情まで同じ場にいる鑑賞者で共有できたらすばらしいと思います。そのために,ファシリテーターが対話の流れを慎重に読み,鑑賞者の表情をみとり,臨機応変に情報を活かすことが大切なのだと改めて実感できた機会でした。このあたりは,同日午後に行われた春日さんの実践で具現化されていたように思います。春日さんのファシリテーション記録をご覧ください。

 

3 「かくれんぼと魚」 鑑賞のおおまかな流れ

○魚や野菜がたくさんある

・一家族で使うには多いネギがあることから,慶事などの集まりごとのための食材ではないか

 ・漁村や農村では,豊漁やたくさん収穫したとき,お裾分けをする慣習もある そういう古き良き場面か

○女の子らしき人物がこちらを見ている

   ・あまり楽しそうな表情ではない 目尻や口角は下がっている

  ・壁かふすまかなにかの陰からおそるおそる覗いている

  ・来客が大勢いたり,宴の準備に大わらわだったりする大人達の様子を見て,人見知りの幼い女の子は,出て来られずにいるのではないか

○周りや奥が暗い⇔魚やネギにはスポットが当たったよう

   ・この時代の台所は家の北側の方にあり,明かり少ない 煙出しからのわずかな明かりか,もしくは照明器具があっても,せいぜい裸電球 

○足下は土間(煮炊きを行う「くど」)ではないか

   ・アンバーであることから,土間

   ・くどが,たたきのように土間になっているのは,作品の当時の家では普通のことではないか

  ○薄暗いくどのような場所で自然の恵みのような豊かな食材にスポットが当たっている一方,人見知りしているのか不安なのか,物陰からそっと覗くような女の子に対する作者の気持ちも感じられる作品ではないか

 

  リアルで,しかも一般の来館者の方も含めての鑑賞会は,とても楽しくかつ勉強になりました。マスク着用で少しの伝え合いにくさは感じるものの,あの場の肌で感じる空気感は,やっぱりいいものです。

貴重な場を提供していただきました安来市加納美術館,参加してくださったみなさんに感謝したいと思います。

 

コメント
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