緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

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こんな時に若狭へ旅行(2)

2020年07月13日 | 旅行
旅行二日目です。

そもそも、このツアーには目的がありました。
お城巡りで、スタンプを押すためです。
もっとも私は単なる観光目的でしたが、お城巡りを目的に参加した人が多かったみたい。

日本城郭協会という公益財団法人が日本100名城と続日本100名城というのを選定していて、本も出版されており、その本の後ろのページにスタンプが押せるようになっているのです。
スタンプを押すには現場に行かねばなりません。

日本100名城の方は、そこそこ観光地で、一人でも行きやすいのですが、続日本100名城の方は、あるのは城跡だけで場所も行きにくい場所にあることが多いようです。
それでもスタンプを押してくれる施設があるだけ、続日本100名城の方は旧跡として保存されている城跡のようです。

訪れたお城は三つ。
続日本100名城の国吉城と福井城、そして日本100名城の丸岡城です。
国吉城と福井城は、正確には城址です。

午前中、まず訪れたのは国吉城。
山城とは聞いていたのですが・・・・。
行くのがあんなに大変だとは思っていなかった。

ここは若狭国吉城歴史資料館のある辺りです。
歴史資料館です。
歴史資料館を見学し、スタンプを押す人は押します。

国吉城は戦国時代、若狭の守護大名武田氏の家臣の粟屋勝久が築いた山城です。
越前の朝倉氏の攻撃を再三に渡って受け、何年も籠城して持ち堪えたという難攻不落の山城です。
最終的に織田信長の援軍を得て朝倉氏を退け、城を守った粟屋勝久や地侍達は、以後、信長の家臣となって活躍しています。

資料館の見学の後、私達は山の頂上の本丸跡まで登りました。
登り始めは大したことはなかったのですが・・。


「難攻不落」というのが曲者で、九十九折りの急な階段やガレ場の山道をヒーコラ言いながら登る破目に・・・。
途中で眼下を写真で撮りました。
九十九折の道が見えます。


山があまりにも急峻なので九十九折の道にならざるを得ないのです。
私一人とか、友達だけだったら途中で帰るところですが、ツアーだとそうはいかず、本丸跡まで登りました。
ですが、やはり途中で一人、引き返すと言った人がいたようです。
結局、その人も添乗員さんの手を借りて、最後まで登り切りました。

本丸跡からの景色。城下が一望できます。

登山は「登りは体力、下りは技術」と言いますが、下りはまた一段と大変でした。
ここで私が転んだら、私より下にいる人達も巻き込んで転がっていくしかないと思えるような山道ですので。
私は昔、六甲山で、急峻な下り道、私の目の前の人が突然転んで、あおむけ状態で頭を下にしたまま、道なりに滑落して行ったのを見たことがあり、色々と想像してしまうのです。

次は続日本100名城の一つ、福井城でした。
午前中は幸運(?)にも雨は止んでいて、山に登れたのですが、午後からは雨になり、雨の中のお城巡りとなりました。

福井城は国吉城とうってかわって都会の真ん中にあります。
JR福井駅の近くです。
内堀と石垣の一部しか残っていませんが、本丸跡に福井県庁が建っており、スタンプも県庁の受付のような場所で押すのです。
県庁で勤める人は堀を渡って仕事に行くことになり、登城って感じですね。

堀の風景。

県庁。


復元されたらしい石垣。


これは元からの石垣らしい。
福井大地震でも崩れなかったとか。


福井という名前の由来の福の井です。
井戸ですが、めでたい由来のある井戸だったらしく福の井と呼ばれていて、城の名も福井城となったとか。
今では県の名前も福井です。




ちなみに柴田勝家とお市の方が自害した北ノ庄城の跡も近くに残っているらしいですが、行きませんでした。
正続含め100名城には含まれていないのでしょうね。

最後のお城は日本100名城の一つ、越前丸岡城です。
ジャンボタクシーの中から見えた天守閣。


雨の止み間に、天守閣へ。


仰ぎ見る天守閣、といっても小さいお城です。


丸岡城の天守閣は最も古い様式を残しているそうですが、福井地震の時に一度倒壊しているそうです。

国吉城の本丸跡まで登って、もう登りは嫌だったのですが、垂直に近い階段を天守まで登りました。

天守からの光景。


昔の丸岡城の模型。


というわけで三つのお城を制覇しました。
後は一路関西へ。

旅行中のコロナ対策ですが、それなりに気をつけてました。
福井城址、雨の中、他の観光客がいなくてもマスクはバッチリ。


久しぶりに体を使った楽しい旅でした。