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追憶の線路を求めて ~再び走る日は来るか 小坂製錬小坂線編~

2008-05-17 | 鉄道
写真:小坂駅から伸びる線路はまだ生きている 休止線に復活の日は来るのだろうか

平成20年のゴールデンウィーク休暇、長崎県の島原鉄道南線の廃線跡を探訪した後、寝台特急「はやぶさ」に乗って東京へやって来た僕は、相次ぐ列車の延着トラブルに見舞われるもののどうにかパートナーのUSACOと合流、都内某所に潜伏した。
そして数日間の休息後、更なる強行軍に備えて支度を整えた僕とUSACOはクルマで高速道路を北上、南部縦貫鉄道のレールバスに会うべく青森県を目指した。

せっかく青森まで行くのだからと、レールバスに会えるイベント当日までの間に十和田湖や奥入瀬渓流、それに世界遺産の白神山地の入り口と、あちこちを見て走り回ったのだが、これは十和田湖から白神山地を目指して走った行程の途中で出会ったちいさな想い出話。



宿泊した十和田湖畔のホテルを出るとき、カーナビに「白神山地世界遺産センター」の住所を打ち込み、そのまま指示に従って走っていたら、道路標識に聞き覚えのある地名が現れた。

秋田県小坂町。

いや、実のところ十和田湖畔のホテルの住所も小坂町内だったのだが、今走ってるここは小坂の中心部らしい。
小坂町は明治時代から銅や亜鉛や鉛の生産を行った小坂鉱山によって近代的なインフラ整備が進められたという歴史を持つところで、壮麗なルネッサンス風建築様式の小坂鉱山事務所や国指定重要文化財である日本最古の現役木造芝居小屋「康楽館」などの近代化遺産建築群が今も残る(余談だが、天燈茶房亭主の住む熊本県の北部、山鹿市にも江戸時代の伝統的な様式で建てられた国指定重要文化財の芝居小屋「八千代座」がある。ちょっと調べてみたら、どちらも同じ明治43(1910)年に建てられている。奇しくも同年はハレー彗星が前々回に地球接近して肉眼でも観測された年でもある。…閑話休題)。

そして、そんな小坂の鉱山から産出される鉱石製品を運び出す為に建設されたのが、小坂と、奥羽本線との接続駅である大館との間を結ぶ鉄道、小坂製錬小坂線である。

小坂鉱山からの鉱石輸送はその後トラックに移管されてしまったが、鉱石製錬時の副産物である「濃硫酸」を安全に輸送する為に、小坂鉄道ではタンク車による貨物列車の運転が続けられた。
しかし、精錬所が濃硫酸を産出しない新設備を導入したことから唯一の積荷も無くなってしまい、今年3月12日を持って小坂鉄道は列車運行を終了。同17日付けで小坂製錬は国土交通省東北運輸局に今後1年間の鉄道事業休止の申請を提出した。

つまり、現時点では小坂鉄道はまだ廃止されてはいない。小坂から大館までの22.3キロの線路は、1年間の眠りについただけだ。
とはいえ、それは二度とこのまま覚めることのない、1年後の休止期間終了と同時の廃止を前提とした休止であると思われた…


平成20年5月1日

カーナビに指示されるままに小坂の町なかを走っていた僕は、一時停止の標識の左手に見えた建物に思わずブレーキを踏んでクルマを路肩に停車した。
「小坂駅だ…今でも駅舎が残っていたんだ!」
思わず僕は助手席のUSACOに叫んだ。「ここが小坂鉄道の小坂駅だよ!何年ぶりだろう、ここに来るのは?」

実は僕は、小坂鉄道に乗ったことがある。

小坂鉄道は平成6年の秋までは旅客列車の運行も行っていた。
当時、大学生だった僕は学校が長期休暇に入るたびに青春18きっぷで北を目指す旅に出ていた。そんなある年の夏休み、北海道で思う存分「乗り鉄」した帰り道に、僕は大館駅で途中下車して、利用者減少に伴う赤字よる廃止を目前にした小坂鉄道の旅客列車のディーゼルカーに乗って小坂まで1往復した。
ということは、今から14年前か、小坂鉄道に乗ってここに来たのは。

8月の終わり頃、残暑厳しい日。
降り立ったJR大館駅の駅舎を出て炎天下を歩き、貨物ターミナルの一角にあった小坂鉄道の駅から窓の大きな独特なスタイルの小坂鉄道のディーゼルカーに乗車。
車内は名残り乗車する人で満席。
終着駅の小坂では駅の写真を撮っただけで、すぐに折り返すディーゼルカーに乗ってとんぼ返り。
大館までの帰り道、開け放たれた窓から蛾が飛び込んできて、暫く座席の背もたれにとまってバタバタ羽ばたいていた…
窓の外は、うんざりするほどの午後の陽光と深い木立…
それだけしか憶えていない。

そんな断片的な印象しか憶えていないのに、不思議と僕は小坂駅の旧駅舎を見ただけで「以前ここに来たことがある」と直感できた。
でも、その時ここで何を見て何を感じたか、何を思ったかといったことは全く思い出せなかった。



駅舎の中を覗き込んでみる。
旅客営業が廃止された当時そのままの姿をとどめているようだ。
今から14年前の夏、僕はあの窓口で大館駅までの帰りのきっぷを買った筈だ。


駅舎の脇から、駅構内を覗いてみる。
側線が何本も引かれ、入れ換え用の動力車らしきものがポツンと停まっているのが見えるが、人の気配はない。
構内の奥に見える白いタンクは、貨物列車の積荷の濃硫酸タンクか。


線路を挟んで駅舎の向かい側に車庫があり、中に赤いディーゼル機関車が入っているのが見える。
車庫の前には、屹立する腕木信号機。
小坂鉄道は最後までクラシカルな腕木信号が現役だったことでも有名だったのだ。


駅構内の奥の方に、タンク車が留置されているのが見える。
濃硫酸輸送貨物列車の運行終了後、タンク車はすべて廃車回送されたと聞いていたが、小坂駅に残るあのタンク車は今後どうなるのだろう?


小坂駅を出たところにある踏み切りは、遮断棹を抜かれた上に踏み切り装置そのものを簀巻きにされている。
駅構内へと向かう線路には柵と立入禁止の札が…


廃止された島原鉄道南線の踏み切り跡が、殆どそのままの姿で残っているのに対して、小坂鉄道の踏み切りはまだ休止扱いなのに徹底的に道路からその痕跡を消し去ろうとしているかのような印象さえ受ける。


「この線路を走る列車に乗って、ここに来たことがあるんだ。でも、よく思い出せないんだ…
確かにあったことなのに、それを忘れてしまうというのは悲しいね。
それに、今となってはもう新しい思い出をつくることも出来ないんだ。すべてはもう手遅れなんだよ…」

周辺の散策から戻ってきたUSACOに「そろそろ行こう」と促され、僕はクルマに乗り込み小坂駅を後にした。


白神山地を目指すカーナビは、このまま小坂鉄道に沿って大館まで行けと指示している。
かくして図らずも、小坂鉄道の休止線を辿るドライブとなってしまった。
大館までの道路に寄り添うように、小坂鉄道が見える。「ああ、あの年の夏休みに僕は、ここを通って小坂まで走っていったんだなぁ」と思う。

「mitsutoはいつでも、過去ばかり見ているのね」
不意にUSACOから話し掛けられた。
「ブルートレインの『はやぶさ』もそうだけど、なくなるのを悲しがって追いかけてばかりじゃない。
いつもそうよ。
なくなってしまう過去じゃなくて、もっと今と、これからを考えても良さそうなものじゃない…」
「それはそうだけど…」不意をつかれて慌てる僕に、USACOは言った。

「なんだか、なくなるものを有難がってるみたい。それに、それを悦んでるみたい。」

僕は、二の句が継げなかった。

「それを言われると…何も云えん。」
でも、僕は分かっているのだよUSACO、君の言いたいことは。
たまにしか会えないのに、会ってもいつも趣味に夢中になってばかりいたからね。
「ごめん。それから、旅に着いてきてくれてありがとう」
僕は、助手席でふくれっ面をしているパートナーに、心の中で呟いた。
「本当は小坂鉄道に一緒に乗りたかったんだ。今となっては、それも叶わないことなんだけど。
小坂鉄道の夏休みの思い出を共有することはできないから、だから余計に悲しかったんだ…」

クルマは大館市内に入った。ここまでずっと並走してきた小坂鉄道は住宅地に紛れて見えなくなった。
「さようなら、小坂鉄道。二度と目覚めぬ、消え往く線路。
さようなら、あの日の夏休みの想い出…」

さあ、世界遺産の白神山地に行こう!USACOは以前、行ったことがあるんだろう?いろいろ案内してくれないかな?


小坂駅の駅舎内に残されていた「鉄道の日」イベントのヘッドマーク

後日談:
東北の旅を終えて帰宅した僕は、小坂鉄道のその後についてネットで調べてみたのだが、思わぬことが分かった。
秋田の地元紙秋田魁新報社の5月1日付けの「地方点描」によると、なんと、地元に小坂鉄道復活の動きがあるのだ。

「鉄道は小坂鉱山を支えた産業遺産。簡単になくしてしまっていいものか。」と、小坂町産業課の方が立ち上がったのだ。
小坂町は既に鉄道専門のコンサルティング会社などとともに、旅客運行の可能性などを探る調査に動きだしたという(さきがけon The Web 地方点描より)。
小坂鉄道が休止期間を延長するか或いはこのまま廃止するかの結論を出す今年9月頃までに、残された期間はあと4ヶ月ほど。
時間もなく、具体的な計画もまだなにも見えない状態で、ある意味無謀としか思えない話だが、小坂町産業課の担当者は悪あがき承知の情熱を持って小坂鉄道復活の計画に取り組んでいるという。

正直、小坂鉄道の復活はかなり難しいと思う。
何しろ、14年も前に一度、赤字に耐えられず旅客営業を廃止している鉄道なのだ。
ただ鉄道を復活させただけでは、その後の経営が成り立つとは考えられない。これまで鉄道なしでやってきた地元住人が、いきなり鉄道回帰することは有り得まい。
観光と絡めて考えても、小坂鉄道は一大観光拠点である十和田湖までは到達していない。

それでも、無理だと決め付けてしまいたくはない。
無謀としか思えないことでも、地元には小坂鉄道をこのまま失いたくはないと考え、情熱を持って復活に取り組む人がいる。
そのことが、僕は嬉しい。
旅客営業廃止直前に一度訪れただけの、秋田県とは縁も所縁もない九州在住の一鉄道好きに、そんな偉そうなことを言える資格はないが、それでも僕は小坂町の鉄道復活に向けた情熱を嬉しく、有難く思う。
この取り組みが秋までにどんな方向を見出すのか、九州の地から見守っていきたいと思う。

「もしも…もしも、小坂鉄道の列車にまた乗れる日が来たら、君を連れて一番列車に乗りに行きたいよUSACO。
有難迷惑かも知れないけど、その時は付き合ってくれないかな?このどうしようもない『鉄道オタク』にさ!」

追憶の線路を求めて ~レールバスとあそぼう! 想い出の南部縦貫鉄道編~ に続く


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はやぶさ2・はやぶさマーク2 ‐はやぶさまとめ‐
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追憶の線路を求めて ~去り往くブルートレイン 寝台特急「はやぶさ」編、その2~

2008-05-17 | 鉄道
写真:九州内で寝台特急「はやぶさ」を牽引する機関車ED76、連結器とヘッドマーク

追憶の線路を求めて ~去り往くブルートレイン 寝台特急「はやぶさ」編、その1~ からの続き

平成20年4月27日

窓から差し込む淡い朝の光に目を覚まし、時計を見ると午前5時を回っていた。「名古屋辺りかな…」と車窓を見やると、何だか様子が違う…「あれ?今JR西日本の新快速電車がいたような。ここは…米原!?」
その後、午前6時過ぎの「おはよう車内放送」で、昨夜岡山県内を走行中に先行の貨物列車が鹿をはねて緊急停車、その影響で現在1時間以上遅れて運行している旨の説明があった。
「あらら。。。まあ遅れてもその分長く乗っていられるから全然問題ないけど(USACOには待ってて貰おう)。でも鹿が可哀想だね。」
岐阜を過ぎた辺りで、朝陽が昇ってきた。


朝焼けの浜名湖を渡る。


越すに越されぬ大井川を駆け抜ける。


由比の海岸線で太平洋を見る。
朝の風光明媚な東海道を、浴衣姿でベッドに寝転んだまま、或いは通路に立って背筋を伸ばしてのんびりと景色を眺めながら過ごすことが出来るのもブルートレインの醍醐味。それに今日は1時間遅れているから、尚更ゆっくり出来るね。
新幹線や飛行機じゃ絶対こうはいかない!
寝台車での朝寝坊がしたくて「はやぶさ」に乗っている御仁は、僕以外にも必ず居られる筈。
「これで空が春霞じゃなくて、富士山が見えたら最高だったんだけどね。」


顔を洗いに行ったついでに、浴衣にスリッパ姿のままで列車内を遠征して最後尾の「通路ドアの展望デッキ」へ行ってみる。
長旅の一夜が明けたB寝台車内は適度にだらけた雰囲気だが、大きな通路窓から燦燦と降り注ぐ午前の陽射しが実に気持ち良い。


昨夜の門司駅で「はやぶさ」編成の後部に「富士」編成6輌が増結されたので、列車の最後尾までの距離が120メートルも遠くなっていて、揺れて足元が覚束ないので難儀しながら最後尾1号車に辿り着いたのと同時に「はやぶさ・富士」号は熱海駅を発車した。ここからはもう東京直通の近郊列車が行き交う区間で、終着駅東京も間近くなってきた。
列車は白糸川の鉄橋を渡り「初日の出の見える駅」として名高い根府川駅を通過し、海岸線に沿ってカーブの続く東海道本線をラストスパートする。


伊豆急下田行きのリゾート特急「スーパービュー踊り子」と擦れ違う。
「はやぶさ・富士」は九州から東京まで千数百キロを走破する超長距離列車なので、道中出会う列車も多種多様となるが、一晩の旅で幾つの列車と擦れ違うのだろう?
昨日はスタイリッシュなJR九州の特急列車を車窓に見て、今朝は首都圏と伊豆のリゾート地を結ぶ列車と擦れ違う。「日本列島を駆け抜けている」ということを実感させてくれる旅が出来るのもブルートレインだけ。そして、そんな楽しい旅が出来るのも今だけ。

車窓に住宅が増えてきた。
通勤電車が頻繁に行き交うようになり、終着駅東京が近いことを実感させてくれる。
僕もそろそろ浴衣を着替えて、列車を降りる準備をしよう。
「ああ、もう到着か…19時間の旅も好き勝手に過ごしていたらあっという間だったな。…まだ降りたくないなぁ。寝台車の中の別世界に、もっと浸っていたいよ。下界にはまだ戻りたくないなぁ…」

しかし列車はそんな思いを余所に走り続け、定刻から1時間少々の遅れのまま午前11時過ぎに東京駅の10番のりばプラットホームに滑り込んだ。


熊本から東京まで、1315キロを駆け抜ける夢の一夜は終わった。
まさに夢から覚める気分で、東京駅のホームに降り立つ。
僕を乗せてここまで走ってきた寝台車にありがとう。夜を徹しての旅、ご苦労様。
また一緒に旅をしようね。


東京駅10番のりばに掲げられた行き先案内には、現在東京駅から発車する2つの寝台特急…「はやぶさ・富士」と「サンライズ出雲・瀬戸」の終着駅である熊本、大分、出雲市、高松に加えて、先月廃止された寝台急行「銀河」の終着駅大阪の表示がそのまま残されていた。
来年の今頃、この案内表示の駅名は出雲市と高松だけになっているのか…


「はやぶさ・富士」編成は、一旦神田秋葉原方面へと引き上げて機関車付け替え(機回し)を行い、東京駅に再入線してから7時間後の折り返し九州に向けての出発に備えて品川の基地へと戻る。
それを見届けて、さあ僕もUSACOのところへと向かおう。
「寝台列車で来たから一晩待たせたのにその上1時間も遅れたから、きっと待ちくたびれて怒ってるだろうな…途中エキナカでお菓子と花でも買っていくか」
乗り換えのプラットホームへと歩き始めた僕はその時、伊東線での踏み切り事故で東海道線の列車が運転を打ち切り、列車が足止めを食らってダイヤが混乱しているという案内放送に気が付いた。
「あらら~。
…さっき擦れ違ったスーパービュー踊り子号は今頃立ち往生してるんじゃないかな、お気の毒様。
っていうか、僕も東京駅から動けないじゃないか!」

ゴメンUSACO…もう暫く待ってて…

追憶の線路を求めて ~去り往くブルートレイン 寝台特急「はやぶさ」編、その2~ 終

追憶の線路を求めて ~再び走る日は来るか 小坂製錬小坂線編~ に続く


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