私は阪急沿線に住んでいるのですが、今、阪急電車の中吊りが話題になっています。⇒ココやココ
50万円の給料と30万円の給料が比較され、50万もらっても生き甲斐がないより、30万でもやりがいがあれば良い、みたいな趣旨です。
働く人を応援するをコンセプトで他にも色々な言葉があるみたいなのですが、炎上してしまって中吊りは中止になったようです。
冷静になって考えなくても、今の世の中で30万円の給料をもらっている人がどれくらいいる? という話なのです。
中吊りの言葉を選んだのは阪急電鉄の人みたいですが、正社員の方なのでしょうね。
阪急電鉄で働く非正規雇用の方に、その中吊りの言葉をどう感じるか聞いてみたら良かったのにと思います。
阪急沿線は富裕層が多いって、単なるイメージに過ぎませんから。
もう一方で、またまた年金問題です。
ずいぶんと世間を賑わしている金融庁の報告。
あれは、そもそもは、リタイアして年金生活に入っても、月に掛かる費用が26万円。
でも年金は21万円しか貰えない。だから今の内に投資でお金増やしましょう、って金融機関の広告をそのまま持ってきての話でした。
10年も前から広告では盛んに言ってましたが、あれも、現役なんだけど26万円も収入がない人がたくさんいるんです。
広告の時はターゲットがある程度の資産がある人なわけで、それで問題にはならなかった。
金融庁の報告では、それがあたかもすべての人に当てはまる一般の話であるかのように扱われてしまったのです。
そこが問題だったと思います。
年金で生活できるかどうかは人それぞれで、大半の人は生活できない、というのが何を今更的な常識ですから。
この二つの出来事で思うのは、今のような「格差社会」では、いわゆる上の方にいる人達は、数では多い筈の下の方の人達が見えていないのではないかということ。
上の方になった人達が努力しなかったというのではありません。
それなりに苦労して上の方になった人達は「自分達」以外見えなくなるのではないかということです。
そのことで、昔、ある市民活動のグループで経験したことを思い出しました。
そこでの会合で、専業主婦から30代で大学に入り直し、40代で大学の先生になった女性が、たまたま女性の話し言葉について話が及んで「私達は一般の女性がどういう話し方をしているか、聞いたこともないし知らないですしね」と当然のように言いました。
20年以上も経ってまだその言葉を覚えているのは、“一般の女性がどういう話し方をしているか、聞いたこともないし知らない”なんてことがあり得るのかと、その時思ったからなんです。
その人は特別育ちが良いのかもしれませんが、別に皇室の人ではなかったので、普通に出歩き、電車にも乗っていた筈なのです。
そしたら嫌でも人の話し声が聞こえてくる筈なのです。
なのに“聞いたことがない”とはどういうことだろうかと不思議だったのです。
その人自身の話し方は確かに一般的ではなく、まるでNHKの女性アナウンサーのようにしゃべる人でした。
もう一つ、常々その人に違和感を感じていたことは、その人が語る主語がほとんどいつも「私達」だったこと。
確かに彼女が「私達」といってもおかしくない立場の人がその場にいたとしても、私のようにとうてい「私達」に含まれない人間もその場にいたのです。
なのにいつも主語が「私達」だったのはどういうことだったのだろうかと。
私は彼女にとっては見えない、存在しない人間だったのかもしれません。
ちなみに私が「私達」という主語で話をすることは滅多にないことです。
その人は極端な例だったのかもしれません。
でも自分とは異なる人達が身近にいても、その声が聞こえず、存在を認識することもできない人は確実にいるみたいです。
全然悪気がないのですが、いるのは「自分達」だけ。
阪急電車の中吊りを選んだ人や、金融庁の報告を作った人も、いつの間にかそんなふうになっていたのかもしれません。
庭の花です。
イシヅチホタルブクロが一つだけ咲きました。
コムラサキシキブの花も咲きました。秋になると紫の実をつけます。
白い百合も順次咲き始めました。
盛夏の頃に咲く花は考えてなかったですし、これから庭が寂しくなりそう。
50万円の給料と30万円の給料が比較され、50万もらっても生き甲斐がないより、30万でもやりがいがあれば良い、みたいな趣旨です。
働く人を応援するをコンセプトで他にも色々な言葉があるみたいなのですが、炎上してしまって中吊りは中止になったようです。
冷静になって考えなくても、今の世の中で30万円の給料をもらっている人がどれくらいいる? という話なのです。
中吊りの言葉を選んだのは阪急電鉄の人みたいですが、正社員の方なのでしょうね。
阪急電鉄で働く非正規雇用の方に、その中吊りの言葉をどう感じるか聞いてみたら良かったのにと思います。
阪急沿線は富裕層が多いって、単なるイメージに過ぎませんから。
もう一方で、またまた年金問題です。
ずいぶんと世間を賑わしている金融庁の報告。
あれは、そもそもは、リタイアして年金生活に入っても、月に掛かる費用が26万円。
でも年金は21万円しか貰えない。だから今の内に投資でお金増やしましょう、って金融機関の広告をそのまま持ってきての話でした。
10年も前から広告では盛んに言ってましたが、あれも、現役なんだけど26万円も収入がない人がたくさんいるんです。
広告の時はターゲットがある程度の資産がある人なわけで、それで問題にはならなかった。
金融庁の報告では、それがあたかもすべての人に当てはまる一般の話であるかのように扱われてしまったのです。
そこが問題だったと思います。
年金で生活できるかどうかは人それぞれで、大半の人は生活できない、というのが何を今更的な常識ですから。
この二つの出来事で思うのは、今のような「格差社会」では、いわゆる上の方にいる人達は、数では多い筈の下の方の人達が見えていないのではないかということ。
上の方になった人達が努力しなかったというのではありません。
それなりに苦労して上の方になった人達は「自分達」以外見えなくなるのではないかということです。
そのことで、昔、ある市民活動のグループで経験したことを思い出しました。
そこでの会合で、専業主婦から30代で大学に入り直し、40代で大学の先生になった女性が、たまたま女性の話し言葉について話が及んで「私達は一般の女性がどういう話し方をしているか、聞いたこともないし知らないですしね」と当然のように言いました。
20年以上も経ってまだその言葉を覚えているのは、“一般の女性がどういう話し方をしているか、聞いたこともないし知らない”なんてことがあり得るのかと、その時思ったからなんです。
その人は特別育ちが良いのかもしれませんが、別に皇室の人ではなかったので、普通に出歩き、電車にも乗っていた筈なのです。
そしたら嫌でも人の話し声が聞こえてくる筈なのです。
なのに“聞いたことがない”とはどういうことだろうかと不思議だったのです。
その人自身の話し方は確かに一般的ではなく、まるでNHKの女性アナウンサーのようにしゃべる人でした。
もう一つ、常々その人に違和感を感じていたことは、その人が語る主語がほとんどいつも「私達」だったこと。
確かに彼女が「私達」といってもおかしくない立場の人がその場にいたとしても、私のようにとうてい「私達」に含まれない人間もその場にいたのです。
なのにいつも主語が「私達」だったのはどういうことだったのだろうかと。
私は彼女にとっては見えない、存在しない人間だったのかもしれません。
ちなみに私が「私達」という主語で話をすることは滅多にないことです。
その人は極端な例だったのかもしれません。
でも自分とは異なる人達が身近にいても、その声が聞こえず、存在を認識することもできない人は確実にいるみたいです。
全然悪気がないのですが、いるのは「自分達」だけ。
阪急電車の中吊りを選んだ人や、金融庁の報告を作った人も、いつの間にかそんなふうになっていたのかもしれません。
庭の花です。
イシヅチホタルブクロが一つだけ咲きました。
コムラサキシキブの花も咲きました。秋になると紫の実をつけます。
白い百合も順次咲き始めました。
盛夏の頃に咲く花は考えてなかったですし、これから庭が寂しくなりそう。
差別とか排除ってそういうところから生まれるんですよね、きっと。
「自分達以外」がどう感じようがどう困っていようが、感じる感性がないっていうか。
多分、日本で一番悲劇なのは、そういう人しか政治や行政の世界にいないことであり、
そこから見えてない人たちが一言も声を上げないことだと思う。
香港ですら、思想的に問題があるとみなされたら中国に連行されるかもしれない法律を
大規模なデモでけが人を出しながらも阻止(一時的にでも)しました。
日本は、原発反対のデモが毎週金曜日に開かれていた時も
そしてあたしもいって叫んできたけど、
そこから何も広がらず、結局再稼働した原発もあります。
お庭、綺麗ですね。
会社員の40%近くを占める非正規社員と自営業者は国民年金で、満額もらってもとても食べていけません。
それをおいといて、「自分たちの老後は自分たちでなんとかしてね」はあまりに無責任ですが、ずっと昔からわかりきっていたことを今あらめて責任放棄宣言かよと思いますよね。
「年金100年安心プラン」では、"現役世代の手取り収入の50%を確保する。"とうたっていたと思いますが、その時点であと50%はどうするねんという議論はなかったでしたっけ?
とどのつまりは生活保護突入になり、日本は破綻にまっしぐらですね。
阪急の広告の件は笑ってしまいました。
「地球上で一番たくさんの“ありがとう”を集めるグループになろう」とぶちあげたのがブラック・ワタミでしたね。
みどりさんのうちの植物はみな生き生きしていますね。みどりさんはガーデニングの世界で、他の人にはできないご活躍ができるのではと思います。
世の中のことを知らない子どもならいざ知らず、
大の大人が見えてないはずはなく、見ようとしないだけですね。
「私達」だけで固まってると、見たくないものは見えずに居心地いいし、
何も考えずに済んで楽ですもん。
麻生さんは自分が年金もらってるのかどうか、
その額もよくわからなかった様子。
そんな感覚ずれまくりの人が政治やってるのは悲劇というか喜劇というか。
でも全然悪びれてない様子からすると、
「私達以外の人」のことが見えてなくても、
何の痛痒も感じずに生きていける人もいるのでしょう。
問題はkebanekoさんもおっしゃる通り、社会の指導的立場にある上の方の人達ではないかと。
受験戦争を勝ち抜いて、それなりに努力して獲得した立場だという意識が下の方の人達を見えなくしているのではないかと思えるのです。
ブロガーのはあちゅうさんが、阪急の中吊り広告に文句をつけた人達のことを、無視するに越したことはないという意味で「繊細チンピラ」と言っていますね。
はあちゅうさんは指導的立場にいませんが本音の意識としては共通してます。
でも「格差社会」は、将来的には大問題に発展していくのは火を見るよりも明らか。
声を上げるのは難しいですが、それでも、ブログでも何でも声をあげるしかないですね。
このままいけば、非正規労働者は生活保護まっしぐらなのはアホでも分かります。
そうなれば年金制度云々以前に日本は破綻。
それ、ほっといていいの? ってことです。
阪急の「“ありがとう”を集めるグループ」は、別にワタミの経営者の言葉を持ってきたわけではなかったみたいです。
でも企業経営者は同じようなことを考えるわけで・・・。
その企業がブラックでないことを祈りたいです。
阪急電鉄はそれを作ったわけですし。
ただ、悪気は全くなく、イメージだけで現実を見ていなかった。
猛省していただかないと。
庭の植物。他の人のブログを見ていても素晴らしい庭ばかり。
ガーデニングは無限の時間を必要とします。
私は全然です。
それで何かいわれても「妬み嫉みで物を言われても困る」と一蹴する。
阪急の広告に文句をつけた人を「繊細チンピラ」と呼んだブロガーのはあちゅうさんはそういうスタンスです。
きちんと現実を見ることは、今現在問題がない人にとってはそれほど難しいということなんでしょうか。
麻生さん、あんな人が大臣で、ひたすら恥ずかしいし、この国大丈夫かって本気で思いますよ!!
貸家を持っているか 株の配当でもあるか ??
高所得の立派な子供が 居るか ?
でなければ、 退職金を手元に残せる余裕が なければ・・・
野菜だけは 自給自足できるか (ショボイ)
政府の対応は、永遠のおぼっちゃま達のお粗末な答弁に終始するばかりです
阪急のプライドでしょうか
高級住宅地を控えているって
「私達」の方、そんな考えの人が 「いじめ」を誘発するような印象あります
kebaさんの言う 香港の人々 あれが実行された時の恐怖たるや
デモをする気持ち 理解出来ます
とても「自分達」以外の存在に思いを馳せることはできなさそうですね。
でも、そういう人達を選んだのは国民ですよ。
同レベルってことでは?
というか日本人って、「長い物には巻かれろ」をモットーに生きてませんか。
出るのは溜息ばかりです。
阪急電鉄の広告、選んだ人達は悪気はまったくなく、本当に働く人を応援する言葉として選んだみたい。
阪急沿線に住む人達のプライドも意識して、前向きな職業意識を応援したかったんでしょうね。
現実が恐ろしいほど見えていなかった・・・。
「私達」の人も悪気はまったく無く、頭が良くて政治的にも革新系で、外国の先進的な考え方なんかを真っ先に取り入れ紹介するタイプでした。
思い出すのは、アメリカでヒラリー夫人が一部の人にとても嫌われていたということですが、「革新」が嫌われる理由の一つが高い理念ばかり口にするけど、生身の人間は認識できていなかったということでしょうか。