緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

湯の峰温泉 ほっこり一人旅 ③

2015年06月14日 | 旅行
二日目は熊野本宮大社に行くつもりだったので、宿のご主人に本宮行のバスの時刻表を聞いたところ、「お姉ちゃんの車に乗せていってもろたらええ」という返事。

お姉ちゃんというのは、同宿のAさんのこと。もちろん知り合いではありません。ただのお客さん同士の関係です。

内心、『えーっ!』と思い「いいんですか」と何度か念押しして聞いたところ、Aさんは屈託のない様子で「いいっすよ」という返事。

というわけでAさんの車で熊野本宮まで行くことになりました。

宿を出る時、Aさんの提案で宿の玄関前で写真の撮りあいをしました。

宿のご主人と私です。


Aさんは大阪の方で、仕事で和歌山に来ていたのだそうです。
レンタカーを借りて仕事を終えられた後、観光で熊野を回っているとか。

Aさんとは、熊野本宮大社近くでお別れしました。彼女はこれから速玉大社と那智大社に行かれるとのことでした。

熊野本宮大社です。

お参り後、熊野本宮大社の瑞鳳殿で美味しいお茶とお菓子をいただきました。350円でほっこり、です。


次に向かったのが大斎原(おおゆのはら)です。
大斎原は元々熊野本宮大社の社殿があったところ。明治22年の大水害で社殿が流され、今の場所に社殿が移されたとのことです。

大斎原の鳥居で日本一の大きさだそうです。


大斎原には八つの社が石祠としてお祀りされています。
大斎原は現在の熊野本宮大社のある場所より聖地としての雰囲気が感じられます。

少し時間が余り気味になりましたが、その辺りをのんびりと歩き回り、お昼にはうどんと目張り寿司のセットを食べ、12時50分発の紀伊田辺行のバスに乗車しました。

紀伊田辺までバスで2時間あまりかかります。途中でトイレ休憩あり。
面白いのは、言えば途中の温泉旅館の前でバスが止まること。まったくの途中でも言えば降ろしてくれるらしい。途中には川湯温泉があり、バスの中から川の中の温泉が見えます。

紀伊田辺までの道は熊野古道の中辺路と重なるところがあるらしく、古道歩きらしい人達がバスに乗り込んできたりします。やはり欧米系の外人観光客が多いです。
今度、熊野に来る時は、温泉に泊りながら古道を歩いてもいいなあと思いました。

紀伊田辺に着いたのは15時。15時39分発のくろしお26号に乗り、17時32分に天王寺に着きました。

久しぶりの一人旅、やさしい人達との出会いにも恵まれ、楽しく豊かに旅することができました。


感謝、です。

 


最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
夏の旅 (しまそだち)
2015-06-14 10:10:45
素敵なところ巡られましたね
あちらの方、バスの便は、如何なんですか
島では、1時間に1本の地区も多いのです
融通の利くバスが、ありがたいですね

こんな大きな鳥居、どうやって建てたのでしょう
クレーンも無い時代に

2時間以上走るバス、トイレ休憩のある定期バスに
乗ったことが、あります
それも、面白い経験でした
返信する
しまそだち様 (みどり)
2015-06-14 22:30:17
バスの便は1時間に1本くらいですが、経路が分かりづらいです。色んなバス会社のバスが複雑に走ってます。
田辺市熊野ツーリズムビューローというサイトに熊野の全路線バスの時刻表があり、旅行前に長距離の移動はそれでチェックして行きました。

大斎原の鳥居は平成12年に建てられたものです。
大斎原は熊野川の中州に位置していて、水害に会いやすいのですね。それで明治に山の方へ本殿を移転したみたいです。
でも昔の人も水害に会いやすいのは分かっていた筈。あの場所に本殿があったのは何か意味があったのではと思いました。

私もトイレ休憩のある定期バスに乗ったのは2度目でした。面白い経験ですね。


返信する
Unknown (keba)
2015-06-15 14:09:17
優しい人たちとの出会いのある旅、個人旅行ならですね。
欧米系の観光客のほうが日本の歴史を大切にしてくれる感じがして、見ていて好感が持てます。
そういう方たちにも優しい人の出会いがあって、楽しい思い出を作ってくれるといいなと思います。

本殿をあえて水害に遭いやすい場所に作ったのは
やっぱりその場所の持つ気とか力を感じてのことなんでしょうね。
そういうのも含めて聖地という雰囲気が感じられたのかも、
行ってみたくなりました。
返信する
keba様 (みどり)
2015-06-15 21:39:21
欧米系の観光客が多かったのは予想外でした。
高野山には多いと聞いていましたが。彼らにとっては熊野も高野もアジアの神秘なのかも。

昔の人が中州に本殿を作ったということには考えさせられました。(神のお告げだったそうですが。)
古い大きな神社では遷宮が行われることが多いので、何十年かに一度の大水害は、自然による遷宮(社殿の建替え)として、最初から目論まれていたのかとか。
詳しく調べてみないと分からないことです。
返信する

コメントを投稿