緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

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やりました、宇野昌磨選手

2019年02月11日 | 話題
告白すると、私はスポーツにあまり興味がありません。
当然、個々の選手達にも興味がありません。

ただ一人の例外がフィギュアスケートの宇野昌磨選手。

彼の事は5年くらい前から知っていました。
たまたまYouTubeで彼のエキシビションの演技を見てビックリしたのです。
なんて表現力のある魅力的な子なんだろうと。

私が見たのはこれ。⇒ここ
ズキューンってハートを射抜かれました。
15歳にしては幼い風貌、でも矛盾するようですが色っぽさが半端ない。
いつまでも見ていたい演技です。
才能の片鱗どころか滅多にない逸材って感じ。

この演技見て、興奮して翌日、勤め先で昼休み、「宇野昌磨っていう凄いフィギュアスケートの選手がいる」ってしゃべりまくってしまいました。

あの頃、彼は背が低いとか、ジャンプが飛べないとか、色々言われていました。
でも今は青年らしくなり、4回転ジャンプもばんばん飛びます。
彼が段々有名になって、テレビのインタビューの最中に居眠りするような天然な性格とかも知られ、彼の魅力が評判になると『私だけの昌磨だったのに』(笑)と、ちょっと残念な気持ちにもなりました。

今回の四大陸選手権優勝で、彼はようやくシルバーコレクターから脱しました。
何はともあれ、おめでとうございます!

ですが今回の宇野選手のフリーの演技を見ていて思ったのは、確かに技術は凄いし、相変わらず音にピタリと合わせる滑りも凄いのですが、見ていて痛々しさを感じてしまったことです。
かつての彼にあった、滑るのが、演技するのが楽しくてたまらないという感じがなくなったのです。

それは足首の捻挫のせいかと思っていたのですが、そうではなく、試合後のインタビューで「楽しいという気持ちを持たない」決意を語っていました。⇒ここ
これが大人になるということなんでしょうか。
ちょっと寂しい気持ちになりました。

でも、おばさんの勝手な感傷を越えて、宇野選手には、これから先も活躍してほしいです。


新旧、着付けの事

2019年02月08日 | 着物
今回は着物の着付けについて。
興味のない人はスルーしてください。

私は若い頃に一度、着物の着付け教室に通っています。
年取ってからも一度、通いました。
母が亡くなって、もう一度着物を着ようとしても、帯の締め方を全然忘れていたからです。
写真で私の着物姿を見た人は、二度も習ってそのざまかと思われるかもしれませんが、そこは今回は置いといて・・・。

今回書きたいのは新旧の違いの私の感想です。
一部は私が尊敬する着物ブログの大御所、紫苑さんのブログにコメントを入れる形で書きました。⇒ここ
ここではもう少し詳しく私が経験したことや思ったことを書きます。

私がアラカンになって行った二度目の着付け教室は、幾つかコースがあり、私が受けたのはダイジェスト版のようなコースで、浴衣の半幅帯から始まって袋帯までいくような丁寧なものではありませんでした。
私が知りたかったのは帯結びの方法だったので、簡単なコースにしたのです。
私が受けた教室が始まる前が正規のクラスで、その人達の授業の様子は早く来た時にチラ見していました。

長い前置きを書いておくと、若い頃、着付けを習おうと思ったのは私なりの事情がありました。
私の着物デビューは成人式の振袖だったのですが、着付けは無謀にも母がしたのです。
それもぶっつけ本番で!!
グチャグチャでした。(´;ω;`)

それから二度と母に着付けをしてもらっていません。
母の性格は前にも書いたように、まな板に茸を生やすような人です。
一事が万事それでした。

実は私の母親、決して家が貧しいわけではなかったのですが、子供である私の服は極端な程、買わない人でした。
真冬でもコートなしでいて、街中で見ず知らずのお婆さんに驚愕されて「あなた寒くないのですか」と言われたこともあったくらい。
母は自分の服も買っていなかったので、まして子供であった私の服は買わなかったのです。
私は学生時代から、普段着る服はバイトして買ってました。

ところが着物だけは例外で、振袖を皮切りに、家に出入りしていた呉服屋さんが置いていったカタログを私に渡して、「買ってやるから好きな柄を選び」と。
その時買った最初の着物。
(金彩の入った手描きの小紋で、かなりの高級品。当時は反物で買うのが当たり前で、買った呉服屋で仕立ててもらった。)

それだけではなく、母の従妹だか、はとこだかが京都で染物屋をしていて、そこで私の着物の反物を買ったりもして、小紋の着物ばかり4枚ほど所有することになりました。
小紋ばかり誂えるくらいなら、そのお金で普段着られる服を買ってほしかったのですが、母はその必要を認めないので無理。
それにしても小紋ばかりというのも変なのですが、それも母の価値観です。

私もせっかくあるのならば着てみたいわけで、それで着付けを習いに行ったのです。
習いに行ったのは当時の勤め先の近くにあった商店街の中の呉服屋さん。
今から40年あまり前の話です。
場所は呉服屋さんでしたが、着付け教室が場所だけ借りていたみたいで、その店で着物を買うように言われたことも、店で商品の着物を見たことも一度もありません。
教室は店の二階の6畳二間続きの広間で10人くらいの生徒さんがいたように思います。

習うとなると自前で着物や帯の類を持って行かなくてはならないのですが、練習用だからと母が貸してくれたのは着古した紬の着物。
その着物が問題ありで、やたら身幅が広い。
しかし母は「着物にサイズなんてない」?!と、訳の分からないことを言い、それを持って行くことに・・・。
でも結局それが良かったのかもしれません。
身幅が広い着物でも上手に着る方法を教えてもらうことになりましたので。

着付け教室で当時も今も変わらないのは、まず最初に自分にあった補正下着を自分で縫って作ることだと思います。
少なくとも私が通った二つの教室はそうでした。

教室にもよるのかもしれませんが、当時と今の大きな違いは、昔は着物用のブラがなかったのか、ブラは補正下着として組み込まれていたことかもしれません。
どういうことかと言うと、補正下着に長い晒が付いていて、それを胸に巻き付けてブラ代わりにする方法だったのです。
捨てずに置いてありましたので写真をup (いい加減に捨てろよって感じですが・・・。^^;)

ただ教室で、本当にブラを外して補正下着の晒を胸に巻いたことは一度もありません。
というのも、呉服屋のお爺さんがいつも部屋にいて、私達を見ていたからです(~_~;)

この補正下着、デコルテ部分に綿を入れることができます。
今でも胸に薄いタオルをv字に入れるよう推奨されたりしますね。あれより上手く体形に合った補正ができます。
この補正下着の脇は縫ってなくて細い綾テープのような紐で前後を結びます。
だから余程太っていない限り誰でも着られますし、体形が変わってもOKです。

写真の補正下着の背中部分は縫い詰めていて私の胴に合うよう細くしてありますが、このようにしたのは私だけです。
当時の私は極端に胴の細い人で、そうしないと補正下着を着られなかったのです。
先生によれば、大阪で同じようなタイプの人が前に一人だけいたとか。
今なら縫い詰めなくても着られると思います。

胴体をずん胴にするための、腰とお尻の補正パッドをタオルで作る方法は今とほとんど変わらないと思います。
昔の作り方の方が、アラカンでの着付け教室で作った方法より、よほどしっかりしていましたが。

20代で着付けを習って、楽勝でマスターしたのですが、思いがけないことにアラカンでは戸惑いました。
問題は帯で、上手く締められなかったのです。
というか『こんなに難しかった?』と思う程、上手く出来なくなっていました。
やり方が色々と違っていたのでした。

でも以前の方法が思い出せない。
数年かかって違いが分かってきました。
思い出した限りでも、三つ、大きな違いがありました。

一番大きなやり方の違いは、帯を締める時に最初に手先をどうするかです。
昔のやり方は手先を内側に折り、胴に入れて帯を巻き付けていき、巻き終わったら手先を引き出します。
新しいやり方は手先を後ろから肩にかけて帯を巻き付けていきます。

私に言わせると、手先を肩先に掛ける方法は手先が邪魔になりますし、巻く帯が不安定になってしっかり巻けないのです。
違いが分からなかった時、この点で私は凄く戸惑いました。昔はこんな難しいことしていなかったと。
ネットの動画で調べてみると、アラカンの時の先生のやり方ばかり。

もう一つの違いは、今は帯揚げを最初から帯枕に付けていることです。
これも私に言わせると、お太鼓を作るのに帯枕の紐を結ぶ時、帯揚げがモサモサして、やたら邪魔になります。
お太鼓がゆるゆるぐらぐらしないように、帯枕のひもはしっかりと結ばないといけないのに、です。

昔の方法は、帯枕の紐を前でしっかり結び終えてから帯揚げを帯枕の上に掛けました。
掛ける時、最初に帯枕の上部に帯揚げを食い込ませるようにするのがコツで、その後、帯枕を包み込むように両手で帯揚げの左右を持ち、キュッキュッっとしごいて帯枕に合わせるのです。
キュッキュッとしごく作業が、いかにも着物を着ているという感じで気持ちのいいものなのです。

三つ目の違いは、紫苑さんのブログにもコメントした、着物の下前の三角折り上げです。
三角折り上げも昔はなかったのです。
紫苑さんがその意味について詳しく分析しておられます。
三角折り上げについては、しても、しなくても、どっちでも良いと私も思います。
ただ、三角折り上げをすることで、着物を着るハードルは確実に高くなったように思います。

私の場合、さすがに40年経つと、体が覚えていなかったのですが、結局、数年かかって昔のやり方に戻ったように思います。
どういう方法で着るかは、これが正しいというものはなく、最初に習った通りに着るのがその人にとって自然なのだろうと思います。
ただ着付けは、今はフォーマル中心になっていて、それが着物のハードルを高くしているという印象です。

私が若かった頃よりさらに前、戦前の着付けがどうであったか、写真を載せてみます。
父が昭和16年頃撮ったであろうスナップ写真です。
父は外国航路の船員で、この写真の場所は船上です。
船に遊びに来た若い女性達ですが、屈託なくおしゃれを楽しんでいる様子。
二人とも裸足に下駄、にもかかわらず羽織・コートを着ていて、季節はいつ?
二人は、今生きていれば100歳くらいでしょう。

こちらは父の妹、私の叔母の晴れ着写真。昭和19年頃です。

今視点で見れば、おはしょりはきちんと出ておらず、おはしょりの下線もガタガタ。
たぶん帯板なしで帯を締めていて、帯締めの処理もいい加減。
帯揚げも「何だかなぁ」と言いたいところ。
でも当時は、晴れ着でもこれで普通だったのでしょう、若い叔母は十分にきれいです。
こういう着方が当たり前だったから、私の母は私にグダグダに振袖を着付けたのかもしれません(母と叔母は同年代)。
でも、私の若い頃でさえ時代は変わっていたんです

着付け教室はきちんとした着方を習う場所です。
私もきちんと着たいから習いに行きました。
ただ教室を出てしまえば、フォーマル以外は、やたら教科書的に着る必要はないと思います。
洋服と同じように楽しめば良いと思うのです。

ちなみにアラカンで習った教室、若い女性一名と一緒に習ったのですが、彼女、習っても一人では着られないように思います。
着物の畳み方一つとっても、先生は丸暗記方式で教えるのですが「着物はすべて左かしらで畳みます」といった基本的なルールは言わないのです。
私は余計な事は言いませんでしたが、色々と思うことはあったのでした。