ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

9月のオンラインみるみるのレポートをお届けします!会員外の参加も続々!

2021-11-03 16:25:29 | 対話型鑑賞


オンラインの強みを生かし、県外や会員以外の方の参加者も増えてきました。
今回は山口県の「みかんはなきの会」の渡邉さんがナビに挑戦です!

2021.9.24 20:00
オンライン鑑賞会
作品「せのひくいおれんじはまんなかあたり」元永定正 1984年 シルクスクリーン
ナビゲーター:渡邉貴之


1 はじめに
 私は、令和元年に、浜田市世界こども美術館で行われた本会例会でナビをして以来、2回目のナビであった。
 8月に山口市のYCAMで開催されたナビゲーターキャンプに参加して対話型鑑賞について学ぶことができ、ここでの学びを生かしたいという思いもあって、今回手を挙げた。

2 対話型鑑賞の様子
 以下に、鑑賞の様子を箇条書きにして記述する。
・ 自分のPC上のzoomの設定方法が分からず、画面共有で作品を提示したものの数分間は設定に関するやりとりの声が飛び交ってしまい、鑑賞者が静かに見るのを妨げてしまった。このあたりは、オンライン鑑賞会の難しさだと感じた。
・ ナビとしての最初の質問は「何が見えるでしょうか」であった。これについては、後の振り返りで、「この質問では、見えるもの『だけ』を答えさせることになる」と指摘を受けた。
・ 作品の中ではいくつかの「立っているもの」(仮にこう呼ぶ)が存在する。これらが人のようだとの声が上がった。画面中央には「立っているもの」2体が、まるで口を開けて火を噴いているようだとの声も上がった。
・ 画面をよくみると、「立っているもの」が描かれているように見えていたのが、逆にそれらは「図」ではなく「地」であり、ベージュ色に塗られた壁のようなものに穴が開いていて、「立っているもの」は壁の向こう側が見えているのではないか、という発言があった。地と図の逆転が起きたという訳だ。これについては後の振り返りで、ナビの自分は「なるほどー」とすぐに了解してしまったが、鑑賞者全体の理解ができたかどうかを今一度確かめてもよかったのではないか(さらに深掘りして聞いてみるなど)と反省している。
・ 右から2番目の「立っているもの」の頭部の中に、丸い穴のようなものがあるとの発言があった。これについては、会の前の自分自身の鑑賞不足で気付いていなかったため、発言に応じた対応ができず、焦ってしまった。
・ 画面下部に、青い帯状の形がある。「立っているもの」はそれらの上につながって立っている。これが実は海であり、海洋汚染についてのメッセージを発しているのではないかとの発言もあった。このことも自分にとっては想定外の見方で、そこを起点とした対話の広がりをつくることができなかった。
・ 一番右側の「立っているもの」は口を大きく開いているように見えて、先述の「地と図の逆転」をもとに考えると、開いた口が屋根の形に見え、複数の「立っているもの」は実は「家の中の家族」という意味合いがあるのではないか、という発言が出た。思いがけず、鑑賞者の前の発言が後の発言のきっかけをつくった形となった。ナビとしては、コネクトによって発言と発言の接続が成立するのが理想なのだろうが、この時は、鑑賞者同士の発言の積み重なりが、豊かな見方を生み出すこととなった。

3 振り返りの様子
 30分程度の鑑賞を終え、振り返りの中で出た指摘を反省も織り交ぜて記述する。
・ 中盤までポインティングをしていなかったとの指摘があった。これは、画面共有中の自分のカーソルが鑑賞者にも見えることが分からなかったためである。オンラインでナビを行う際には、このことも含めてzoomの操作や設定等を事前に確認しておく必要があると感じた。
・ 自分としては、パラフレーズとフレーミングはできるだけ丁寧に行おうという気持ちで臨んだ。これは、YCAMのナビゲーターキャンプでの学びを実践に生かそうという意図である。極力おうむ返しでない言い換え(パラフレーズ)で、また「今○○さんは描かれているものの見え方についてお話ししてくださいましたが…」というふうに鑑賞のフレーミング(枠組み)にも目を向けつつ進めることができたと感じた。
・ 「ナビ自身が、この会を行う前にどれだけ作品を鑑賞しましたか?」という参加者の声が、自分自身の未熟さを痛感した指摘であった。私自身が勤務している小学校の担任学級(2年生)において、一度この作品で鑑賞を行った。子どもたちの食いつきがよく、それなりに多様な感じ方も出たため、自分自身もこの作品をしっかりと鑑賞したつもりになっていた。しかし全く鑑賞が不足していた。それは、ナビの私自身が鑑賞中に「へえー、そんな見方があるんですねー」と驚く態度を見せたことから分かったようだ。ナビは作品についてあらゆる要素を見て感じて考えておく必要がある、ということだろう。
・ 上記の指摘に続き、同じ参加者から「ナビとしての基本を実践しようとするなら、このような抽象画ではなく、スタンダードな具象画などから始めるべきだ」との指摘も受けた。なるほど、その通りだと後から感じた。私はまだまだナビとしては初心者である。その初心者が基礎を忠実に行うという観点で、作品選びを行う必要があると感じた。

4 おわりに
 どこをとっても、ナビとしては反省点ばかりが残る会であったが、「自分は未熟である」ということが痛感させられたことは大きな収穫であった。
 これを機に、さらに対話型鑑賞について楽しみつつ深く学び、ナビとしても、またアートを愛する一鑑賞者としても成長できるよう、研鑽を積んでいきたいと思っている。


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