緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

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淋しい話

2017年04月06日 | 話題
今、私が住んでいる家は築53年です。
両親が建てました。
お隣は、私の両親がこの家を建てる前から隣に家を建てて住んでいました。

私は途中で引っ越したりしましたが、私の両親はここでずっと住み、3年前に亡くなった母はお隣とは50年来のお隣さんでした。
その間、特に仲が良かったわけではありませんが、別にトラブルなどはありませんでした。
母が亡くなってからも、私はお隣とは顔を見れば挨拶し、柿がなれば柿を、橙がなれば橙を持っていった間柄です。

お隣にはお子さんが二人いましたが、ずいぶん前に結婚して出ていきました。
十数年前に奥さんが亡くなり、旦那さんが一人で住んでいました。
ガーデニングが趣味だったようで、庭の手入れをいつもなさっていました。
穏やかな、とても雰囲気の良い人でした。

去年の夏ごろ、そのお隣さんの姿を見かけなくなりました。
その後、子供さん(といっても50代)が何度か家に出入りしているのを見かけ、町会からはお隣には回覧板は回さなくてもよいという連絡がありました。
私は、お隣さんが入院したのか、施設に入られたのか、あるいは子供さんと同居していると思っていました。
それまでお隣さんは元気で、一人暮らしであっても介護サービスを受けている様子もなかったからです。

つい最近、私はお隣さんが去年の夏に亡くなっていたことを知りました。
お隣さんの死を長い間知らなかったことに、なんだかとても淋しい気持ちになりました。

町会報には会員の訃報が掲載されるのですが、遺族の希望だったのかお隣さんの訃報は掲載されていませんでした。
(町会には死亡による退会の連絡はあったようです。)
別の場所に住む遺族からは、50年来のお隣さんだった我が家にはなんのお知らせもなく、無人のままの家があるだけです。
自分の死を伝えないことを、亡くなった方が望んでいたのかどうか、それは分からないことです。

亡くなった母が、ご近所の一人暮らしのお年寄りが、ある日突然いなくなって、生きているのか死んでいるのかさへ分からないことの愚痴をしばしば話していたのを思い出しました。
今50代くらいの子供世代にとっては、隣人を含め親の普段の交友関係などは配慮の埒外で、亡くなっても通知をする必要がない、むしろ面倒だと思われているのかもしれません。

ただ、ずいぶん時が経ってからお隣さんの死を知ることになったお隣の私の立場からすると、ちょっと淋しすぎるのです。
今では、たいていの家が家族葬ですので、何がなんでも葬儀に出席して別れを告げたかったわけでもないのですが、何も知らないまま置いておかれた心の空白感は確かにあるのです。

最近は、自分より少し年配の方の訃報を聞くことがとても多いのです。
たとえ葬儀に出席しなくても、訃報を聞けば、長年の関わりを偲びながら、心の中でお別れすることができるのです。

私自身の親の死の時には、ご近所の方に、取り敢えずは知らせました。
家族葬でしたが、今回亡くなられたお隣さんは葬儀に来てくれました。

今、お隣さんの家の庭には、椿や花桃の花が咲き乱れています。

ご冥福を祈るばかりです。


                                    


我が家の庭の植物です。
毎年、桜が咲くころに咲くシュンラン。

上の写真は近づいて撮っていますが、普通に見ると花は葉に隠れて、しかも下を向いているので、とても地味な花なのです。
こんな感じです。


シャガです。

シャガも群落で咲いてるのを見ると見事ですが、我が家では日本水仙が邪魔して貧弱です。
今回、植えて数年経って花を咲かさなくなった水仙を抜きました。
来年のシャガに期待です。

2年前に水仙の球根セットを買って、最近咲いた水仙。

新しく生まれた園芸種で、花が面白いです。

しめは、庭をのし歩く、少しピンボケのワイルドなミーちゃんです。