写真:小坂駅から伸びる線路はまだ生きている 休止線に復活の日は来るのだろうか
平成20年のゴールデンウィーク休暇、長崎県の島原鉄道南線の廃線跡を探訪した後、寝台特急「はやぶさ」に乗って東京へやって来た僕は、相次ぐ列車の延着トラブルに見舞われるもののどうにかパートナーのUSACOと合流、都内某所に潜伏した。
そして数日間の休息後、更なる強行軍に備えて支度を整えた僕とUSACOはクルマで高速道路を北上、南部縦貫鉄道のレールバスに会うべく青森県を目指した。
せっかく青森まで行くのだからと、レールバスに会えるイベント当日までの間に十和田湖や奥入瀬渓流、それに世界遺産の白神山地の入り口と、あちこちを見て走り回ったのだが、これは十和田湖から白神山地を目指して走った行程の途中で出会ったちいさな想い出話。
宿泊した十和田湖畔のホテルを出るとき、カーナビに「白神山地世界遺産センター」の住所を打ち込み、そのまま指示に従って走っていたら、道路標識に聞き覚えのある地名が現れた。
秋田県小坂町。
いや、実のところ十和田湖畔のホテルの住所も小坂町内だったのだが、今走ってるここは小坂の中心部らしい。
小坂町は明治時代から銅や亜鉛や鉛の生産を行った小坂鉱山によって近代的なインフラ整備が進められたという歴史を持つところで、壮麗なルネッサンス風建築様式の小坂鉱山事務所や国指定重要文化財である日本最古の現役木造芝居小屋「康楽館」などの近代化遺産建築群が今も残る(余談だが、天燈茶房亭主の住む熊本県の北部、山鹿市にも江戸時代の伝統的な様式で建てられた国指定重要文化財の芝居小屋「八千代座」がある。ちょっと調べてみたら、どちらも同じ明治43(1910)年に建てられている。奇しくも同年はハレー彗星が前々回に地球接近して肉眼でも観測された年でもある。…閑話休題)。
そして、そんな小坂の鉱山から産出される鉱石製品を運び出す為に建設されたのが、小坂と、奥羽本線との接続駅である大館との間を結ぶ鉄道、小坂製錬小坂線である。
小坂鉱山からの鉱石輸送はその後トラックに移管されてしまったが、鉱石製錬時の副産物である「濃硫酸」を安全に輸送する為に、小坂鉄道ではタンク車による貨物列車の運転が続けられた。
しかし、精錬所が濃硫酸を産出しない新設備を導入したことから唯一の積荷も無くなってしまい、今年3月12日を持って小坂鉄道は列車運行を終了。同17日付けで小坂製錬は国土交通省東北運輸局に今後1年間の鉄道事業休止の申請を提出した。
つまり、現時点では小坂鉄道はまだ廃止されてはいない。小坂から大館までの22.3キロの線路は、1年間の眠りについただけだ。
とはいえ、それは二度とこのまま覚めることのない、1年後の休止期間終了と同時の廃止を前提とした休止であると思われた…
平成20年5月1日
カーナビに指示されるままに小坂の町なかを走っていた僕は、一時停止の標識の左手に見えた建物に思わずブレーキを踏んでクルマを路肩に停車した。
「小坂駅だ…今でも駅舎が残っていたんだ!」
思わず僕は助手席のUSACOに叫んだ。「ここが小坂鉄道の小坂駅だよ!何年ぶりだろう、ここに来るのは?」
実は僕は、小坂鉄道に乗ったことがある。
小坂鉄道は平成6年の秋までは旅客列車の運行も行っていた。
当時、大学生だった僕は学校が長期休暇に入るたびに青春18きっぷで北を目指す旅に出ていた。そんなある年の夏休み、北海道で思う存分「乗り鉄」した帰り道に、僕は大館駅で途中下車して、利用者減少に伴う赤字よる廃止を目前にした小坂鉄道の旅客列車のディーゼルカーに乗って小坂まで1往復した。
ということは、今から14年前か、小坂鉄道に乗ってここに来たのは。
8月の終わり頃、残暑厳しい日。
降り立ったJR大館駅の駅舎を出て炎天下を歩き、貨物ターミナルの一角にあった小坂鉄道の駅から窓の大きな独特なスタイルの小坂鉄道のディーゼルカーに乗車。
車内は名残り乗車する人で満席。
終着駅の小坂では駅の写真を撮っただけで、すぐに折り返すディーゼルカーに乗ってとんぼ返り。
大館までの帰り道、開け放たれた窓から蛾が飛び込んできて、暫く座席の背もたれにとまってバタバタ羽ばたいていた…
窓の外は、うんざりするほどの午後の陽光と深い木立…
それだけしか憶えていない。
そんな断片的な印象しか憶えていないのに、不思議と僕は小坂駅の旧駅舎を見ただけで「以前ここに来たことがある」と直感できた。
でも、その時ここで何を見て何を感じたか、何を思ったかといったことは全く思い出せなかった。
駅舎の中を覗き込んでみる。
旅客営業が廃止された当時そのままの姿をとどめているようだ。
今から14年前の夏、僕はあの窓口で大館駅までの帰りのきっぷを買った筈だ。
駅舎の脇から、駅構内を覗いてみる。
側線が何本も引かれ、入れ換え用の動力車らしきものがポツンと停まっているのが見えるが、人の気配はない。
構内の奥に見える白いタンクは、貨物列車の積荷の濃硫酸タンクか。
線路を挟んで駅舎の向かい側に車庫があり、中に赤いディーゼル機関車が入っているのが見える。
車庫の前には、屹立する腕木信号機。
小坂鉄道は最後までクラシカルな腕木信号が現役だったことでも有名だったのだ。
駅構内の奥の方に、タンク車が留置されているのが見える。
濃硫酸輸送貨物列車の運行終了後、タンク車はすべて廃車回送されたと聞いていたが、小坂駅に残るあのタンク車は今後どうなるのだろう?
小坂駅を出たところにある踏み切りは、遮断棹を抜かれた上に踏み切り装置そのものを簀巻きにされている。
駅構内へと向かう線路には柵と立入禁止の札が…
廃止された島原鉄道南線の踏み切り跡が、殆どそのままの姿で残っているのに対して、小坂鉄道の踏み切りはまだ休止扱いなのに徹底的に道路からその痕跡を消し去ろうとしているかのような印象さえ受ける。
「この線路を走る列車に乗って、ここに来たことがあるんだ。でも、よく思い出せないんだ…
確かにあったことなのに、それを忘れてしまうというのは悲しいね。
それに、今となってはもう新しい思い出をつくることも出来ないんだ。すべてはもう手遅れなんだよ…」
周辺の散策から戻ってきたUSACOに「そろそろ行こう」と促され、僕はクルマに乗り込み小坂駅を後にした。
白神山地を目指すカーナビは、このまま小坂鉄道に沿って大館まで行けと指示している。
かくして図らずも、小坂鉄道の休止線を辿るドライブとなってしまった。
大館までの道路に寄り添うように、小坂鉄道が見える。「ああ、あの年の夏休みに僕は、ここを通って小坂まで走っていったんだなぁ」と思う。
「mitsutoはいつでも、過去ばかり見ているのね」
不意にUSACOから話し掛けられた。
「ブルートレインの『はやぶさ』もそうだけど、なくなるのを悲しがって追いかけてばかりじゃない。
いつもそうよ。
なくなってしまう過去じゃなくて、もっと今と、これからを考えても良さそうなものじゃない…」
「それはそうだけど…」不意をつかれて慌てる僕に、USACOは言った。
「なんだか、なくなるものを有難がってるみたい。それに、それを悦んでるみたい。」
僕は、二の句が継げなかった。
「それを言われると…何も云えん。」
でも、僕は分かっているのだよUSACO、君の言いたいことは。
たまにしか会えないのに、会ってもいつも趣味に夢中になってばかりいたからね。
「ごめん。それから、旅に着いてきてくれてありがとう」
僕は、助手席でふくれっ面をしているパートナーに、心の中で呟いた。
「本当は小坂鉄道に一緒に乗りたかったんだ。今となっては、それも叶わないことなんだけど。
小坂鉄道の夏休みの思い出を共有することはできないから、だから余計に悲しかったんだ…」
クルマは大館市内に入った。ここまでずっと並走してきた小坂鉄道は住宅地に紛れて見えなくなった。
「さようなら、小坂鉄道。二度と目覚めぬ、消え往く線路。
さようなら、あの日の夏休みの想い出…」
さあ、世界遺産の白神山地に行こう!USACOは以前、行ったことがあるんだろう?いろいろ案内してくれないかな?
小坂駅の駅舎内に残されていた「鉄道の日」イベントのヘッドマーク
後日談:
東北の旅を終えて帰宅した僕は、小坂鉄道のその後についてネットで調べてみたのだが、思わぬことが分かった。
秋田の地元紙秋田魁新報社の5月1日付けの「地方点描」によると、なんと、地元に小坂鉄道復活の動きがあるのだ。
「鉄道は小坂鉱山を支えた産業遺産。簡単になくしてしまっていいものか。」と、小坂町産業課の方が立ち上がったのだ。
小坂町は既に鉄道専門のコンサルティング会社などとともに、旅客運行の可能性などを探る調査に動きだしたという(さきがけon The Web 地方点描より)。
小坂鉄道が休止期間を延長するか或いはこのまま廃止するかの結論を出す今年9月頃までに、残された期間はあと4ヶ月ほど。
時間もなく、具体的な計画もまだなにも見えない状態で、ある意味無謀としか思えない話だが、小坂町産業課の担当者は悪あがき承知の情熱を持って小坂鉄道復活の計画に取り組んでいるという。
正直、小坂鉄道の復活はかなり難しいと思う。
何しろ、14年も前に一度、赤字に耐えられず旅客営業を廃止している鉄道なのだ。
ただ鉄道を復活させただけでは、その後の経営が成り立つとは考えられない。これまで鉄道なしでやってきた地元住人が、いきなり鉄道回帰することは有り得まい。
観光と絡めて考えても、小坂鉄道は一大観光拠点である十和田湖までは到達していない。
それでも、無理だと決め付けてしまいたくはない。
無謀としか思えないことでも、地元には小坂鉄道をこのまま失いたくはないと考え、情熱を持って復活に取り組む人がいる。
そのことが、僕は嬉しい。
旅客営業廃止直前に一度訪れただけの、秋田県とは縁も所縁もない九州在住の一鉄道好きに、そんな偉そうなことを言える資格はないが、それでも僕は小坂町の鉄道復活に向けた情熱を嬉しく、有難く思う。
この取り組みが秋までにどんな方向を見出すのか、九州の地から見守っていきたいと思う。
「もしも…もしも、小坂鉄道の列車にまた乗れる日が来たら、君を連れて一番列車に乗りに行きたいよUSACO。
有難迷惑かも知れないけど、その時は付き合ってくれないかな?このどうしようもない『鉄道オタク』にさ!」
追憶の線路を求めて ~レールバスとあそぼう! 想い出の南部縦貫鉄道編~ に続く
小惑星探査機「はやぶさ」情報:提供 JAXA宇宙科学研究本部
天燈茶房TENDANCAFE/mitsuto1976は
2010年6月の地球帰還を目指す日本の小惑星探査機「はやぶさ」を応援しています
はやぶさ2・はやぶさマーク2 ‐はやぶさまとめ‐
天燈茶房TENDANCAFE/mitsuto1976は
日本の小惑星探査機「はやぶさ」の同型機「はやぶさ2」と後継機「はやぶさマーク2」を応援しています
平成20年のゴールデンウィーク休暇、長崎県の島原鉄道南線の廃線跡を探訪した後、寝台特急「はやぶさ」に乗って東京へやって来た僕は、相次ぐ列車の延着トラブルに見舞われるもののどうにかパートナーのUSACOと合流、都内某所に潜伏した。
そして数日間の休息後、更なる強行軍に備えて支度を整えた僕とUSACOはクルマで高速道路を北上、南部縦貫鉄道のレールバスに会うべく青森県を目指した。
せっかく青森まで行くのだからと、レールバスに会えるイベント当日までの間に十和田湖や奥入瀬渓流、それに世界遺産の白神山地の入り口と、あちこちを見て走り回ったのだが、これは十和田湖から白神山地を目指して走った行程の途中で出会ったちいさな想い出話。
宿泊した十和田湖畔のホテルを出るとき、カーナビに「白神山地世界遺産センター」の住所を打ち込み、そのまま指示に従って走っていたら、道路標識に聞き覚えのある地名が現れた。
秋田県小坂町。
いや、実のところ十和田湖畔のホテルの住所も小坂町内だったのだが、今走ってるここは小坂の中心部らしい。
小坂町は明治時代から銅や亜鉛や鉛の生産を行った小坂鉱山によって近代的なインフラ整備が進められたという歴史を持つところで、壮麗なルネッサンス風建築様式の小坂鉱山事務所や国指定重要文化財である日本最古の現役木造芝居小屋「康楽館」などの近代化遺産建築群が今も残る(余談だが、天燈茶房亭主の住む熊本県の北部、山鹿市にも江戸時代の伝統的な様式で建てられた国指定重要文化財の芝居小屋「八千代座」がある。ちょっと調べてみたら、どちらも同じ明治43(1910)年に建てられている。奇しくも同年はハレー彗星が前々回に地球接近して肉眼でも観測された年でもある。…閑話休題)。
そして、そんな小坂の鉱山から産出される鉱石製品を運び出す為に建設されたのが、小坂と、奥羽本線との接続駅である大館との間を結ぶ鉄道、小坂製錬小坂線である。
小坂鉱山からの鉱石輸送はその後トラックに移管されてしまったが、鉱石製錬時の副産物である「濃硫酸」を安全に輸送する為に、小坂鉄道ではタンク車による貨物列車の運転が続けられた。
しかし、精錬所が濃硫酸を産出しない新設備を導入したことから唯一の積荷も無くなってしまい、今年3月12日を持って小坂鉄道は列車運行を終了。同17日付けで小坂製錬は国土交通省東北運輸局に今後1年間の鉄道事業休止の申請を提出した。
つまり、現時点では小坂鉄道はまだ廃止されてはいない。小坂から大館までの22.3キロの線路は、1年間の眠りについただけだ。
とはいえ、それは二度とこのまま覚めることのない、1年後の休止期間終了と同時の廃止を前提とした休止であると思われた…
平成20年5月1日
カーナビに指示されるままに小坂の町なかを走っていた僕は、一時停止の標識の左手に見えた建物に思わずブレーキを踏んでクルマを路肩に停車した。
「小坂駅だ…今でも駅舎が残っていたんだ!」
思わず僕は助手席のUSACOに叫んだ。「ここが小坂鉄道の小坂駅だよ!何年ぶりだろう、ここに来るのは?」
実は僕は、小坂鉄道に乗ったことがある。
小坂鉄道は平成6年の秋までは旅客列車の運行も行っていた。
当時、大学生だった僕は学校が長期休暇に入るたびに青春18きっぷで北を目指す旅に出ていた。そんなある年の夏休み、北海道で思う存分「乗り鉄」した帰り道に、僕は大館駅で途中下車して、利用者減少に伴う赤字よる廃止を目前にした小坂鉄道の旅客列車のディーゼルカーに乗って小坂まで1往復した。
ということは、今から14年前か、小坂鉄道に乗ってここに来たのは。
8月の終わり頃、残暑厳しい日。
降り立ったJR大館駅の駅舎を出て炎天下を歩き、貨物ターミナルの一角にあった小坂鉄道の駅から窓の大きな独特なスタイルの小坂鉄道のディーゼルカーに乗車。
車内は名残り乗車する人で満席。
終着駅の小坂では駅の写真を撮っただけで、すぐに折り返すディーゼルカーに乗ってとんぼ返り。
大館までの帰り道、開け放たれた窓から蛾が飛び込んできて、暫く座席の背もたれにとまってバタバタ羽ばたいていた…
窓の外は、うんざりするほどの午後の陽光と深い木立…
それだけしか憶えていない。
そんな断片的な印象しか憶えていないのに、不思議と僕は小坂駅の旧駅舎を見ただけで「以前ここに来たことがある」と直感できた。
でも、その時ここで何を見て何を感じたか、何を思ったかといったことは全く思い出せなかった。
駅舎の中を覗き込んでみる。
旅客営業が廃止された当時そのままの姿をとどめているようだ。
今から14年前の夏、僕はあの窓口で大館駅までの帰りのきっぷを買った筈だ。
駅舎の脇から、駅構内を覗いてみる。
側線が何本も引かれ、入れ換え用の動力車らしきものがポツンと停まっているのが見えるが、人の気配はない。
構内の奥に見える白いタンクは、貨物列車の積荷の濃硫酸タンクか。
線路を挟んで駅舎の向かい側に車庫があり、中に赤いディーゼル機関車が入っているのが見える。
車庫の前には、屹立する腕木信号機。
小坂鉄道は最後までクラシカルな腕木信号が現役だったことでも有名だったのだ。
駅構内の奥の方に、タンク車が留置されているのが見える。
濃硫酸輸送貨物列車の運行終了後、タンク車はすべて廃車回送されたと聞いていたが、小坂駅に残るあのタンク車は今後どうなるのだろう?
小坂駅を出たところにある踏み切りは、遮断棹を抜かれた上に踏み切り装置そのものを簀巻きにされている。
駅構内へと向かう線路には柵と立入禁止の札が…
廃止された島原鉄道南線の踏み切り跡が、殆どそのままの姿で残っているのに対して、小坂鉄道の踏み切りはまだ休止扱いなのに徹底的に道路からその痕跡を消し去ろうとしているかのような印象さえ受ける。
「この線路を走る列車に乗って、ここに来たことがあるんだ。でも、よく思い出せないんだ…
確かにあったことなのに、それを忘れてしまうというのは悲しいね。
それに、今となってはもう新しい思い出をつくることも出来ないんだ。すべてはもう手遅れなんだよ…」
周辺の散策から戻ってきたUSACOに「そろそろ行こう」と促され、僕はクルマに乗り込み小坂駅を後にした。
白神山地を目指すカーナビは、このまま小坂鉄道に沿って大館まで行けと指示している。
かくして図らずも、小坂鉄道の休止線を辿るドライブとなってしまった。
大館までの道路に寄り添うように、小坂鉄道が見える。「ああ、あの年の夏休みに僕は、ここを通って小坂まで走っていったんだなぁ」と思う。
「mitsutoはいつでも、過去ばかり見ているのね」
不意にUSACOから話し掛けられた。
「ブルートレインの『はやぶさ』もそうだけど、なくなるのを悲しがって追いかけてばかりじゃない。
いつもそうよ。
なくなってしまう過去じゃなくて、もっと今と、これからを考えても良さそうなものじゃない…」
「それはそうだけど…」不意をつかれて慌てる僕に、USACOは言った。
「なんだか、なくなるものを有難がってるみたい。それに、それを悦んでるみたい。」
僕は、二の句が継げなかった。
「それを言われると…何も云えん。」
でも、僕は分かっているのだよUSACO、君の言いたいことは。
たまにしか会えないのに、会ってもいつも趣味に夢中になってばかりいたからね。
「ごめん。それから、旅に着いてきてくれてありがとう」
僕は、助手席でふくれっ面をしているパートナーに、心の中で呟いた。
「本当は小坂鉄道に一緒に乗りたかったんだ。今となっては、それも叶わないことなんだけど。
小坂鉄道の夏休みの思い出を共有することはできないから、だから余計に悲しかったんだ…」
クルマは大館市内に入った。ここまでずっと並走してきた小坂鉄道は住宅地に紛れて見えなくなった。
「さようなら、小坂鉄道。二度と目覚めぬ、消え往く線路。
さようなら、あの日の夏休みの想い出…」
さあ、世界遺産の白神山地に行こう!USACOは以前、行ったことがあるんだろう?いろいろ案内してくれないかな?
小坂駅の駅舎内に残されていた「鉄道の日」イベントのヘッドマーク
後日談:
東北の旅を終えて帰宅した僕は、小坂鉄道のその後についてネットで調べてみたのだが、思わぬことが分かった。
秋田の地元紙秋田魁新報社の5月1日付けの「地方点描」によると、なんと、地元に小坂鉄道復活の動きがあるのだ。
「鉄道は小坂鉱山を支えた産業遺産。簡単になくしてしまっていいものか。」と、小坂町産業課の方が立ち上がったのだ。
小坂町は既に鉄道専門のコンサルティング会社などとともに、旅客運行の可能性などを探る調査に動きだしたという(さきがけon The Web 地方点描より)。
小坂鉄道が休止期間を延長するか或いはこのまま廃止するかの結論を出す今年9月頃までに、残された期間はあと4ヶ月ほど。
時間もなく、具体的な計画もまだなにも見えない状態で、ある意味無謀としか思えない話だが、小坂町産業課の担当者は悪あがき承知の情熱を持って小坂鉄道復活の計画に取り組んでいるという。
正直、小坂鉄道の復活はかなり難しいと思う。
何しろ、14年も前に一度、赤字に耐えられず旅客営業を廃止している鉄道なのだ。
ただ鉄道を復活させただけでは、その後の経営が成り立つとは考えられない。これまで鉄道なしでやってきた地元住人が、いきなり鉄道回帰することは有り得まい。
観光と絡めて考えても、小坂鉄道は一大観光拠点である十和田湖までは到達していない。
それでも、無理だと決め付けてしまいたくはない。
無謀としか思えないことでも、地元には小坂鉄道をこのまま失いたくはないと考え、情熱を持って復活に取り組む人がいる。
そのことが、僕は嬉しい。
旅客営業廃止直前に一度訪れただけの、秋田県とは縁も所縁もない九州在住の一鉄道好きに、そんな偉そうなことを言える資格はないが、それでも僕は小坂町の鉄道復活に向けた情熱を嬉しく、有難く思う。
この取り組みが秋までにどんな方向を見出すのか、九州の地から見守っていきたいと思う。
「もしも…もしも、小坂鉄道の列車にまた乗れる日が来たら、君を連れて一番列車に乗りに行きたいよUSACO。
有難迷惑かも知れないけど、その時は付き合ってくれないかな?このどうしようもない『鉄道オタク』にさ!」
追憶の線路を求めて ~レールバスとあそぼう! 想い出の南部縦貫鉄道編~ に続く
小惑星探査機「はやぶさ」情報:提供 JAXA宇宙科学研究本部
天燈茶房TENDANCAFE/mitsuto1976は
2010年6月の地球帰還を目指す日本の小惑星探査機「はやぶさ」を応援しています
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