シニアカレッジのサークルで、先日京都に行ってきました。
京都に午前9時集合で、解散は午後の7時と聞き、ちょっと体力的に不安で、お昼頃から参加しました。
朝から参加された方々は城南宮に行かれてました。梅はもう終わっていたとか。
私は島原界隈巡りから参加しました。
島原と言えば京都の遊郭というイメージがありましたが、全然違っていました。
島原は花街で、老若男女が自由に出入りし、文人墨客が集う街だったようです。
幕末頃は幕府方はむろんのこと、薩長の志士たち、新撰組なども出入りしていたようです。
島原の大門です。まだ残っています。


島原開設の頃からあった揚屋(お客様に遊宴をしていただく所)の角屋さんです。

今は文化美術館になっています。
角屋の台所にあった竈です。

料理は自前で、太夫や芸妓は置屋さんから派遣してもらうのが島原のシステムだったそうです。
ちなみに太夫と花魁の違いですが、島原にいたのは太夫で、江戸の吉原にいたのが花魁です。
仕事の性格も異なり、太夫は芸妓部門の最高位で、舞や音曲だけでなく、お茶、お花、和歌、俳諧などの教養を持ち合わせていました。
花魁は娼妓部門の最高位で芸は披露しなかったようです。
要するに芸を売っていたか、色を売っていたかの違いですね。
現在、美術館になった角屋には、蕪村の紅白梅図など、島原に来た文化人の作品が置かれています。
建物も庭も文化財です。

松の向こうに見えるのは茶室です。
島原の性格を全く知らなかった私には、新たに知ることばかりでした。
島原散策の後、「八清」さんでランチをいただきました。

これにお造りと茶碗蒸しとデザートが付いていました。
お野菜は京の地野菜とのことです。
ランチの後、色々と廻ったのですが、それは省略。
その日のメーンイベント東山花灯路のことを紹介します。
要するに近頃はやりの街中ライトアップです。
私、個人的にはライトアップが好きではありません。
文化と呼ぶにはお手軽過ぎるし、よほど気をつけないと生態系にも悪影響を与えます。
単なる人集めって感じで、期待もせず行きました。
点灯は午後の6時です。
道のあちこちに大きくて華麗な生け花が飾られ、ライトアップされています。

知恩院に行きました。
学生時代から何度となくその前を通った知恩院の三門がライトアップされていました。

今まで前を通るだけで、入ったことがなかった知恩院に、今回は入りました。
隣の友禅苑のライトアップ。

知恩院ではお坊さんのお話があるということで、なぜかそれを聞くことになりました。
阿弥陀堂の中に入りましたが、そこもライトアップされていて、阿弥陀様やら瓔珞やらがピッカピッカ。
畏れ多くて写真は控えました。(撮っても構わなかったようです。)
お坊さんから仏教や知恩院の宗派である浄土宗についてのお話を座して聞きましたが、なぜか木魚が一人一人の目の前に・・・。
ひょっとして、と思った通り、お話が終わるとお坊さんの指揮の下、一斉に木魚を叩いてのお念仏が始まりました。
約5分、ポクポクポクポクと木魚を叩きながら「南無阿弥陀、南無阿弥陀、・・・」と唱え続けました。
終わって、皆が言うには「まさか木魚を叩くとは・・・」
私も同感でした。
すっかり遅くなって岡崎公園の方に歩いていくと、更なるサプライズが・・・。
人力車に乗った花嫁が目の前を通り抜けて行ったのです。
あわててカメラを取り出し写しましたが2枚だけ、それもピンボケ。


でも、よく見て、この花嫁さん、ちょっとおかしい。
そうなんです。狐の嫁入りだったのです。
花灯路のイベントの一つに狐の嫁入りがあると、私は調べていて知ってましたが、知らない人はすっかり本物の花嫁さんだと思ったみたいです。
「狐のお面を被っていたでしょ」と言われて、やっと納得してました。
一人の女性(60代半ば)が「お面被るんだったら、私だって花嫁さんになれる」と言ったところ、すかさず「あんたが花嫁さんやったら豚の嫁入りや」と突っ込まれていました。
大阪の人ばかりなので会話が漫才になるのです。
木魚を叩いていたこともあって、予定の解散時間よりずっと遅れて帰ることになりました。
ライトアップ自体は八坂神社や岡崎公園辺りが華やかです。
でも、木魚体験は、今後まず叩くことはないと思いますので貴重でした。
なんとも不思議な夜でした。
京都に午前9時集合で、解散は午後の7時と聞き、ちょっと体力的に不安で、お昼頃から参加しました。
朝から参加された方々は城南宮に行かれてました。梅はもう終わっていたとか。
私は島原界隈巡りから参加しました。
島原と言えば京都の遊郭というイメージがありましたが、全然違っていました。
島原は花街で、老若男女が自由に出入りし、文人墨客が集う街だったようです。
幕末頃は幕府方はむろんのこと、薩長の志士たち、新撰組なども出入りしていたようです。
島原の大門です。まだ残っています。


島原開設の頃からあった揚屋(お客様に遊宴をしていただく所)の角屋さんです。

今は文化美術館になっています。
角屋の台所にあった竈です。

料理は自前で、太夫や芸妓は置屋さんから派遣してもらうのが島原のシステムだったそうです。
ちなみに太夫と花魁の違いですが、島原にいたのは太夫で、江戸の吉原にいたのが花魁です。
仕事の性格も異なり、太夫は芸妓部門の最高位で、舞や音曲だけでなく、お茶、お花、和歌、俳諧などの教養を持ち合わせていました。
花魁は娼妓部門の最高位で芸は披露しなかったようです。
要するに芸を売っていたか、色を売っていたかの違いですね。
現在、美術館になった角屋には、蕪村の紅白梅図など、島原に来た文化人の作品が置かれています。
建物も庭も文化財です。

松の向こうに見えるのは茶室です。
島原の性格を全く知らなかった私には、新たに知ることばかりでした。
島原散策の後、「八清」さんでランチをいただきました。

これにお造りと茶碗蒸しとデザートが付いていました。
お野菜は京の地野菜とのことです。
ランチの後、色々と廻ったのですが、それは省略。
その日のメーンイベント東山花灯路のことを紹介します。
要するに近頃はやりの街中ライトアップです。
私、個人的にはライトアップが好きではありません。
文化と呼ぶにはお手軽過ぎるし、よほど気をつけないと生態系にも悪影響を与えます。
単なる人集めって感じで、期待もせず行きました。
点灯は午後の6時です。
道のあちこちに大きくて華麗な生け花が飾られ、ライトアップされています。

知恩院に行きました。
学生時代から何度となくその前を通った知恩院の三門がライトアップされていました。

今まで前を通るだけで、入ったことがなかった知恩院に、今回は入りました。
隣の友禅苑のライトアップ。

知恩院ではお坊さんのお話があるということで、なぜかそれを聞くことになりました。
阿弥陀堂の中に入りましたが、そこもライトアップされていて、阿弥陀様やら瓔珞やらがピッカピッカ。
畏れ多くて写真は控えました。(撮っても構わなかったようです。)
お坊さんから仏教や知恩院の宗派である浄土宗についてのお話を座して聞きましたが、なぜか木魚が一人一人の目の前に・・・。
ひょっとして、と思った通り、お話が終わるとお坊さんの指揮の下、一斉に木魚を叩いてのお念仏が始まりました。
約5分、ポクポクポクポクと木魚を叩きながら「南無阿弥陀、南無阿弥陀、・・・」と唱え続けました。
終わって、皆が言うには「まさか木魚を叩くとは・・・」
私も同感でした。
すっかり遅くなって岡崎公園の方に歩いていくと、更なるサプライズが・・・。
人力車に乗った花嫁が目の前を通り抜けて行ったのです。
あわててカメラを取り出し写しましたが2枚だけ、それもピンボケ。


でも、よく見て、この花嫁さん、ちょっとおかしい。
そうなんです。狐の嫁入りだったのです。
花灯路のイベントの一つに狐の嫁入りがあると、私は調べていて知ってましたが、知らない人はすっかり本物の花嫁さんだと思ったみたいです。
「狐のお面を被っていたでしょ」と言われて、やっと納得してました。
一人の女性(60代半ば)が「お面被るんだったら、私だって花嫁さんになれる」と言ったところ、すかさず「あんたが花嫁さんやったら豚の嫁入りや」と突っ込まれていました。
大阪の人ばかりなので会話が漫才になるのです。
木魚を叩いていたこともあって、予定の解散時間よりずっと遅れて帰ることになりました。
ライトアップ自体は八坂神社や岡崎公園辺りが華やかです。
でも、木魚体験は、今後まず叩くことはないと思いますので貴重でした。
なんとも不思議な夜でした。